アルテの過去 前編
十八年前、俺はランゴ街を治める貴族……ドウォーク家の跡取り息子として生まれた。
今まで両親には中々子供が出来ず、既に俺を生んだ時には二人共かなりの年齢となっていた為、俺が最初で最後の子供だった。だからだろう。俺は両親から全ての期待を寄せられていた。
「アルテ!貴方は必ず立派な跡取りとなってちょうだい!」
「アルテ!失敗は許されない!私達両親の期待を決して裏切るな!」
物心つく前から言われ続けてきた言葉……。
愛情の代わりに、飲み込めない程の課題とマナー教育、プレッシャーを与えられた。
それでも俺は頑張っていたと思う。
両親に褒められたくて、愛されたくて、認めて貰いたくて……その為ならどんな勉強もレッスンも我慢できた。
だがしかし、俺は両親の期待に応えられる程出来が良くなかった。それは年を重ねれば重ねる程、顕著に目立ってきた。
「坊ちゃま!違います!何度言えばわかるんですか!?ナイフとフォークの持ち方はこう!使い方はこうです!」
「坊ちゃん!この問題は先週やったところですぞ!?同じ間違いを繰り返してはなりません!」
「坊ちゃん!」
「坊ちゃま!」
「「「やり直し!!」」」
家庭教師のおじさんや、マナーレッスンの先生にどれだけ怒られたかわからない。間違える度、落胆の溜め息を吐かれて、罪悪感に苛まれる日々を過ごしていた。それでも、頑張っていれば両親は認めてくれると、そう本気で信じていた。
〜 〜 〜
俺が七歳になって数ヶ月経ったある日の夜。
俺は中々寝付けず、広い廊下を歩いて眠気を待っていた。
「……母さんと父さんの声……?」
無意識のうちに両親の部屋近くまで来ていたらしい。薄らと開いた扉の隙間からは部屋の明かりが漏れていた。
ついつい会話が気になって、聞き耳を立てようと扉に近付く。
「……あまりにも出来が悪過ぎるッ!やっと出来た子がこんな出来損ないとは……」
父さんのがっかりした声に、ドキリと心臓が嫌な音を立てた。
全身から汗が出てくる。
「全くですわ。本当に……このまま跡取りとして充分な成績が出せないままでは、養子を取ることも考えませんと……」
母さんの声が聞こえる。
養子……他人の子供を家族として迎え入れることだ。
もし、本当に養子を取ることになれば……。
……俺は捨てられる……?
ふと頭を過ぎった言葉に、ズキンと胸が痛んだ。否、胸だけじゃない。
「……ッ!?」
突如背中に激痛が走る。
身体中にマグマみたいな熱い何かが駆け巡っているのがわかった。
「ッ〜〜〜!!!」
気がつけば、真っ暗だった廊下は太陽に照らされたかのように、光で満たされていた。
「何だッ!?」
「一体どうしたの!?」
目も開けられない程の閃光に驚いて、両親が部屋から飛び出して来る。
その時だった。
「……ッ!!……あ、“青い鳥”……?」
俺の目の前に紺碧の翼を持った鳥が一羽、宙に浮かんでいた。この世のモノとは思えない、真っ青な瞳が俺を射抜く。だがしかし、実体があるようには見えない。光の粒子で出来た幻影のような姿をしていた。
“青い鳥”はゆっくりと俺の目を見据えて口を開く。
『光の加護を受けし者……汝の目覚めと共に翼を授けん……我が望みを叶え給え』
直接脳に語り掛けられたかのように、鳥の声が頭の中を木霊する。神のお告げのように、告げるだけ告げて“青い鳥”はその姿をパッと消した。
廊下を照らしていた光も同時に収まる。
廊下に取り残されたのは、突然の出来事で思わず尻餅を付いてしまった情けない俺だけだった。
一体今のは何だったんだと、見上げていた視線を元の位置に戻すと、両親の唖然とした表情が視界に入った。
こんな夜遅くに部屋から出ていたとわかれば、叱られるかもしれない。俺は慌てて「あ、あの」と言い訳の文言を探した。しかし何か思い付く前に、父さんが「アルテ」と非常に動揺した声音で俺の名を呼んだ。
「と、父さん!すみません!こんな時間に部屋から出て……!中々眠れなくて、それで……すぐ部屋に戻るつもりでした!……だから、その……」
咄嗟に謝罪の言葉を口にする。だが、父さんも母さんも俺の声など耳に入っていないようで、口をあんぐり開けて、ただただ俺の背後を見つめていた。
いつもと様子の違う二人に「父さん?母さん?」と声を掛ける。
「……い、今の“青い鳥”は一体……否!そんなことより、アルテ!貴様、その背中の……」
父さんが目を吊り上げながら、俺の背中を指差す。
俺は背中へと顔を振り向けた。
そして頭の思考回路が一旦停止する。
部屋の照明が漏れているとはいえ、薄暗い夜の廊下でも一目で純白であるとわかる、真っ白な一対の翼が俺の背に生えていた。
「……………」
驚きで何も言葉が出ない。
けれども、純白の翼はすぐに俺の背から消失した。代わりにドッと身体が重くなり、疲労困憊と言わんばかりに全身が怠さに襲われる。
あまりに現実離れした出来事に目を白黒させていると、同じく驚愕した表情のまま父さんが「まさか……」とうわ言のように呟いた。
「そんな、まさか……否、あり得ない!!」
「と、父さん……?」
「アルテ!背中だ!背中を見せなさい!!」
「うわっ!!」
いきなり父さんに身体の向きをクルリと変えられ、寝巻きを引っ張り上げられる。何が何だかわからず、俺も背中を見ようと顔を後ろへ向けた。
先程の翼はもうない。
だがしかし、俺の視線の先……両親の部屋の窓に薄らとソレが映っているのが見えた。
先程翼が生えていた場所と同じところだろう。一対の翼の痣が、模様のように俺の背中に刻まれていた。
それを確認すると同時に、父さんの絶望した表情が視界に入る。
俺は思わずビクッと身体を震わせた。
「……と、父さん?」
恐る恐る声を掛ける。
黙り込んだ父さんの様子に、母さんですら少し怯えているようだった。
父さんは「アルテ」といつもの何倍も低い声で俺の名を呼んだ。
「お前は“七翼の恩災”の一人に選ばれたらしい……」
「“七翼の恩災”……って、伝説の?」
「ああ。七賢聖に害をなす最も恐ろしい犯罪者達だ!」
父の目が鋭く俺を睨み付ける。そして、俺の肩を痛いくらい強く掴んだ。
「良いか!?アルテ!絶対に自分が“七翼の恩災”であることを口にするな!!その魔力も隠し通せ!!お前には何の力もない!!ただのドウォーク家の跡取りだ!!絶対にバレるな!!もしバレれば……“七翼の恩災”がドウォーク家の人間の中に居ると知れれば……“神の遣い”の軍が私達を皆殺しにしに来る!!もうこれ以上私を失望させないでくれ!!わかったな!!?」
凄まじい剣幕に気圧されて、声も出せずただ首を縦に振る。
その後のことはよく覚えていない。
フラフラと重い身体に鞭打って、ボーッとした頭で自室のベッドまで戻って行った。
ただ、父さんの『これ以上失望させないでくれ』という言葉が、頭の中をグルグルと支配していた。
次の日から、両親の俺への態度は、今までとは比べ物にならない程厳しく……冷たくなっていった――。