第二王子
その翌日。
外は、相変わらず酷い雨だ。
それでも、昨日よりはマシなようだ。
昨日は伸ばした手の先ですら、降り注ぐ雨粒で見えない状況だった。
「突然の訪問で申し訳ない」
聞きなれない声が、耳に入る。
どうやら、諜報用にダンニル子爵家の屋敷に仕掛けた魔法から聞こえたようだ。
興味本位で遠見魔法を発動させる。
「……一体、どなたでしょうか?」
突然の訪問者に、けれども使用人は丁寧に応えた。
艶やかな銀色の髪は、室内の光に照らされて輝いて見える。
濡れたその銀髪は額に張り付き全体の顔は判別つかないけれども、鼻や唇等々造形から察するに、美しい顔立ちだ。
そして彼の身なりは明らかに良く、恐らく高位の者だろう。
使用人もそれが分かったからこそ、突然の訪問者にも関わらず、丁寧に接しているのだ。
後ろにいる護衛たちの存在も大きいかもしれないが。
「私は、ディラン・ドゥ・イデモンデだ」
そう言って、彼は前髪を後ろに避けた。
そして顕になったのは、鋭い目。
その中央に嵌め込まれているのは、どこまでも透き通った青色の瞳。
王家の血にのみ現れるという、水色にも近しい澄んだ青の瞳だ。
ザワリ、と一瞬場が騒めく。
「……第二王子様とは知らず、大変失礼致しました」
その場で一番に我に帰ったらしい従者を筆頭に、使用人が頭を下げた。
それからすぐに、奥から執事が現れる。
「お待たせ致しまして、申し訳ありません。……早急な提案で誠に恐縮ですが、まずは御身を温められるのは如何でしょうか?」
「すまない、助かる」
それから、執事は屋敷の奥へとディランを案内した。
風呂で体を温めた後、ディランは応接室でゆったりと温かい飲み物を飲みながら寛いでいた。
「……大変恐縮ではございますが、主人、ダンニル子爵は不在につき、私めが応対させて頂きます」
先程出迎えた執事が、ディランの前に姿を現す。
白髪はオールバックにされ、髪の毛一筋すら乱れをみせない。
管理が行き届いた、シワひとつない服。
老人に差し掛かるであろう年齢にも関わらず、ピンと背筋が伸び、隙のない動作だった。
「構わない。突然、訪問した私が悪い」
「……単刀直入でございますが、当家にはどのような目的で?」
そう問いかけた執事は柔和な笑みを浮かべているけれども、その瞳は油断なく相手を探ろうとするものだった。
「視察で近くを訪れていたのだが……。あの大雨にかち合って、避難して来た。丁度、ここに近づいていて、子爵家の者に聞きたいこともあったから、急遽、訪問させて貰った……という経緯だ」
ディランが苦笑いを浮かべる。
「……左様でございましたか。大変な旅路の中、御身が無事であること、お喜び申し上げます。そして天候が回復するまでの間、移動されることは危険かと存じますので、是非、当家に殿下の滞在という栄誉を頂けますと幸甚です」
そう言って、執事が頭を下げた。
「そうだな。よろしく頼む」
「有難うございます。誠心誠意努めさせて頂きます。……それから、当家に確認されたいことがあるとも仰っていましたが、果たしてどのようなことでしょうか? 私めが聞いて良いことであればお伺い致しますし、必要あらば、主人を呼び寄せます。尤も、天候が回復次第の移動になりましょうから、主人の到着は、数日あるいは十日以上はかかるかもしれません」
「ああ、別に隠すものではないし、君が応えられるのであれば、君が教えてくれれば良い。シンディー嬢は今、どこにいる?」
「……は?」
先ほどまでの分厚い仮面はどこへ行ったのやら、執事が呆けた表情を浮かべていた。
尤も、彼を馬鹿にすることはできない。
何せ私も、同じ表情を浮かべていたのだから。
「……殿下の仰るシンディー嬢とは、当子爵家の長女シンディー様でしょうか」
「そうだ」
「……シンディー様は五年前にお亡くなりになられています。記録上にも、そのようになっていたかと思いますが」
「ああ、この前見た時にはそうなっていた。だが、確かに数日前までシンディー・ル・ダンニルは各所に現れていたと記憶している。即ち、五年前に亡くなったシンディー嬢とは別の人物が、彼女の名前を騙っていたと考えているのだが……?」
「何故、この王子は貴女の存在を覚えているのですか?」
同じく遠見魔法で様子を見ていたアルフェが、焦ったように私に問いかけた。
「私だって知りたいさ……っ。私の存在は、国中から消した筈だぞ」
私も同じように焦りつつ応える。
そんな私たちの会話の横で、屋敷ではディランと執事の会話が繰り広げられていた。
「さ、さあ……当家としては、何とも……。どこかの方が貴族を騙り、何か詐欺行為をされているということでしょうか?」
「否、別に被害の報告があって捜査をしている、という訳ではない」
恐る恐る問いかけたといった体の執事とは対照的に、ディランは楽しそうに笑って応えた。
「だが、ダンニル子爵や、或いは婚約者であるアーキン伯爵子息と公式の場に、ついこの前まで現れていた筈なんだ。それなのに、いつの間にか、五年前に死んだことになっていた。そして、それを誰も疑問にも思っていない」
口角が上がっているのとは対照的に、酷く冷めた視線。それが、とても恐ろしく映る。
「私がおかしくなったのか、それとも周りがおかしくなったのか。……果たして、どちらなのだろうな?」
「は、はあ…….」
執事も圧倒されたのか、表情を取り繕うことも叶わない。
「ここに来れば、直近の彼女の痕跡があるかもしれない、と思った。故人を暴くようで申し訳ないが、彼女の部屋を訪れさせて頂いても?」
マズイ、と咄嗟に思った。
痕跡は消している。それには自信があった。
けれども、完全ではない。
例えば、部屋。
主人なき部屋でも掃除すると言えばそれまでだが、まるでつい最近まで使われていたかのように清潔なまま。
例えば、別邸の台所。
食材は、幾つか残っていた筈だ。
他にも色々、一つ一つは大した綻びではないかもしれないけれども、疑いの眼差しで見れば、つい昨日まで使っていたことを勘付く要素はある。
パチンと指を叩いた。
瞬間、景色がそれまで眺めていたダンニル子爵家の応接室に変わる。
「な、何……も……の……」
執事が叫び切る前に、再びパチンと指を叩いた。
そうすれば、その場でパタリと倒れ込む。
彼だけではない。
屋敷中に魔法をかけた為、今、この屋敷で動いているのは私とアルフェだけだ。
まずはディランの記憶操作を行おうとして……固まった。
「ああ、やっぱり。君、生きているじゃないか」
何故か、ディランは意識を保っている。
もう一度、指を鳴らして魔法をかけた。
今度は範囲を彼に絞り、その代わり、より強力な魔法を。
「それ、何か意味があるのか?……そういえば、指を鳴らした途端、彼が倒れていたな」
「……どうして……?」
もう一度、指を鳴らす。
けれども、状況は変わらない。
「どうして、どうして……」
「落ち着いて下さい、クローディア」
見かねたアルフェが、私を止める。
「へぇ……喋る猫なんて、存在するのか。面白い、もう一度喋ってくれないか?」
ディランは目をキラキラ輝かせながら、アルフェを見つめていた。
先ほどまでの冷めた目とは大違いだ。
興奮した様子の彼とは対照的に、私は落ち着きを取り戻しつつある。
「……アルフェ、ありがとう。君のおかげで落ち着いたよ。………それに、何故殿下が意識を保っているのかも分かった」
「礼を言われるほどのことでは。私も、この方の発言を聞いて、理解しましたよ」
どうやら、私とアルフェは同じ答えに辿り着いたようだ。
……即ち、ディランが、非魔法使い一族から生まれた、魔力持ちという稀有な存在であることを。