「諦めなくて良い」
「それにしても……一体どうやって“神の遣い”相手に無傷で時間稼ぎをしたんですか?」
マイハが帰って来て五分。
マイハの無事と、“神の遣い”の脅威が去ったことを知り、アルテが最もな疑問を投げ掛けた。マイハは椅子に腰掛けながら、「あぁ」と何でもないように告げる。
「取引してきただけだよ。ドウォークの後継選抜やってあげる代わりに、私とアルテを見逃して、会ったことも誰にも言うなって約束させてきた」
「『取引』って……そんなあっさり応じてくれるものなんですか?」
アルテが半信半疑で首を傾げる。
当然だ。話に聞く“神の遣い”は、不穏分子や貴族王族に楯突いた者達を有無も言わさず抹殺していく、残酷無慈悲な存在なのだから。
仕事の肩代わりくらいで見逃してくれるとは到底思えない。
アルテの心中は察しているのか、マイハが困ったようにフッと眉根を下げる。
「普通は応じない。葵だから、こんな子供騙しみたいな取引ができたんだよ」
「!…………」
マイハの表情にアルテが魅入る。何処か優しさを感じるのはアルテの気のせいだろうか。
それはそれとして、アルテはドウォークの屋敷での葵の言動を思い返す。
常に気怠そうな精気の込もっていない瞳に、突然の駄々。口癖のように定期的に呟く「めんどくさいな」の七文字。
確かに取引に応じてくれそうな……言うなれば人間らしさがあった。
「……極度の面倒臭がりなんですか?」
思った疑問をアルテが口にすれば、マイハは「ちょっと違うかな」と手の平を天井に向けて肩を竦めた。
「極度のヘタレなんだよ。まあ面倒臭がりなのも、やる気がないのも、その通りだけどね。……今回、葵の仕事はドウォークの跡取りを決めるだけで良かったのに、それが私とアルテの介入によって、すべき任務が増えた。ただの反乱分子なら、その場で殺せば良いだけだけど……運が悪かったね。よりによって私とアルテだったから、葵はできる限り闘いたくなかった筈だ。それで私から取引を持ち掛けられたら頷くしかない。所謂『幸運だった』ってことだよ」
「…………?」
マイハの意味深な言い回しに、アルテは完全には理解できず、キョトンと首を倒す。
しかしマイハにこれ以上詳しく説明する気はないようで、「そんなことより」と話題を変えた。
「船造りの件、有耶無耶になってるけどどうする訳?作ってくれるんでしょ?」
マイハに言われて、アルテは「そうでした」と船の依頼の事を思い出す。
両親との交流は少なくとも二人の怪我が回復してからだ。“神の遣い”の脅威が去った今、猶予はいくらでもある。
アルテは早速と、ペンと紙を手に取った。
「まずは船のデザイン案と設計図を作っていくんで、希望があれば何でも言ってください!」
* * *
そうして一週間が過ぎた。
アルテはこの一週間で飛行船の設計図を作成し、既に骨組みまでは造り終えていた。
生死に関わる大怪我を負ったアルテの両親に関しては、洞穴からすぐにドウォークの屋敷へと戻し、毎日アルテが様子を診に行っている。命に関わる致命傷だ。三、四日は目を覚まさなかった二人だが、起きてからも屋敷に診察しに来るアルテを追い出すことはなかった。アルテの懸命な治療のお陰で二人は段々と回復していき、最初はスープを飲むこともままならなかったのが、今では三食しっかりと食べられるくらいにまでなっていた。
その間、ドウォークの後継について“神の遣い”がランゴに来ることはなかった。「今は後継貴族と調整作業をしてるんだよ。後一ヶ月は“神の遣い”も新しい貴族も来ることないから安心しな」とはマイハの言だ。
そうして怒涛の日々を過ごしたある日、いつものように両親の診察にアルテが屋敷へ訪れた時のことだった。
「……ふぅ……これで包帯はオッケーです。出している薬はいつも通り一日三回、ちゃんと食後に飲んで下さい。治療経過も良好ですし、後はゆっくり身体を休ませて安静にしていれば、命に別状はない筈ですよ」
傷口の確認と包帯の巻き直しを終え、診察結果をアルテが報告する。
駄々広いベッドで二人並んで横になっているアルテの両親達はソレを黙って大人しく聞いていた。返事がないのはいつものことだ。
ただただ人形のようにアルテの診察を受け、拒絶も応答もしない。
最初こそ不安と落胆で一杯だったアルテも、今では慣れてしまった。「それじゃあ、また明日。同じ時間に来ますね」と、怪我人を刺激しないように微笑んで、扉へと足を向ける。
その時だった。
「…………アルテ……」
「ッ!!」
バッとアルテが顔を振り向ける。
いつもと同じ、仰向けになったまま静かに横たわっている父から、確かに名を呼ばれた。
六年ぶりの父の声にアルテは目元を赤らめる。
「な、何ですか?」
平静を装って、アルテがベッドに近付く。眼下にある二人の表情は厳しいものだった。
正直言って、アルテは父から何を言われるのかわからず、恐怖で手を震わせていた。
この一週間、両親から何の反応も返ってこないことに寂しさを感じていたのも事実だが、それ以上にアルテは安心していた。また拒絶されるのが堪らなく怖かったからだ。もう一度「必要のない子供だ」と突き付けられるくらいなら、無反応の方が全然マシだ。
だからこそアルテは、次に言われる父の言葉に目を固く瞑って待った。間違っても、幼少期のように思い上がって期待しないように。
しかし、父から発せられたのはアルテが思いも寄らない言葉だった。
「……“神の遣い”はどうなった?」
「……へ?…………」
思わず間抜けな声を返してしまう。
てっきりアルテ自身のことで何か言われると思っていた為、すぐには質問の意図が理解できず呆けてしまった。だがゆっくり考えれば意図もわかる。
アルテは慌てて「あ、えっと……」と口を開けた。
「帰って行きました。もう、父さんと母さんの命が狙われることは無いそうです……でも…………」
アルテが言い淀む。
一週間前、マイハに言われたことをアルテは思い出した。
……『もうドウォーク家はランゴの統治者じゃあない。生きていることがバレたら確実に殺される。ランゴを出る出ないは自由だけど、もう貴族としては生きていけないから、ちゃんとアルテから説明しときなよ』
マイハが葵に『仕事を代わりにやってやる』と取引を持ち掛けたのは、マイハとアルテを見逃して貰う為でもあるが、目的はそれだけではない。アルテの両親を生かす為だ。あのまま葵が仕事を自分でやっていれば、アルテの両親は殺され、葵が選んだ貴族が代わりにランゴを統治することになっていた。だからこそマイハは「ドウォーク夫妻の始末と後継選抜は私がしておく」と伝えたのである。
アルテの両親を秘密裏に生かし、ランゴの統治者がホーテーのような酷い貴族にならないようにする為の配慮だ。
だがしかし、ドウォークが貴族堕ちしたことに変わりはなく、見つかれば命はない。
アルテはその事を慎重に二人に話し始めた。
「……と、言う訳です。二人には、その……これからは一市民として隠居生活と言うか何と言うか……も、勿論二人がつつがなく暮らしていけるよう、俺も精一杯サポートさせて頂きますけど!つまりその!……もう、貴族ではありません…………」
しどろもどろになりながらも、何とかアルテは言うべきことを伝え終わる。久しぶりの会話の為、気を遣いまくった結果、かなり難解な説明をしてしまった。
「「…………」」
二人は何も言わない。
聞く前から薄々わかっていたのか、驚いた表情を見せることもなかった。
アルテはこれ以上何を話せば良いのかわからず、口を閉ざす。
部屋に沈黙がやって来た。
破ったのはアルテの父だ。
「……何故戻って来た?」
「え……」
アルテが俯けていた顔を上げる。両親二人分の視線が、真っ直ぐアルテを捉えていた。
「勘当を言い渡した筈だ。何故戻って来た……何故、助けた?……」
非難も喜びも感じない……抑揚のない声に、アルテはどう答えるべきかと一瞬頭を悩ませる。
しかし、すぐに考えるのを止めた。
……取り繕っちゃダメだ。本心を言わないと……もう後悔しない為に……!
アルテは瞳に決意の炎を燃やす。
そして「すみません」と、勢いよく頭を下げた。
「父さん達の言い付けを守らずに、勝手に屋敷に侵入したことは反省してます。本当にすみませんでした!俺、俺は……話をしたくて……父さん達に聞いて欲しいことがあって、ここに戻って来ました」
「何だ?」
「ッ!…………」
聞き返してくれたことに舞い上がりそうになって、アルテはグッと目に力を入れる。
一度大きく息を吸い込んでから、アルテは話を続けた。
「俺……ずっと、父さん達に認めて貰いたかった、です……ずっと、父さん達の自慢になりたくて……誇りになりたくて……不出来で意気地なしで、どうしようもない俺ですけど……ずっと俺……二人に……父さんと母さんに、愛されたかったです!ずっとッ!……父さんと母さんのことが好きなんです!!……だからお願いします!!俺のこと、もう一度『息子』と呼んでください!!!俺に認めて貰う機会をください!!」
再度頭を下げれば、アルテは返事が怖くて震える両手を押さえ付ける。
アルテにとっては数時間にも思える数秒が経った。
「……大工、医者、細工職人、服飾職人……今は料理人だったか?」
「……と、うさん?」
アルテが聞き返す。
今羅列されたのはただの職業ではない。アルテが今まで取った職人の資格だ。料理人に至っては、アルテがこれから資格を取ろうとしていた職種である。
「お前がドウォークを出てからも、この街で職人として働いていることは知っていた。定職せず、様々な分野に手を出していたのも知っている。報告を聞く度、『元貴族とは到底思えない』と落胆したものだ。お前が『ずっと貴族に認めて貰いたかった』と言うのであれば、もっと貴族として相応しい努力はなかったのかとも思う」
「…………」
アルテは思わず視線を床に落とす。
覚悟はしていたが、やはり認めて貰えないという事実を目の当たりにして、平気ではいられなかった。
ギュッとズボンの裾を握り締める。
アルテが口を噤む中、父が「だが」と更に続けた。
「どんな形であれ、お前は認めて貰う為の努力をしていたのだろう?この八年間、お前は勝手に機会を作ろうとしていた。なら、今更私達の許可など要らんだろう。好きにすれば良い。もう私達は貴族ではないんだ。どんな努力をしようとも、お前の努力が空回ることはない。なら勝手に頑張れば良いさ」
話が終わる。
アルテは惚けた表情で「それって」と声を震わせた。
「……それって、つまり……俺、まだ、諦めなくて良いってことですか?……まだ俺……父さん達に認めて貰える可能性があるってことで、良い、ですか?」
「『諦めろ』と言うのであれば、八年前の勘当でソレを伝えたつもりだった。だが、お前は諦めなかったんだろう?なら今更……勝手にしろと言ってるんだ」
突き放すような言葉。
しかしアルテは「それでも」と表情を綻ばせた。
「嬉しいです。『諦めなくて良い』と言われるのは、すごく……ありがとうございます!父さん、母さん」
深々と腰を折り、謝礼を告げるアルテ。
すると一呼吸間を置いて、アルテの父が「助かった」と小さく溢した。
「……お前が私達を『父』と呼び、『母』と呼び……見捨てなかったことで、今我々は生きている。だから……“息子”として帰って来てくれたこと……私達を見捨てずにいてくれたことに、心から感謝している。助かった。ありがとう」
「アルテ、ありがとうございます」
「ッ………………」
アルテの瞳から一筋、音もなく涙が流れ落ちた。
穏やかに目の前で笑う父の姿を今まで見たことがあっただろうか。母の柔らかい口調を聞いたことがあっただろうか。
両親に褒められたことが……お礼を言われたことが今まであっただろうか。
「ッ〜〜!!」
涙腺の限界だった。
止めどなく溢れて来る涙を、止める手段がアルテには見つからない。ついでに言えば、両親二人に掛ける言葉も見当たらない。
けれども、言いたい言葉はあった。
アルテは本日何度目かと言わんばかりに、ガバッと頭を下げた。
「ッ俺の方こそッ!……もう一度ッ、“息子”と呼んでくれて……ありがとうございます!!!」