得体の知れない存在
翼の生えた美少女に鷲掴みにされた父。その傍らではアルテの母がグッタリと血に濡れて倒れている。
「…………」
扉を開け放ったまま立ち尽くすアルテに少女が気付くと、「ん?」と振り返った。
「誰?お前……」
少女の精気を感じさせない瞳がアルテを射抜く。
アルテは身体の震えが止まらなかった。恐怖からではない。感じた事のない怒りによるものだ。
「……父さん……俺の……俺の父さんからその手を離してください!!」
アルテは拳を振りかぶって、少女に殴り掛かった。
「……はぁ…………」
少女が溜め息を一つ溢す。
少女が空いてる方の手をゆっくりと持ち上げアルテに翳せば、アルテの拳が少女に当たる前に、アルテの身体が勢いよく後方へと吹き飛んだ。
壁に激突したアルテは口から空気の塊を吐き出す。
……な、何だ?今の……全く見えなかった……一体何を……!?
目に見えない攻撃。だが確かに何かがアルテの身体を穿ってきた。
混乱するアルテを他所に、少女は怠そうに「あぁ」とアルテを指差した。
「お前か。捨てられたって言う『ドウォーク家の出来損ない』は……」
「ッ……そ、そう言う貴女は……“神の遣い”のッ……」
アルテがフラフラと立ち上がる。
少女はキョトンと小首を傾げると、あっさり口を開いた。
「?……香月葵だけど?」
葵と名乗った少女に、アルテは心の中で「やっぱり」と呟く。
……この人が“神の遣い”の一人……桁違いの魔力量だ……。
改めてビシビシと感じる人外じみた相手の強さに、アルテの頬を冷や汗が伝った。
そんなアルテの心情などどうでも良いのか、葵は「そんなことより」と話を戻す。
「捨てられた出来損ないが、今更この家に何の用?悪いんだけどさぁ、今からコイツら殺さなきゃだから、用なら無かったことにしてくれない?」
『殺す』……その言葉にピクリと反応すれば、アルテは明確な怒気を滲ませて葵を睨み付ける。
「な、何で……何で父さん達を殺さなきゃいけないんですか!?二人は貴女に何もしてない筈です!!」
アルテが叫べば、葵は面倒臭そうに眉を顰めた。そして「『何で』って」と答えてくれる。
「ボクに嘘を吐いたからだけど?」
「『嘘』……?」
「知ってるかもしれないけどボク、この家に跡取り問題を解決する為に来たんだよね。だから息子の所在を一応聞いた訳……そしたら、コイツらは『息子なら数年前に家出した』って。本当は勘当したのにさ」
何でもないように話す葵。
アルテは俯いた状態で震えたまま、「そんなことで?」と小さく漏らす。
「そんなくだらないことでッ!父さんと母さんを殺すつもりですか!!?」
「??『そんなこと』って、“神の遣い”に嘘を吐くのは七賢聖を憚るのと同義だよ。死罪なの知ってるでしょ?そもそも、何でそんなに怒ってるの?ボク、君に何かしたっけ?」
本当にアルテが怒っている原因がわからないらしい。不思議そうに小首を傾げる葵に、アルテがギュッと固く拳を握り締めた。
「……貴女は……本気で言ってるんですか!?」
アルテが鋭い眼差しを飛ばせば、葵は「えぇ……」と眉根を寄せて、そして何か思い付いたように「ああ」と両手を合わせた。そのまま片方の手で腰に提げていた刀を抜くと、アルテの足元に放り投げる。
「はい。ボクの刀貸してあげる」
「……な、何を……?」
困惑するアルテ。
対する葵は「ん?」と逆に疑問符を飛ばす。次の瞬間、信じられない発言を溢した。
「自分を捨てた両親を殺しに来たんじゃないの?それをボクに横取りされたから怒ってるんでしょ?トドメまだだから、代わりにさせてあげるよ。自分でやるの面倒だし……良かったね。あと少し遅かったら二人共死んでたよ」
「……………」
葵の言葉にアルテは押し黙った。
訂正することなく足元の刀を拾うと、静かに葵達に近付いていく。
残り数十センチという距離まで近付くと、アルテは手に持った刀を構えた。
葵はアルテの父親を前に突き出す。
「……ッ俺の父からその手を離してください!!」
「ッ!!?」
アルテが刀を振り下ろした先、そこにあったのはアルテの父の首ではなく、葵の腕であった。
確かに刀を振り切る感触。ドサッとアルテの父が床に転がった。
「なっ……ッ!?」
アルテが目を見開く。
確かに右腕を切り落とした筈なのに、葵の右肩から先がまるで液体のようにフヨフヨと歪に膨れ上がり、あっという間に元の白い腕が現れた。
……腕が元に戻った!?確かに肉を斬る感触じゃなかったですけど……!?
驚愕のあまりフリーズしてしまうアルテだが、そう余裕のある状況ではない。
何もなかったかのように五体満足のままアルテを見つめると、葵は「はぁ」と一つ溜め息を吐いた。
「意味わかんないんだけど……つまり死にたいってことで良いの?」
言いながら、葵が再び片手を持ち上げアルテの顔面に翳す。
アルテは刀を握る手に力を更に込めた。
「……確かに俺は父さん達に捨てられました。『必要ない』と言われました。すっごく辛くて悲しくて、苦しかったけど……それでも……父さん達がどう俺のことを思っていようと、俺にとっては今も昔も大切な唯一の家族なんです!!だからッ!……貴女なんかに!絶対殺させません!!!」
「ッ!?」
途端にアルテの身体が眩く光り出す。
思わず葵は目を瞑った。
光が小さくなって葵が瞼を開けると、目の前に立っているアルテの姿に目を剥いた。
「お前……その姿は……」
汚れの無い純白の翼が一対、今までは生えていなかったアルテの背に、確かに存在していた。
アルテはそのことに気付かず、ただ真っ直ぐ刀を構えて、葵のことを見据えている。
「……“背中の翼”……“光の魔力”……まさか本当に……」
ボソッと葵が呟いた。ギリッと奥歯を噛み締める。
今までは存在していなかった感情が、葵の無機質な瞳に宿っていた。
「お前がそうなんだ……“七翼の恩災”……本当に…………」
ブツブツと溢しながら、床に落とされた視線をギロリとアルテへ向ける。
初めて向けられた殺気に、アルテは反射的に身体を硬直させた。
「話が変わった……面倒だけど……お前、ムカつくから殺そ」
手の平をアルテへ突き出す葵。
アルテが表情を引き締めた……その時。
パリィインと大きな音を立てて、部屋の窓が派手に割れた。
「悪いけどさ」と凛とした声がアルテの鼓膜を震わす。
「そいつを殺させる訳にはいかないんだよね」
「マイハさん!!」
窓から入って来たマイハが片手に鉄扇を構えて、葵の首を躊躇なく斬り落とす。
そのままアルテを庇うように寄り添えば、首を失った葵の胴体へと視線を向けた。
「……『マイハ』……?」
右腕の時と同じように、切断部分が水飛沫と共に膨れ上がって頭部が再生する。寸分変わらぬ美しい顔立ちのまま、葵は突如現れたマイハの姿を視界に入れた。
そして……思いきり表情を顰める。
「……マイハ……」
「久しぶりだね、葵」
マイハと葵が対峙する。
その時アルテは漸く思い出した。
今日初めて会った筈の葵の顔に見覚えがあった理由……。
……マイハさんに似てるんだ……。