取引
「久しぶりだね、葵。ヘタレな性格は治ったかな?」
まるで友達のように話し掛けるマイハ。対する葵はしばらく固まっていると、「はぁ〜〜〜〜」という大きな溜め息と共に膝から崩れ落ちた。
「もう嫌〜!何でボクが担当の時ばっかり〜!めんどくさいなぁ〜」
「!!?」
突然の駄々にアルテが盛大にハテナを飛ばす。対照的にマイハは慣れた様子で「全然治ってないね」と苦笑を漏らしていた。
「“七翼の恩災”もマイハも『見つけ次第殺せ』って言われてるんだけど〜!“恩災”はともかくマイハと殺り合うなんて嫌だよ。めんどくさい。この後、ドウォークの代わりの貴族も選ばないといけないのに〜」
葵が天を仰いで延々と愚痴を溢す中、マイハが今の内にとアルテに耳打ちをする。
「葵のことは私に任せて、今の内にお前はここから離れな」
「で、でもッ!」
アルテが待ったをかける。
相手は刀で腕を落とされようと、首を刎ねられようともピンピンしている化け物だ。いくら何でもマイハを一人残して逃げることはできない。
だがしかし、マイハは「気にしなくて良いよ」と笑う。
「葵に本気で闘うモードに入られたら、それこそ庇いきれなくなるからね。さっさと逃げな」
マイハが急かす。しかし、アルテは動こうとしない。
訝しむマイハに、アルテは真刀な表情で「父さん達を置いて行けません」と告げた。
「まだ息があるんです!早く手当てしないと……!」
「……助ける気?」
マイハが眉根を寄せる。
正直助ける価値を感じない。時間と労力の無駄だ。
だがアルテは真っ直ぐと強い意志を宿した瞳でマイハを見つめていた。
「はい!助けます!まだ俺……父さん達と何も話せてません!!」
アルテの気持ちは本物のようだ。
迷ってる時間はない。マイハは仕方ないなと小さく息を吐きながらも、無意識に口角を上げた。
そしてピィと軽く口笛を吹く。
すると一呼吸間を置いて、割れた窓から今度は狼姿のラキが飛び込んで来た。
「今度は何?」
「狼!?」
葵とアルテが同時に反応する。
構わず、マイハは「ラキ、アルテの母親を運びな」とラキに向けて指示を出した。
「アルテは父親の方だよ」
「は、はい!……え、今『ラキ』って……?」
「……二人が手遅れになっても良いなら、今すぐ説明してあげるけど?」
「今すぐ避難します!!」
慌てて自分の父親を担ぐアルテ。傷に障らないよう気をつけながら、母親をその背に乗せたラキの側まで駆け寄る。
「……逃すと思ってるの?」
「ッ!?」
すぐ近くで声が聞こえ、反射的にアルテが振り返る。いつの間にか懐に入っていた葵が、自身の刀を手に振りかぶっていた。
このままでは避け切れない。思わずアルテが目を瞑る。
しかし、唯一葵の速度に反応していたマイハが、葵の刀を鉄扇で受け止めていた。
「マイハさん!」
「早く行きな!魔力に集中すれば翼が出る!少しの間なら飛べるから、窓から出な!」
「はい!」
返事をすると同時に、走り出すアルテ。急いで窓まで駆けて行き、言われた通り魔力に意識を集中させる。マイハの言う通り、翼が背中に出現すればアルテは窓から飛び降りた。後を追ってラキも部屋から飛び出す。
残されたマイハと葵。対照的な表情で、二人は互いに見つめ合った。一方は勝気な笑み、もう一方は苛立ったようなジト目を向けている。
「……邪魔しないでよ、マイハ。ただでさえ面倒事が増えて嫌なのに……はぁ〜〜〜〜…………いっそ見なかったことにするから、マイハ帰ってくれない?」
葵がコテンと首を横に倒す。
アルテ達を追いかけるのは諦めて、ダメ元のおねだりのようだ。
当然敵対しているのだから、マイハはコレを一蹴……するでもなく、意味深に口角を上げると「良いよ」とあっさり頷いた。
「条件を呑んでくれたら、今殺し合うことはしない。ご褒美として、ドウォークの後継選抜も私がやってあげるよ。貴族リストあるでしょ?ドウォーク夫妻は私が始末してあげるし、代わりの貴族も私が選んであげるから、葵は報告だけしな」
「ほ、ホント!!?」
マイハの提案に、これまでの無気力さが嘘のように葵の瞳がキランと輝いた。
完全に乗り気のようである。
マイハはにこやかに「条件呑めるならね」と念押しした。
「条件何?」
「簡単だよ。今回だけで良いから、アルテ……“七翼の恩災”を見逃すこと。それと、他の“神の遣い”のメンバーや七賢聖に、私達に会ったことは黙っておくこと。この二つが守れるなら、葵の面倒事を綺麗さっぱり片付けてあげる」
「悪い話じゃないでしょ?」とマイハが笑いかけた。
「…………」
* * *
一方その頃。
家でもある洞穴に辿り着いたアルテ達は、ベッドの上に血塗れの両親二人を寝かせていた。
息が浅い。早く手を打たないと死んでしまうだろう。
アルテは急いで、救急セットを用意し始めた。
人型に戻ったラキだが、アルテにソレを突っ込んでいる余裕はない。
「…………」
アルテが真刀な面立ちで、医療器具をクルクルと持ち替える。
消毒をし、包帯を巻き、傷口を縫い合わせる。
どれくらい時間が経っただろうか。
「……ふぅ……終わった……」
額の汗を拭って、アルテが一息吐いた。
どうやら治療が終わったらしい。
父親も母親も、穏やかな息遣いに変わっていた。
「救えたのか?」
ラキが椅子の上に掛けられたタオルを、アルテの頭に被せながら尋ねる。
「い、一応……処置はうまくいった筈です……後は父さん達の体力次第かと……」
どこか歯切れの悪いアルテ。嘘を吐く性格ではない。ラキは不思議そうに「どうかしたのか?」と首を傾げた。
アルテは「あ、いえ……あの……」ともごもご口を動かしながら顔を俯けさせる。
「……すみません。俺の我儘に付き合わせてしまって」
『我儘』とは両親を助けたいと言ったことだろう。ただでさえ世界最凶と恐れ多い“神の遣い”の足止めをして貰っている状況で、いくら実の親と言えど愛情も恩恵も貰っていない相手を、マイハ達に迷惑かけてまで助けるなど自分勝手も甚だしい。
アルテは地面に額と手を付け、深く謝罪した。
それに対し、ラキは真顔ながらも温かい眼差しで「気にするな」と告げる。
「お嬢は不必要な人間まで助けたりしない。偶に変な気紛れで優しさを見せる時もあるが、基本は冷酷でドライな方だ。切羽詰まった状況で、お前の両親まで救うと決めたのなら、それはお嬢の判断だ。別にお前の我儘に付き合った訳じゃない。お嬢にそのことを謝れば『自意識過剰』とどつかれるぞ」
何処か突き放したような言い方だが、ラキなりの気遣いであることがアルテにはわかった。「ラキさん」とアルテがジーンと胸を押さえる。
「それに」とラキは続けた。
「人助けをすることは謝ることじゃない。例え相手が敵だろうと味方だろうと……悪人だろうと善人だろうと……人を助けたいと思う気持ちは決して悪いことじゃないさ。だから謝らなくて良い……胸を張ってれば良いんだ」
「!!……はい!」
アイルの言葉にアルテは笑顔で頷いた。
その直後、全くの無傷でマイハが洞穴に帰って来たのであった――。