久しぶりの我が家
翌日。
雲一つない快晴は、新たな一日の始まりとして相応しいものであった。
洞穴から出たアルテ達は、街から少し離れた丘を見上げる。丘の頂上……立派な屋敷が建っていた。
ランゴ街を治める貴族、ドウォーク家の屋敷である。アルテの元実家だ。
アルテは一度深呼吸をした。
「……父さん……母さん……」
アルテが小さく呟く。
ふとアルテの脳内に、あの日の父親の言葉がフラッシュバックされた。
……『もう帰って来なくて良い』
途端にアルテの身体が小刻みに震え始める。足が固まってしまったかのように動かない。
アルテは自分の手を見つめた。情けないことに震えて力が入らない。
ここで動かなければ、もう二度と両親から認めて貰う機会が……愛される機会が失われる。しかし、自分から動けば、もう一度あの日のように傷付くかもしれないのだ。
もう二度と、あんな思いはしたくない。当たり前だ。
……やっぱり俺は……。
弱気になるアルテ。とその時、急にバシーンと背中を思いきり叩かれた。「痛ッ!!?」とアルテが悲鳴を漏らしながら振り返れば、マイハから「ほらほら」と声が掛けられる。
「肩の力を抜きたまえ、アルテ君。悔いを残さないんでしょ?」
「マイハさん……」
空気を軽くするように口調を変えたマイハの激励に、アルテがジーンと涙を浮かべる。
ゴシゴシと片腕で目元を拭えば、「はい」と力強く頷いた。背中からジンジン来る痛みのお陰か、身体の震えはいつの間にか消えている。
アルテは前へと足を踏み出した。
「今帰ります!父さん!母さん!」
* * *
「……本当、何で貴族の連中は揃いも揃って、こんなでかい屋敷に住みたがるのかねぇ」
丘の上のドウォーク邸の門前。
貴族の屋敷と言われるに相応しい豪邸を見上げて、マイハはジト目を向ける。ラキが「権力誇示の為じゃないですかね?」と苦笑いで応えるが、心の中ではマイハと同意見だった。
完全に緩い空気を纏っている二人。しかし、相反して二人の中心に立っているアルテは、その表情をガチガチに強張らせ固まっていた。
無理もない。数年ぶりの実家だ。
アルテは不安と緊張で鼓動を早めながらも、「そう言えば」とマイハ達に目を向ける。
「いくら元ドウォーク家の実子だとしても、多分俺の為に門を開けてくれるとは思えないんですけど……どうやって屋敷に入るつもりなんですか?」
アルテが最もな疑問を口にすれば、マイハはケロッとした表情で口を開いた。
「不法侵入に決まってるでしょ?」
「…………」
不法侵入……つまりは勝手に屋敷の中にお邪魔すると言うことだ。
薄々予想していたものの、アルテは苦笑いすら浮かべられず、数秒フリーズする。
「幸い門番はいねぇみてぇだ。簡単に侵入できそうですね、お嬢」
「……でも、屋敷の中から巨大な魔力を一つ感じる。これ……“神の遣い”の魔力だね」
魔力を感じることができないラキを諌めるように、マイハが告げる。
しかし、“神の遣い”が屋敷に居ることは想定内だ。どちらにせよ、マイハ達のやることは変わらない。
マイハはアルテに向き直った。
「さて……準備は良いかね?アルテ君」
「は、はい!」
「ここから先はお前一人だ。頑張っておいで」
マイハがアルテの頭の上に、ポンと片手を置く。
アルテは大きく息を吸い込んだ。そして自身の両頬をバシンと叩く。
「……それじゃあ……マイハさん、ラキさん!行ってきます!」
そうしてアルテは、屋敷の門を軽々ジャンプ一つで跳び越えたのであった。
* * *
屋敷の中に上手く侵入できたアルテは、屋敷の広い廊下を見据える。造りはシンプルだが、廊下の至る所に高級な調度品が並べられている。六年ぶりの実家だが、忘れたことはない。
アルテは迷うことなく廊下を進み出した。目指すは父の書斎……あの日、アルテが勘当を言い渡されたあの部屋である。
廊下を進み、階段を登り、屋敷の一番奥へと向かう。昔から使用人の目を盗んで廊下を移動していた為、何処をどう通れば誰にも見つからずに行けるかは記憶済みだ。
アルテは誰とも鉢合わせることなく、書斎へと辿り着いた。
扉の前でアルテは立ち尽くす。
取っ手に掛けた手が僅かに震えていた。心臓がドキドキと煩い。
アルテは一度目を瞑った。
……大丈夫……後悔しない為にも……父さんと母さんにちゃんと伝えるんだ……。
ゆっくり瞼を開けると、アルテはソッと扉を開けた。
* * *
「……………」
目の前の光景にアルテは絶句する。
赤い血が飛び散った本棚と机。床にも血溜まりが出来ており、ポタポタとほんの少しずつではあるが液量を増やしている。
「……父、さん……?……母、さん……?」
唖然とアルテが呟いた。
真紅の髪にこの世のモノとは思えない真っ青な瞳、そして背中を彩る紺碧の一対の翼。何処となく見覚えのある造り物めいた美しい顔立ちはまるで人形のようで、着ている風変わりな衣装も相まって、只者ではないオーラが漂う。
アルテの目には、血塗れになった自身の父親の顔面を鷲掴みにして持ち上げている、一人の美少女が映っていた――。