貴方の優しさ
「……という訳で、表向きには家出ってことになってますけど……本当は俺、勘当されたんです。必要ないって……」
「「………」」
数秒、洞穴内に沈黙が流れる。
最初に口を開いたのはラキだ。目を見開き驚愕した表情を浮かべて、「アルテ……」と恐る恐るその名を呼ぶ。
「……お前……“七翼の恩災”の一人だったのか?」
「「……」」
再び洞穴が静まり返った。
マイハとアルテは、言われてみれば確かに、ラキに“七翼の恩災”のことを話していないなと思い出す。
アルテがラキだけ仲間外れみたくしてしまったことをオロオロと慌てる中、マイハはあっけらかんと「そう言えば、ラキにはまだ言ってなかったねぇ」と笑った。
「お嬢、最重要事項でしょう。“七翼の恩災”の一人が見つかったなら、最初に言ってください」
ラキがジト目でマイハを見つめる。対するマイハは「お前のタイミングが悪いのが悪い」と全く反省してない。
まあ、マイハに反省の意を求める方が無駄というものなので、ラキはこれ以上文句を言うことなく、「それじゃあ」とアルテに視線を向けた。
「アルテへの勧誘ももう終わっちまったとか?船が完成次第、この街から出るんで?」
「あ、いえ……俺は……」
「まだ勧誘途中だよ。心残りがあるらしいからね」
アルテの言葉を遮って、マイハが告げる。その返しに、ラキが「心残り?」と首を傾げた。
親に捨てられ、街の人間にも見放され、この街にアルテの居場所はない筈である。普通に考えれば、街に心残りなどある訳ない。強いて考えられるなら、生まれ故郷であるということくらいか。だが、そんな浅い未練で、居心地の悪い場所に居座り続ける馬鹿は中々居ない。
二人揃ってアルテの心が読めず、アルテの返答を待つ。
アルテはしばらく口を閉ざして悩んでいたが、「ここまで話したんですから、今更ですよね」と眉根を下げて微笑んだ。
「馬鹿じゃないのかって、笑われるかもしれませんけど……俺、まだ諦め切れないんですよね。両親のこと……いつか、この街で職人として頑張ってたら、もう一度息子として迎え入れてくれるんじゃないかって……迎えに来てくれるんじゃないかって……だから、この街を出る訳に……というより、出たくないんですよね、俺が。女々しいかもしれませんけど、やっぱり実の親ですから。諦めたくないんですよね」
笑いながら話すアルテを、マイハもラキも何とも言えない表情で見つめる。マイハが「悪いけど」と口を開いた。
「……“神の遣い”が来てる。養子を取るにしろ、ドウォーク家を潰すにしろ、新たな後継が決まる。厳しいことを言うようだけど……今のままじゃ、お前はドウォーク家に戻ることはできないよ、一生」
マイハが淡々と告げた。
そんな事は勿論アルテにもわかっている。「“神の遣い”が来た」とマイハが言ってから、自分の望みは潰えたのだと理解していた。だが理解しているからと言って納得できるかと言われれば話は別だ。
アルテは顔を俯ける。
重い空気が場を支配する中、続けてマイハが「しょうがないなぁ」と呆れ口調で声を上げた。
「そんなに諦めたくないなら……新たな後継が決まる前に、今すぐドウォーク家の屋敷に乗り込めば良いよ」
「「ッ!!?」」
ぶっ飛んだマイハの提案に、アルテとラキが揃って目を見開く。
マイハは構わず続けた。
「認めてくれるのを待ってるだけじゃ、一生掛かってもお前はドウォーク家に戻れない。それなら……迎え入れて欲しいなら、自分から行くべきだよ。屋敷に乗り込んで、胸ぐら掴んで宣言すれば良い。『俺を認めて下さい』ってね」
「……む、『胸ぐら掴んで』……」
アルテが瞬きを繰り返しながら反芻する。
とてもじゃないが、認めて貰う人間の態度ではない。だが、マイハの言うことも最もだった。
ラキが「あんた、また無茶なことを」とマイハにジト目を向けている中、アルテは何故だか非常に清々しい気分になっていた。
……笑われるかと思ってた……。自分でもわかってる。俺の望みが滑稽で、愚かで、ただの夢物語だってことくらい。『さっさと諦めろ』って言われても当然だとすら思うのに……それでもこの人達は……。
アルテは自然と自身の口角が上がっていることに気付く。
「……そうですね。そうですよね。言われてみれば俺、父さん達に『認めて下さい』って一度も言ったことがありませんでした。だから、言ってみます。まだ怖いですけど、後悔しない為にも……頑張ってみます!」
アルテが握り拳をギュッと作る。その覚悟に、マイハは「よく言った」と今までにない程優しい微笑みを向けて、アルテの頭を撫で回した。
「相談料は倍返しね」
先程までの天女の笑みは何処へやら。すっかりいつもの腹黒い嘲笑へと変わったマイハに、アルテは一瞬キョトンとあどけない表情を浮かべる。
そして、マイハらしいなと心からの笑顔を見せたのであった。
* * *
決意を固めたは良いものの、夜も暮れていたので屋敷突入は明日の朝ということになった。
結局今晩泊まる宿を探していなかったマイハ達は、アルテの洞穴で一泊することにした。
「……」
皆が寝静まった深夜。アルテはふと目を覚ましてしまった。
辺りを見回して、普段は一人だけの空間に自分以外の誰かが居るという事実に、表情を緩める。
そして、気が付いた。
……マイハさんが居ない……?
アルテは立ち上がって洞穴の外へと向かった。
* * *
夜の海は真っ暗だった。何処までも光を呑み込んでしまいそうな暗黒を前に、マイハは一人座ってその黒を眺めていた。
アルテが後ろに来たことをすぐに察知すると、マイハは「何か用?」といつもの調子で振り返る。
アルテは少しだけホッとして、マイハのすぐ隣まで移動した。
「眠れないんですか?」
アルテが尋ねると、マイハは再び視線を海へと戻した。
「そうだね……眠るのは苦手なんだよ、昔から」
「………」
マイハの横顔があまりにも遠くを見つめていて、そのまま夜に消えてしまいそうな程儚く見える。
アルテは掛ける言葉が見当たらず、ただその横顔を眺めることしかできない。
「……お前こそ、眠れないんじゃない?」
とそこで、マイハがニヤニヤと揶揄うような笑みをアルテへ向けた。だが、アルテは言い返すこともなく照れたようにはにかむと、素直に「はい」と頷く。
「一度起きちゃったら、明日の事ばかり考えてしまって……眠れそうにありません」
アルテが空を見上げる。
泣いても笑っても、明日でアルテの夢物語が結末を迎える。現実になるか、はたまた夢のままで終わるのか。
空を見つめるアルテの表情は少しだけ強張っていた。
そんなアルテの表情を横目で見つめて、マイハはスタッと立ち上がると、クルリとアルテへと向き直った。
「大丈夫なんじゃない?明日がどうなるかはわかんないけどさ。どう転んだとしても、悔いが残らなければそれだけで満足するものだよ。人間の寿命なんて所詮短いんだから、思いのまま生きれば良い」
「……マイハさん……」
淡々とした口調だが、何処か温もりを感じるマイハの言葉に、アルテが表情を和らげる。
そして、アルテは「あ、あの」とずっと気になっていたことを尋ねた。
「どうしてマイハさん達は今日会ったばかりの俺に、こんなに優しくしてくれるんですか?“七翼の恩災”だとわかる前から、俺の話を親身に聞いてくれて……何故ですか?」
アルテは内心ドキドキしながらマイハの答えを待つ。対するマイハは苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。
「『優しい』……生まれて初めて言われたかも、そんな言葉……鳥肌立った」
「……」
予想と斜め上の反応にアルテは苦笑いを溢す。マイハの性格や口調からして『生まれて初めて』という事実に驚きはしないものの、『優しい』と言われてそれ程嫌悪感を抱ける者も珍しい。
アルテの心情など露知らず、マイハは両腕をさすりながら「寒気がする話だけど」と一応アルテの質問に答えてくれた。
「私は優しくしてるつもりなんて更々ないから……お前が優しくされてるって感じてるなら、それはお前の人柄のお陰だよ」
「えっ……?」
「私は何処かの誰かさんみたいに、分け隔てなく平等に接するなんてことできないからね。敵意には敵意を、慈愛には慈愛を……お前に優しいって言うなら、お前が私に対して優しい証拠だよ。ま、私に対してと言うより、お前の優しさは元来の性質だろうけど」
言い終わると、マイハは懐かしむように瞳を細めて、夜の海を再び見つめた。
そんなマイハに気付くことなく、アルテが恥ずかしそうに「俺の優しさなんて」と後頭部を掻いている。
マイハは思い出したかのように、「まあ」とアルテへと視線を戻した。
「明日は頑張りなよ。後悔を残さないように、ね」
「……はい!頑張ります!」
そうして夜が明けていったのであった――。