笑えない
「……し、“七翼の、恩災”……」
「で、伝説の……」
驚きで二人の顔が固まる。
当然だ。“七翼の恩災”と言えば、『世界を滅ぼす』と伝えられている禍事の象徴だ。
わざわざ探そうとする意味がわからないし、そもそも実在しているかどうかさえ疑わしい存在である。
「な、何故そんなモノを……??」
男が尋ねれば、マイハが答えるよりも先にラキが「ガルル」と低く唸った。まるで「詮索するな」とでも言っているようだ。
マイハはラキの鼻の上辺りを撫でて宥めると、「教える義理はないね」と正論を返す。
「礼がしたいんでしょ?お前らは知ってる情報を教えてくれれば良いんだよ」
マイハの言葉に、男と妻は互いに顔を見合わせた。そして男がぎこちなく口を開ける。
「……その……“七翼の恩災”がどんな魔力を持ってるかは知らないが……少なくともこの町で生きてきて四十年、魔力持ちの人間を見たことはない。この町を治める貴族、そしてその兵士にも魔力持ちは居なかった筈だ。すまないが……知ってる情報はこれだけだ」
申し訳なさそうに、視線を床へと落とす男。だがマイハは予想していたのか、大して落胆することなく「そ」と短く頷いた。
「情報どうも。……あーそう言えばこの町、一体何があった訳?局地的な災害でも起こったみたいな荒れ様だけど」
思い出したかのようにマイハが尋ねる。
家も畑も道も、この町全てがボロボロな上に、男もその家族も皆飢え死に寸前状態だった。人の気配は彼らの他にまだあるものの、全て弱々しい。恐らくはこの家族のように、全員死にかけているのだろう。
まるで戦の後のようだ。
マイハの最もな疑問に、夫妻はそれぞれ顔を見合わし、ギュッと固く握り拳を作る。その身体は小刻みに震え、食いしばった唇からは血が垂れていた。
ただならぬ気迫に、マイハは何だ?と首を傾げる。
男は話し始めた。
「……この町はホーテーという貴族が治めてるんだが……そいつは極度の守銭奴で、途方もない金を毎月税だと言って徴収しに来る。毎月上がっていく税率の所為で、まともに生活ができず、飯を抜いた身体では思うように仕事もできず、かと言ってホーテーが徴税を諦めることはない。つい先日も、ホーテーの部下が今月分の税を取りに来たところさ。お陰で家の金はすっからかん。どれだけ飯を抜いても、ちっとも金は貯まらない。そうして飢え死にしていった奴が、もう五十人は下らない。この町に活気がないのはその所為さ」
「……お前達はホーテーに反撃しないの?」
黙って話を聞いていたマイハが問い掛ける。だがしかし、男は諦念の眼差しで「無理さ」と力無く放った。
「反撃したって無駄だ。ホーテーに……貴族や王族に手を出せば、“アンジェロ”が俺達を殺しに来る。わざわざ死にに行くようなものさ」
男が嘆息と共に吐き捨てる。
“神の遣い”……七賢聖の誇る最凶の軍隊“政府軍”、その頂点に君臨する人間兵器達のことだ。その役割は、この世界に……つまりは世界を支配する七賢聖に仇なす不穏分子を見つけ、抹殺すること。正に七賢聖の番犬であった。
「……“神の遣い”、か……」
マイハがボソッと呟く。その小さな呟きを耳にしたラキが「クゥン」と心配そうにマイハの表情を見上げた。
マイハは何でもないように顔を上げると、「フッ」と嘲笑を溢す。
「反撃してもしなくても、どっちにしたって死ぬんじゃん。今は私が体調を元通りにしてあげたけど、もうお金はないんでしょ?なら、お前らが飢え死にするのも時間の問題だよ。結局、大人しく言う通りにしていたって死ぬのを待つだけなら、そんなのは生きてるとは言わない。生かされてるだけ……都合の良い奴隷としてね」
容赦のない言葉が男達の胸に刺さる。毒舌だが言ってることは真実だった。
「なら……ならどうすれば良いんだ!?俺達じゃあ、アイツらには敵わない!!誰にも救いを求めることができない!!強者は弱者の為に戦ったりしないんだ!!誰も弱者を助けたりはしない!なら!例え奴隷だったとしても、少しでも長く生きられるように、大人しく言うことを聞いている方が良いに決まってる!」
涙ながら叫ぶ男に、マイハは腕を組み「フン」と鼻から息を吐いた。呆れているようだ。
最初から大して無かった興味が完全に地へと落ちていく。マイハはクルリと身体の向きを家の扉へ向けた。
「情報は貰ったし、もう用はない。行くよ、ラキ」
「ワン!」
言葉通り、躊躇なく玄関へと足を進めるマイハ。
当然男達は引き留めたりしない。涙を流しながら、変わることのない自分達の人生に絶望していた。
マイハは出口の取っ手に手を掛けると、首だけ彼らへと振り向ける。
「そうやって嘆いてるだけの他力本願な奴らの前に、希望なんか転がって来る訳ないでしょ。バーカ」
「「!!!」」
捨て台詞を残し、マイハは家から去って行ったのであった。
* * *
「助ける価値もなかったね。大した情報も持ってなかったし」
男達の家から出たマイハは半壊状態の町の中を歩いていた。その表情は不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。
「さっさと次の町に行こう。何が何でも“七翼の恩災”を見つけ出して……ッ!」
「ガルルルルッ!!」
町の出口へと向かっていたマイハ達がその足を止める。
町の出入り口である素朴な門、その前に兵隊の服を来た男が十人近く立っていた。
……あの格好、貴族の兵士か……この町に用ってんなら、ホーテーとか言う貴族の部下かな……。
心の中でマイハが当たりをつける。どちらにせよ、興味もなければ関係もない。
マイハは気にせず、歩みを再開させた。
だがしかし、黙って町を出させる気は向こうにはないらしい。
マイハが門を潜ろうとしたところで、一斉に武器を構えられた。
「待てぇ!女!!貴様は何者だ!?町の人間か!?」
「……ただの旅人だよ。やっと町に辿り着いたってのに、こんな死にかけの町じゃあ、宿を借りることすらできなさそうだから、今出て行くところ」
「そうか。ならば金を払え!」
「は?」
思わずマイハが聞き返す。
町で一泊するならともかく、すぐに出て行く者が何故金を払う必要があるのか。
眉根を寄せながら疑問符を飛ばすマイハに、兵士は続けて宣告する。
「この町に入った者はいかなる理由があろうとも、半刻も経たぬ滞在時間であろうとも、例外なく入町金十万ゴルド払ってもらう規則がある!!これはこの町を治める貴族!ホーテー様直々の命令である!どんな者であろうと、決して反故にすることは許されない!!さあ払ってもらおう!」
それ程距離が離れている訳でもないのに大声で宣う兵士に、マイハが煩わしそうに両手で耳を塞ぐ。
兵士の声に気付いたのだろう。町の荒屋からヨロヨロと、町民達が様子を見るように扉や窓の隙間から顔を出してきた。
兵士も町民達が目に入ったらしい。
一度マイハから視線を逸らすと、マイハの後ろに居る町民達へと声を掛けた。
「お前達!今日から徴税の仕組みが変わった!!お前達の収入が少ない為、税率を上げるだけでは額が増えん!そこで、収入の何パーセントかを税にするのではなく、徴税額を一定とすることになった!一月につき、一人二十万ゴルドだ!!払えぬ者は皆殺しにせよとの命令である!!さあ今月分の足りない金を持ってこい!!」
一気に町がどよめき始めた。
「そ、そんな……!」
「二十万なんて、そんな額ッ!」
「税なら、先日払ったばかりなのに……!」
「無理だッ!……そんなのッ」
「もうこれ以上は生きていけないッ!」
当然だ。自分達が食べていくこともできない程の廃れた町である。一人二十万の蓄えなんてあるわけがない。そんな状態で税など払える訳もなく、皆一様に絶望し切った表情で膝から崩れ落ちていった。
マイハはその様子を横目で見ながら、内心「あーあ」と呟く。
……わざわざ魔力使ってまで、命を繋いであげたってのに、結局今日中に殺される訳か……。
既に他人事のように落ち着きはらっているマイハ。
崩れいく人々に兵士は更に続ける。
「『無理だ』?『生きていけない』?……知ったことか。貴様ら町民はホーテー様の為だけに働いていれば良い。金を納めることができない者に用はない。所詮貴様らは、貴族の為に生かされているだけの道具!!使ってやっているだけでも有り難く思え!!」
「ッ!!」
兵達の高笑いが町中に響き渡る。
誰も何も言い返せない。ただ涙を流して歯を食いしばっているだけだ。
「………………」
そんな中、マイハが一人拳を固く握り締める。先程までの気怠げな表情は何処へやら。余程強い力で握っているのか、手から血が滴り落ちているのを、ラキが黙って見守っていた。
「金がないなら貴様らに価値はない!構うな殺せ!!」
兵士達が同時に地面を蹴った。門を潜って、町へと入ろうとする。
その時だった。
「「「「「ウオッ!!?」」」」」
兵達が慌てて足を止める。
門がいきなり崩れ落ちてきたのだ。
「…………どうでも良いんだ、人間の命なんて…………」
マイハが独り言を漏らしながら、旋回してくる鉄扇を受け止める。
いつの間にか武器を手にしていたマイハに、兵士達は門が突然崩れた訳を知った。そして標的を町民達からマイハへと変えると、「貴様ッ!」と持っていた槍の先端をマイハへ向ける。だがマイハは気にしない。
「……町が壊されようと……人間が殺されようと……知ったことじゃないし……そもそも昔から人間は嫌いなんだ……それでも…………」
心ここにあらずと言わんばかりの様子でブツブツと呟いているマイハに、兵士達は焦れたように「何をブツブツと言っているんだ、貴様ァア!?」と、一斉に駆け出した。崩壊した門を避けて、兵士達が揃ってマイハへと槍を突き出す。
躱す素振りのないマイハ。襲い掛かってくる兵達を一瞥して、「それでも」と眼光鋭く彼らを睨み付けた。
「……笑えない……笑えないぞ、テメェら!!!」
「「「!!??」」」
兵達だけでなく、様子を伺っていた町民達も目を見開いて驚いていた。
確かに槍はマイハの身体を貫通している。にも関わらず、マイハの身体からは血の一滴たりとも流れてはいなかった。
それどころか、マイハは槍が自身を貫いているのも厭わず、そのまま兵達に突進していく。
思わず兵達は目を瞑った。しかし感じたのは身体同士がぶつかった衝撃ではなく、少しの熱気。そして……。
「「「グァアアア!!!?」」」
マイハに身体を通り抜けられた三人の兵士達が、一様に血を吐きながら地面に倒れてしまった。三人の身体はボロボロで、何もされてないにも関わらず、全身血塗れの傷だらけになっている。
「な、何だ貴様は!!?」
完全に尻込みしながら、兵の一人が叫んだ。
マイハが答えることはない。
手にしている鉄扇を扇形から更に開いて円状にすれば、回転を掛けて勢いよく投擲した。カーブを描きながら、鉄扇が鋭いスピードで兵達を次々と切り裂いて行く。
戻ってきた鉄扇をマイハがキャッチする頃には、残った兵士はたったの一人になっていた。
マイハの冷え切った眼差しが、兵士を冷たく見据える。
「ヒィ!!」
堪らず兵士は逃げ出した。
だがしかし。
「ガウ!!」
「ッ!!?」
ラキが兵の逃げ道を塞いでいた。
後方からマイハが近付いているのがわかり、兵士は恐怖から腰が抜ける。
「た、たた頼む!!殺さないでくれ!!俺達はホーテー様の命令で仕方なくやってただけだ!!俺達だって命令に逆らえば殺されるんだ!!わかってくれよ!!」
片腕を必死に伸ばして牽制しながら、命乞いをする兵士。
しかし、マイハの瞳は変わらず冷たいモノだ。
「『貴族の為に生かされているだけの道具』……『使えない道具は殺して良い』……だっけ?なら、主人の命令もまともに遂行できないお前らが、殺されるのは当然のことでしょ?」
「ッ!!」
兵士が奥歯を噛み締める。マイハはもう兵の男に興味を失ったようで、「ラキ」と一声呼んでから構わず兵の隣を素通りした。
マイハの声に応えるように、ラキが兵士に飛び掛かる。
断末魔を背に聞きながら、マイハは足を進めた。
「行くよ、ラキ。ホーテーの屋敷にね」