初めての人間
森の奥……一人の少女が狼の群れに囲まれていた。
狼達は一様に低い唸り声を上げており、木の根元で丸くなっている少女へジリジリと距離を詰めている。
「グルルル……ガウッ!!」
一斉に狼が飛び掛かろうとする……その時だった。
「待って!!」
少女を庇うように、テトが狼達の前に立ちはだかった。ピタリと、狼達の動きが止まる。
今まさに死を覚悟していた少女も、恐る恐る顔を上げて、目の前のテトの背を見つめた。
この場に居る者達の視線を一身に受けながら、テトは「ごめん」と真っ直ぐ狼に語り掛ける。
「皆の縄張りを荒らす気はない。この人間は悪い奴じゃないんだ。見逃してあげて」
「ガルルル…………クゥーン……」
テトの言葉が届いたようだ。
狼達は怒りも収まって、皆テトに身体を摺り寄せに行く。テトもまた嬉しそうに狼達を撫でていった。
しばらくテトが撫でていると、満足したのか狼達がこの場を去って行く。残されたのは二人だけ。
「…………大丈夫?怪我してない?」
漸く少女へと振り返ったテトが手を差し出した。
「…………」
少女はポカンと呆気に取られた表情を浮かべて、その場に座り込んでしまっていた。
ふと、テトの頭に少女のコエが流れ込んで来る。
……この子、今……狼達とお話ししてた……それに森の出入り口からじゃない。更に奥からやって来たように見えた……。
フルフルと少女の身体が震え出す。
少女はテトの手を両手で掴むと、弾けんばかりの笑顔を見せた。
「助けてくれてありがとう!!私の名前はレイン!レイン・グランディア!聞きたいことが沢山あるの!!まず、貴方の名前は?何処から来たの?狼達と話していたように見えたけど、彼らとはお友達なの?それからそれから……」
「ま、待って。そんなに一気に答えられない……」
「あ、そうよね。ごめんなさい」
グイグイと距離を詰めてくる少女レインに、テトが「待った」をかける。
大人しくなったレインに一息吐きながら、テトは「とりあえず」とレインの手を引いた。
「此処は狼達の縄張りだから、場所を移そう。俺の名前はテト。家に案内するよ」
「テト……よろしくね!」
「!…………」
ニコリと向けられた微笑みに、テトは惚けた表情を浮かべるのであった。
* * *
「……本当にこんな森の奥深くにお家があるなんて……」
そして十分後。テト達はアノコーの低木に囲まれた小屋へと辿り着いていた。
この十分間、延々とレインの好奇心に満ち満ちたコエを聞き続けていたテトは、既に疲労困憊の様子である。部屋の中まで案内したテトは、「ふぅ」と水を一杯飲んで椅子に腰掛けた。
しかし、小屋に着くまで質問のお預けを食らっていたレインは、もう我慢できないと言わんばかりにグイッとテトに顔を寄せる。
「改めて、さっきは本当にありがとう!早速質問良いかしら?まず、どうして狼達は貴方の言うことを聞いたの?どうやって友達になったの?」
瞳をキラキラと輝かせるレインを両手で制しながら、テトは沈黙を貫くのは無理だなと悟る。早々に諦め、「えっと」と口を開いた。
「俺は生まれ付きコエが聞こえるんだ。動物や植物、人間が心で思ってること……そういうのが全部わかる。言語が違っても、言いたいことはお互い伝わってるから……だからこの森で暮らしてる動物とは全員友達なんだ」
「……『コエ』…………」
レインが小さく復唱する。
テトは少しだけ顔を暗くさせた。
……やっぱり気味悪いよね……。
自嘲するようにフッと笑めば、やけに熱い視線を感じてテトは顔を上げる。目の前には満点の星空でも瞳に宿しているかのようなレインが居た。
テトが疑問に思うのと、レインがテトの両手を掴むのは同時だった。
「凄い!!動物や植物の言いたいことがわかるなんて羨ましいわ!!じゃあ狼達とお友達なのも納得ね!」
「……………」
フワリと微笑むレインに、テトが呆気に取られる。
……『アイツ、心を読めるんだって。気味悪いよなぁ』
……『何考えてるかわかんねぇし、普通じゃねぇし……関わんねぇ方が良いって』
ふとテトの頭の中に昔の記憶が蘇る。
テトは顔を俯けさせた。
「…………君は……気味悪いと思わないの?」
「え?」
思わず口に出てしまった。
レインが不思議そうに首を傾げる。その時、レインのコエがテトの頭の中に流れて来た。
……『気味悪い』?……何の話だろう……今の話の流れに気味悪い要素なんてあったかしら……聞き返すべき?否でも……なんか神妙な表情してるし、聞き返すのは失礼かも……あっ、もしかして狼のことかしら……世の中には犬嫌いの人も居るくらいだし、私が襲われてたから気遣ってくれてるのかも……私だって目の前に狼嫌いかもしれない人が居たら、狼と友達って宣言するのは躊躇っちゃうし……うん、きっとソレね。
……ごめん、違う……。
ついテトが心の中でツッコんでしまった。
当然レインに相手の心を読む能力はないので、テトの質問に答えようと「私は大丈夫」とテトの両手を包み込む。
「むしろ私も狼達とお友達になりたいわ!そうすれば、心置きなく森の奥も探索できるし、それに……種族関係なく仲良くなれることは、とっても素敵なことでしょ!」
「……君、変わってるね」
「ありがとう!」
「……貶した訳じゃないけど、『変わってる』って言われたら、普通怒るモノじゃないの?」
やっぱり変わってるなと再認識しながら、テトが尋ねる。するとレインは一瞬キョトンとして、それから柔らかく笑った。
「どうして?だってこの世に同じ人なんて誰一人として存在しないわ。なら『変わってる』のは当然のことよ。むしろ褒め言葉ね!『同じ』があるのも嬉しいけれど、『違う』ところがあるのはもっと楽しいわ!」
本心からの言葉だった。
こうも裏表のない言葉を聞いたのは久々で、テトは懐かしさで表情を緩める。
……面白い娘。悪い人間じゃないことは知ってたけど……それ以上に、コエを聞いてただけじゃわからなかった。爺やとも違う、この感じ。コエは聞こえるのに、この娘の発言が読めない。それがすっごく……楽しいかも……。
気がつけば、最初感じていた気疲れは何処かへと消えてしまっていた。
すっかりいつもの調子に戻ったテトは、「そう言えば」とずっと気になっていたことを口にする。
「どうして森の奥まで入って来たの?普通、植物採集家の人も森の奥まで入ることはない。森の深部は狼の縄張りだって知ってるから。森の動植物の毒対策と一緒に、子供の時から教えられる筈だけど……知らなかったの?」
テトが首を横に倒す。
王女という立場関係なく、まだまだ子供であるレインが、たった一人で毎日森に入って来るのも疑問だが、それ以上に気掛かりだったのが今日のレインの行動だ。
森の奥は獰猛な狼達の棲家。いくら好奇心旺盛でも、武器もなしに足を踏み込むのは無謀過ぎる。
考えられる可能性は狼達の縄張りであることを知らなかったことであるが、シーナ国に住む者なら知らない筈がない。
だがしかし、レインは「それが」と悲しげに肩を落とした。
「私のお父様はとっても心配症で……私が植物図鑑やシーナフォレストに関係する本ばかり読んでいたら、『いつか森に入って毒で倒れるんじゃないか』って、城の本を全部隠してしまったの。その上、これ以上私がシーナフォレストに興味を持たないように、私の前でシーナフォレストの話題を出すのも禁じて……だから……」
……何も知らなかったと……。
テトが心の中で代弁する。
図らずも、レインが一人で森に入っている理由もわかった。どうやらお忍びのようだ。
……随分と過保護な親だなぁ……。
内心思いながらも、テトはふと懸念する。
「それなら、こんなに頻繁に森に入っても良いの?居場所は知らなくても、毎日長時間留守にしてたら、流石に心配してるんじゃない?」
「大丈夫!ちゃんと手は打ってあるから!それよりも……さっきから気になってたけど、ここにある本……もしかして、ドクター・ピュトンの研究書!?」
レインが本棚を指差す。
『ドクター・ピュトン』とはテトを拾った爺やの名前だ。植物学者であり、調剤師でもあるピュトンはシーナ国一の偉人であり、これまで数多くのシーナフォレストの薬草達の活用方法を見出してきた。
ピュトンの研究書などは、シーナ国民の学者からすれば垂涎モノの代物である。
当然知的好奇心の塊であるレインもその一人。テトへと向けられた瞳は、眩い輝きを放っていた。
「あぁ……うん。ここ、爺や……ドクター・ピュトンの家だから。爺やが死ぬまで書き残した色んな研究結果があるんだ」
何でもないように告げるテト。瞬間、「えぇーーーー!!!」と驚愕した声が上がった。
「『ドクター・ピュトンの家』って!『爺や』って!……テト、貴方ドクター・ピュトンの孫なの!?もしかして、貴方も学者だったり調剤師だったりする!?」
「ううん、俺は拾われただけ。でも、薬草や毒草、調剤のことなら爺やに沢山教わったよ。だから既存の薬は大抵作れるし、森にある植物も全部網羅してる」
「ほ、本当!!?」
テンションマックスのレイン。対してテトはいつも通り抑揚のない穏やかな口調のまま「うん」と肯定した。
テトの返事を聞いて、レインは「お願い」とテトの両手を更にギュッと握り締める。
「私に教えて!!」
「……別に良いけど……」
「本当!?ありがとう!!」
今日一番の笑顔だった。
レインの満面の笑みを見つめて、テトはフフッと少しだけ楽しげに笑う。
こうして、テトとレインの付き合いは始まった――。




