コエを聞く者
狼達から逃げ回ること十分。
鼻の奥を劈くような刺激臭がしたと同時に、狼達が一斉に足を止めたのを確認して、ラキは走っていた足を漸く止めた。
しかし、狼が襲って来なくなったからと言って、先導する小鳥が羽を仕舞うことはない。
臭いに耐えながら更に森の中心部へと進んで行けば、とある低木が綺麗に弧を描くように生えているのを見つけた。
……臭いの元は低木か……自然の生え方じゃない……獣除けか……?
半分獣、半分人間のラキにとっては『耐えられなくもないが、かなりキツい』と言ったところか。純粋な獣がこの低木から発する刺激臭に耐えられず、追って来なくなるのも無理はないと、ラキは小鳥に付いて行きながら低木の垣根を越えた。
とそこで、垣根の外側からガサガサと音を立てて何かが近付いて来るのがわかった。咄嗟に身構えるラキだが、その警戒は杞憂に終わった。
「!ラキさん!!」
「!アルテ!」
木々の間から現れたのはアルテだった。
ラキの姿を見つけるなり、アルテは表情を明るくして低木を飛び越える。
「無事に会えて本当に良かったです!後はマイハさんと合流できれば……って、ラキさんの腕、傷だらけじゃないですか!!?」
ギョッとした表情を浮かべて、アルテがラキの腕を持ち上げる。
どれも大した傷ではない。森の中を走って逃げている間に、草や葉で切ってしまったのだろう。「これくらい平気だ」とあっけらかんと告げるラキだが、アルテは「全然平気じゃないですよ」と非常に焦った声で叫ぶ。
「この森の植物はどんな毒を持ってるかわからないんですから、ちょっとの擦り傷が命取りなんですよ!?おまけにラキさんがどの植物で切ったかわからないので、薬も処方できないのに……ラキさん、身体の具合は大丈夫ですか!?息苦しかったり、痛んだりしてませんか!?」
必死な様子でラキの顔色や具合を確認するアルテ。対照的にラキは呑気な様子で「言われてみれば」と口を開いた。
「だからさっきから手足が少し痺れてる訳か」
「毒喰らってるじゃないですか!!!い、急いで応急処置……摂取口から血ごと毒を抜き出して……否、いっそ腕を切り落として……」
「おーい、アルテー?戻ってこーい」
物騒な思考に陥りかけているアルテの頭を、ベシッとラキがど突く。我に帰ったらしいアルテはとりあえず落ち着いたようで、オロオロしながら「すみません」と謝った。
「でも、すぐに検査した方が良いですよ。命に関わる毒かも……」
「否、心配いらない。それよりも先に、お嬢を探して合流しよう」
「うっ……確かにマイハさんのこともとっても心配ですけど……体調に少しでも異変を感じたら、すぐに言ってくださいよ!?」
念押しするアルテだが、ラキは苦笑を溢して「この森に入った時点で身体に異変は感じてるがな?」とはぐらかした。
* * *
「……ん………」
火の温もりによって、マイハの意識が覚醒する。
ゆっくり瞼を開けたマイハは、見知らぬ天井に「ここは……」と首だけ横に動かした。
「起きた?」
「ッ!?」
聞き覚えのない声に、慌ててマイハが上半身を起こす。身体を起こした事で、自分が寝ていた場所の様子がわかった。
様々な器具が転がった大きめの机に、本がズラリと並んだ天井まで届く本棚。本棚の隣には、沢山の瓶が並んだ同じくらい高さのある棚もある。真っ赤な炎が揺らめく暖炉と、その前には大きな鍋と原始的なコンロ。そのどれもが年季の入った古い物だった。
マイハは、鍋の前でグツグツと何かを煮込んでいる少年の姿を見て、「お前は……」と少年が海で自分を助けてくれた人物であることを思い出す。
少年は一度鍋に蓋をすると、マイハの側まで近寄り、膝を折ってマイハの額と自分の額を重ねた。
驚いてすぐに身を引くマイハだが、少年に気にした様子はない。淡々と「うん、まだ熱があるね」と言って、瓶の並べてある棚へと足を向けた。
ゴソゴソと瓶をいくつか取り出して、中に入っている乾燥した草を数種類、木でできたボウルに入れる。麺棒で擦り潰しながら混ぜ合わせ、できたものを鍋の中に放り込んだ。
そしてまたマイハの元へと帰ってくる。
「もうちょっとで薬膳茶ができるから、できたら飲んで。身体、楽になるよ」
「……お前が助けてくれたんだよね?何で私を助けた訳?」
訝しむような目でマイハが少年を見つめる。
海に落ちたマイハが今は何処かの家のベッドの上、しかも鎖も縄も何もないのだから、その時点で少年にマイハを殺す気はないのだろう。それはわかっている。わかっているが、だからといって見ず知らずの少年の優しさを素直に信じられる程、マイハは純粋ではなかった。
しかし、少年は全く表情も声の抑揚も変えることなく「気になったから」とただただ答えた。
「青い瞳の人間がどんな人なのか……気になったから。それに本気を出せば、狼を簡単に殺せるのにそうしなかった。俺も動物は好きだから、君のことを放っておけなかった」
まるで、初めからマイハ達のことを観察していたかのような言いぶりに、マイハは眉根を寄せる。それに気付いた少年は「うん」と首を縦に振った。
「最初から見てたよ。と言うより、鳥さんに頼んで君達のことを監視して貰った」
「ッ!?」
マイハが目を見開く。鳥に監視云々の所に驚いたのではない。
今マイハは少年への疑念を口に出した訳ではない。それなのに何故少年はマイハの考えがわかったのか。
更にマイハが少年の警戒を強める中、少年は落ち着き払った様子で「俺は」と口を開きながら、鍋の蓋を取りに行った。
「モノの声が聞こえるんだよ。生まれ付きの特異体質でね。人間の心の声、動物の声、植物の声……偶に生き物以外のコエも聞こえるかな。だから君達の事は国に入る前から知ってたし、この森に何しに来たのかも知ってる」
背中で語りながら、少年が鍋の中身をオタマで掻き混ぜる。コンロの火を消して、鍋の中身を近くにあった木製のコップに流し込んだ。
「はい。飲んで」
驚きで言葉も出ないマイハとは違い、少年は実に冷静だった。
ゴポゴポと泡立っている緑色の何とも不味そうな液体を手渡され、マイハは困惑したまま「どうも」と素直に受け取ってしまう。完全に信用できる訳でもない相手だ。普段であれば、絶対に飲みはしないし、そもそも手にすることすらしない。
だが相手が落ち着いているのに、自分ばかり気を張っているのも馬鹿馬鹿しくなり、マイハは少しだけ気を緩めた。
……そもそも毒が入っていたとして、魔力さえ元に戻れば、私に効く筈もないしね……。
「特異体質ね……まぁ、私も似たようなモノだし、どんな奴が居たって不思議じゃない。お茶、有り難く頂くよ」
少し口元に笑みを浮かべると、マイハはコップに口付けた。液体がマイハの舌先に当たる。
瞬間……。
「ッン!?……ゴホッ!!ゲホッ!!……ハァ!ハァ!」
勢いで飲み込んでしまったものの、あまりの不味さに咳き込むマイハ。少年はここに来て初めて動揺を見せるように、驚いた表情で「大丈夫?熱かった?」とマイハの背を摩った。
半分涙目になっているマイハは、痺れる舌を外気に当てながら「否」と呟く。
「熱さの問題じゃなくて……コレ、色々と間違ってない?」
「えっ、体力回復と解熱に一番効果的な薬草を使ったんだけど……」
「効果じゃなくて味だよ」
「『アジ』……?」
キョトンと少年が首を傾げる。
どうやら効能重視で味の調整は全くしていないらしい。否、そもそも少年の口ぶりから「味」という概念すら感じられない。
マイハは諦めたように口を噤んで、視線を下に下ろした。
手元にはまだコップの半分も減っていない激マズの薬膳茶。
最初舌先に触れた時は一瞬毒すら考えたが、ずっと昔に飲んだ薬膳茶と少し似ていたことから考え直した。昔の薬膳茶もかなり不味かったが、今この薬膳茶を飲めばわかる。あれでもかなり味を調整されていたのだ。
マイハの頭の中で天秤が掲げられた。
舌の安寧を取るか、身体の回復を取るか。
「…………」
数秒悩んでマイハは覚悟を決めた。
元より味に配慮されていない料理など慣れている。
コップを握り締め、マイハは瞳をギュッと閉じた。
一気飲みだ。
コップを勢いよく煽ったマイハは、再び意識がクラッと遠のきそうになりながらも、何とか形容し難い液体を飲み干す。
無言でコップを少年に手渡したマイハは、フラフラとよろけかけて少年の腕に支えられた。
「やっぱりまだ身体が万全じゃないね。しばらくしたら、薬の効果が効いてくるから。まだ寝てて」
小さくニコッと微笑むと、少年はコップを片付けに行く。その後ろ姿を見ながら、マイハは「お前」と少年に声を掛けた。
「ここで一人暮らししてるの?ここ、森の中だよね?」
「うん。俺を拾ってくれた爺やが死んでからは、一人で住んでるよ。ここはアノコーの低木に囲まれた森の中心部。爺やは植物学者で、この森にある珍しい植物の研究をする為に、この森に小屋を建てたんだって。アノコーの低木は森の猛獣に襲われないように爺やが植えたものだよ」
コップを洗いながら語る少年の話にマイハは「へぇ」と頷いた。
……『アノコー』……確か獣除けになる低木の名前だね……。
通りでこんな森の中でも人が暮らせる訳だと、マイハは納得する。
「じゃあ、お前の薬草の知識はそのお爺さんから教わったものなの?」
「そう。そこにある本棚……あれに並んでるのは、爺やが書き留めたこの森にある植物の研究結果。爺やから学んだのが殆どだけど、死んじゃってからはあの本で学んできた。それでも薬草や毒草の使い方は無限にあるから、この森の植物のことを全部知ってる訳じゃない」
「勉強熱心だね。アルテと似てる」
そう言って、情けない表情をして戸惑っているアルテの顔を、マイハは思い浮かべた。少年は「アルテ……」と呟きながら、首を傾げる。
「見た目は全然似てないと思うけど」
「見た目がわかる訳?」
「うん。今君が思い浮かべていた赤髪の子だよね?コエと一緒に映像も偶に見えたりするから、わかる」
「へぇ。面倒だね」
バッサリとマイハが言い放った。
今度こそ少年は意味不明と言わんばかりにキョトンとした表情を浮かべる。
「……『面倒』?」
「四六時中、他人の考えがわかるなんて面倒なことこの上ないよ。人間の考えることなんて碌なものじゃないんだから。ま、拷問無しに敵の情報が筒抜けってのは便利だけどね」
「……物騒だね」
個性的なマイハの意見に感想を告げると、少年は何かに気付いたように小屋の入り口の方へ視線を向けた。マイハも不思議に思いながら、同じように扉へ顔を向ける。
「どうかした?」
「……どうやら君のお仲間が到着したらしいよ」
少年の言う通り、数秒後ノックが鳴った。
少年が扉の鍵を開け、取っ手を引く。すると聞き覚えのある二つの声が聞こえてきた。
「……本当にこんな森に人が住んでんだな……」
「突然失礼します。人探しをしていて……」
ボソリと溢すラキに、礼儀正しく挨拶するアルテ。
扉の隙間から覗いた二人の顔に、マイハはホッと無意識に身体の緊張を解いた。それはラキ達も同じのようで、マイハの姿を見つけるなり「お嬢/マイハさん!」と一気に駆け寄って来る。
「無事で良かった、お嬢。顔色マシになってるが、体調は大丈夫なんで?」
「マイハさん!良かったです。マイハさんも無事に狼達を撒けたんですね!」
口々に喋る二人に、マイハは眉を顰めて「落ち着きなよ」と両耳を手で塞ぐ。
「幾分かマシになったけど、まだ魔力は使えないし、体調は本調子じゃないから、近くで喚くな。アレを見倣いたまえ、二人共」
「「『アレ』……?」」
ラキとアルテが揃って首を横に倒した。そして、マイハの指差す先へと顔を振り向ける。
二人の勢いに圧倒されていた少年は、ラキとアルテ両方の視線を受けて、「どうも」と軽く頭を下げた。
「わっ、えっと……すみません!人様のお宅でいきなり騒がしくしてしまって!!」
「……誰だ?こいつ」
アルテが慌てて謝罪する中、ラキが威嚇するように少年を睨み付ける。とそこで、マイハも少年の名を聞いてないことを思い出した。
マイハの心情を読んだのか、少年は「そう言えば名乗ってなかったね」と小さく口角を上げる。
「俺はテト。よろしくね、マイハ、ラキ……アルテ……」
名乗りながら、テトがアルテの側まで歩いて行く。アルテはキョトンとした表情で小首を傾げた。
テトは小さく微笑んだまま、口を開く。
「“七翼の恩災”……なんだよね?」
「え…………」
その後、アルテから大絶叫が上がったのは言うまでもない――。




