帰郷
そして、その翌日。
「良い天気だな……」
吸い込まれるような青い空には、雲ひとつない。
「……何故、王都から領地に帰ってきたか、伺っても?」
窓にへばりつくようにして天気を眺めている私に、アルフェが呆れたように問いかけてきた。
「ん?ああ、ほら……片付けたいことがあるって、昨日言っただろう?あれ、シンディーとしてやりかけた仕事なんだ」
「馬鹿なんですか?貴方、もうシンディーとは関係ないでしょうに」
「そうなんだけどなぁ……出発する前に、身の回りは綺麗にしておきたいだろう?このままやり残したら、先々気になって仕方なくなるだろうし…….」
「…….別に、貴女がそうしたいならすれば良いですよ。私に止める権利はありませんので」
ぷいっと、アルフェが顔を背けた。
彼なりに、私を心配してくれているのだろう。
「……ただ、貴女がどんなにこの領地に貢献しようが、報われることは絶対にない。それなのに、何故、貴女はそうも領地を気にかけているのでしょうか?」
「……さてね。……強いて言えば、お礼かな」
自然と、口角が上がった。
「……?お礼?」
「そう。……色々嫌なこともあったけど、それでもやっぱり、シンディーとして暮らしていた五年は楽しかったんだ。だから、そのお礼」
アルフェはそれ以上、問いを重ねることはなかった。
私はこれ幸いにと、動き出す。
まず、領主であるダンニル子爵家の屋敷に侵入した。
使用人たちはいつも通りいるが、主人であるダンニル子爵一族の者はいない。
今頃、彼らは王都のタウンハウスで過ごしていることだろう。
そのまま使用人たちの目を掻い潜って、当主の執務室に入った。
迷う事なく到着したのは、勿論、勝手知ったる家だからこそだ。
机の上に置かれた書類を斜め読みする。
「ふうん……記憶操作と偽装の魔法は、上手く作用していますね」
後ろから同じ書類を見ていたアルフェが、小さく呟いた。
「おや、私が魔法を失敗するとでも?」
「そうは言いませんが、やはり範囲と対象が多かったので。…これらの書類一つ一つも、貴女の痕跡を失くす為に、全て魔法で子爵がしたことに書き換えたのでしょう?」
昨日、皆の記憶からこの五年間のシンディー……つまり、私という偽物の記憶を消している。
そしてその代わり、本物のシンディーが五年前に亡くなったという記憶を蘇らせた。
そしてそれと合わせて、偽物が存在していたという痕跡を消さなければならなかった。
その一つが、今まさに読んでいる書類だ。
「そうだよ。書類に魔法を仕込んでいたのは、万が一のための備えだったのだけど……まさか、必要になるとはね。人生、何が起こるか分からないものだ」
「それは仰る通りですね。……今だから言えますが、逃亡中の潜入先としては最高でしたが、それでもよくこの環境で暮らしていましたね」
「ん?どういうこと?」
「本物の頃から、明らかにシンディーは冷遇されていたじゃないですか。一人だけ、別邸暮らし。食事は貧相、使用人の数も少ない」
「こんな無駄な装飾が多い家より、別邸の方が機能的で素敵だろう?」
「それはそうですけど。……あのアデルとかいう義妹に比べて、外出は制限されてましたし」
「普通に暮らす分には制限されてなかったじゃないか。パーティーだとかクラブの集まりだとか、お貴族様たちが好んで行くようなところだけ。その辺りは興味なかったから、別に良い」
「その癖、シンディーは仕事だけどんどん積み上がっていきましたよね。アデルなんて、毎日毎夜、遊び回っていたようですけど」
「ベルディオの任務やら訓練よりは拘束時間も内容もマシだな」
「もう、先程から何なんですか!そりゃ、貴女が良いと思うなら良いですけど……でも、使い魔の身としては、主人がコケにされているようで嫌だったんですけど」
アルフェの怒りに、思わず笑ってしまった。
「心配してくれて、ありがとう。でも、本当に問題なかったんだ。ベルディオにいた頃に比べれば、本当に天国のような生活だった。強いて言えば、気掛かりなのは本物のシンディー様かな。彼女、あれだけあからさまに冷遇されていて…….幸せだったのか」
「死者に口はありません。どれだけ彼女の心情を推し量ろうと想い馳せようとしても、それは単に貴女の想像でしかありませんよ」
溜息混じりにアルフェが呟く。
「君の言う通りだな」
私は苦笑を浮かべつつ、目を瞑った。
思い出すのは、私の記憶にある中で、一番美しい光景。
「……彼女はとても、美しい人だったよ。ああ、勿論顔だけの話じゃなくて、心も。だから、きっと誰かを恨むことなく、ここで幸せに暮らしたんだろう。どうせ事実が奈落の奥底にしかないのであれば、私は勝手にそう思うことにするよ」
「?……本物のシンディーと、知り合いだったんですか?」
「会ったことはあるよ」
「いつの間に?」
「昔、ちょっと縁があって」
「へぇ…….素晴らしい偶然ですね、と言いたいところですが…….偶然、ですか?」
「さあ?それこそ、想像に任せるよ」
「生者とであれば、まずは対話で確認すべきでは?」
「ズケズケと心に踏み込む殿方は、嫌われるものだぞ。気をつけな、アルフェ」
私の言葉に、やれやれと言わんばかりにアルフェが溜息を再度吐く。
「……それで。書類を確認してどうされるのです?」
「川の治水工事の状況を確認したかったんだ」
「川……ああ、デイル川ですか?」
「そう、あの暴れ馬ならぬ暴れ川。シンディーの時、川の幅を広げることと、堤防の建造を計画したんだ。もう工事も着手されてるんだけど……ちょっと雲行きが怪しいかな、と」
「治水工事の反対派でもいるのですか?それとも、誰かが予算を横領している?あるいは、何かしら工事で事故があったとか?」
「いやいや……含みは一切なくて、本当に語句の通り天気の話」
「……何か、問題でも?」
「空を読んだら、酷い雨雲が発生していたんだ。五日後ぐらいには到達する見込み」
『空を読む』とは、魔法で空よりも高い視点から空を観測し、未来の天気を予測するということだ。
祖国では、建国当初から空模様と天気のデータを蓄積し続け、国民に常にそのデータは開放されていた。
お陰で祖国では、学べば誰でも天気の予測ができる。
「そんなに警戒する程なんですか?」
「ああ、そうだよ。低地では、酷い水害が発生するだろう。雨雲の進路を踏まえると、隣の伯爵領も危ないと思うな」
「はぁ……そんなに、ですか。それで、まさか貴女が魔法で工事を終わらせるとでも?」
「まさに、それ。ほぼ終っていて、完成は見えているんだ。とりあえず不格好でも良いから、緊急措置として補完しておこうかなって」
「ああ、なるほど………」
「という訳で今から現場に行くけど、君も行く?」
「ええ、そうします」
アルフェが同意したのと同時に、指をパチンと叩く。
瞬間、目の前の景色が変わった。
工事中故か、人が多い。
空を見上げれば、どこまでも吸い込まれそうな青い空。
とてもじゃないが、大雨が降りそうな景色ではない。
もう一度、パチンと手を叩く。
その場にいた人たちがピタリと一瞬止まったかと思えば、次々とその場を離れて行った。
フワリと浮いて、堤防の上に立つ。
そしてその場に座り込むと、ポンポンと地面を手で叩いた。
そうすると、途中で切れていたそれが、あっという間に完成した。
「はい、これで完成」
「これ、わざわざ発注する必要ありました?貴女が魔法で作れば早かったじゃないですか」
「それは確かにそうだね。でも、皆に任せれば雇用創出にもなるだろう?」
「そんなものなんですか」
そんな軽口を叩きつつ、もう一度子爵家に戻る。そして再び執務室に侵入した。
「後は、各地の備蓄量を確認して……と」
それから積み残した他の仕事を片付ける。
そうして全てが終わってから、宿泊している宿に戻った。
……そして、それから三日後。
窓から景色を見れば、強い雨が降っていた。
空を見上げると、暗くて重い雲に覆われている。
「……使い魔として初めて知りましたが、凄い精度の空読みですね」
「ありがとう。でも、災害なんてないに越したことはないから………外れてくれた方が良かったけど」
「……本当に? ちなみに隣の伯爵領に関してですが、被害が甚大でした。それも、貴女の予想通りですね」
「まさか、わざわざ確かめたのか?」
「ええ、気になりましたので」
「今も雨は止んでないみたいだから、被害は拡大しそうだな。あの領地、領収が農業の依存してるから、今年はかなり厳しそう」
「一時は婚約を交わした男の家を、助けないのですか?」
ふと、バートの顔を思い出す。
残念なことに、思い浮かぶのは義妹との浮気現場だった。
「捨てられ、婚約破棄をしたのに?」
「ダンニル子爵家に冷遇されていたのに、わざわざ縁を切った後も助けていましたので」
「私だって、誰も彼も助けるようなお人好しでもないよ」
「そんなものですか」
「そんなものだ」
ぼうっと、外を眺めたまま会話を交わす。
酷い雨だ。
けれども遠見の魔法で見る限り、今のところデイル川は何とか持ち堪えている。
「……ところで、いつまでこの街にいるんですか?」
「あと五日、ってところかな。雨が止んでから被害がないか、被害があったら初動ぐらいは手助けしたい」
「そうですか……じゃあ、暫くは暇な時間を過ごせますね」
「そうだなぁ……シンディーじゃない今、新たな仕事がある訳でもないし、暇だね」
アルフェの言った通り、今日は本当に暇。
ただのんびりと本を読んで、たまに外の景色を眺めながらアルフぇと会話を交わしている。
そうして、領地を見守り続けた。




