魔法少女二人組の話。
1
トタトタっと廊下を元気に走る音が近づいてくる。
「ミリールお母さん! あのねっ、……あ!」
「どうしたの、リリ。そんなに慌てて」
「ミリールお母さん今日もお菓子作ってる! いい匂い……おいしそー。ね、一つだけ食べてもいい?」
「だめよ。またご飯入らなくなるんだからその後にしなさい」
ついつい甘やかしたくなる気持ちを抑え、ミリールは愛娘から焼き立てのクッキーが入った皿を遠ざけた。
「ねーいっこだけ! おねがい!」
そう言って上目遣いであざとくお願いしてくるリリが、よく知る誰かさんに見えた気がしてミリールは思わず口を綻ばせる。それでもと、意志の固いミリールは心を鬼にして───
「うーん……じゃあ一個よ?」
「やった!」
しきれなかった。まあ無邪気にクッキーを頬張るリリに癒されたので今日のところは見逃そう。今日のところは。
「そういえば、あなた何か用があったんじゃないの?」
「はむはむ……ごくん。そうだ、すっかりクッキーに気をとられちゃってた。ミリールお母さんっ! 二人が若い頃のお話し聞かせて!」
「べ、別にいいけど……笑ったら今日はクッキー禁止なんだから」
「わかった―」
「あたしたちが出会ったのは───」
十年ほど前のことなのに、今でも鮮明に思い出されるあの日。ミリールの人生を大きく変えてくれた少女の背中から、物語は始まったのだった。
2
「───ッッ」
「は、あああっ!!」
その刹那、口の端から涎を垂らして襲い掛かってくる魔獣が鋭い氷杭によって、木の幹に釘付けられた。鳥肌が立つほど不愉快な断末魔をあげて、狼のような見た目の魔獣は息の根を止めた。
「これで三体目……この付近は凶暴な魔獣が多いわ」
薄紫のツインテールを揺らし、鋭い目つきの美少女───ミリールは額の汗を手の甲で拭った。 ミリールは今しがた放った魔法で倒した魔獣に近づき、そっと腹の上に手をかざした。するとミリールの手のひらを通じて緑色の淡い光が魔獣を包み、やがて魔獣もろとも静かに消滅する。
これは『魔法少女』特有の能力で、魔獣がまとう濁ったマナを浄化することができる。この工程があることによって、本当の意味で魔獣は死に至る。逆に言えば『魔法少女』ではない者には魔獣を根から絶やすことは不可能というわけだ。
「いくらマナが無限に使えるって言っても体力の限界があるのよね。今日は考えなしに打ちまくったから正直しんどいわ」
ふと油断した、その時だった。目と鼻の先に鋭い牙を生やした大口が見えたのは。今から魔法を発動しても間に合わない。
「───ぁ」
「大丈夫だった? ここは私に任せてね」
ミリールの前に一人の少女が背を向けて立っていた。桃色の髪を高い位置で括り、ミリールと似たような奇抜な衣装を身に纏った謎の人物。彼女はそう言うと、地面が大きく割れる程の力強い踏み込みとともに視界から消えた。
「た、助けられたの……? 誰なの、あの子。この森には結界があるのにどうやってここに……」
「ねえ、大丈夫だったー? 怪我とかしてない?」
「え、ええ怪我はもう治したわ……って、え!?さっきの魔獣はどうしたのよ! ここで逃がしたら周りの村に被害が!」
さっき見送ったはずの少女が飄々とした態度で話しかけてきたことに驚き、ミリールはつい声を荒げてしまう。そんな必死なミリールの様子を見た桃色髪の少女は何のつもりか、手を差し伸べてきた。近くでよく見るとあどけなさを残した端正な顔の美少女だ。
「ちゃんと敵は倒したから安心してね。 ねえ、知ってた? 私もあなたと同じ『魔法少女』なんだ」
そして、ミリールの前にすっと手を差し伸べて美少女は言った。
「───私と一緒に旅をしませんか? 可愛いお嬢さん」
そんな、衝撃の発言を聞いて啞然とした顔をするミリールに桃色髪の美少女はにっこりと微笑んだ。
「ちょ、ちょっと、離しなさいよ! どこに連れて行くつもり……痛っ、力強いわよ! もう逃げないからっ」
あの後、桃色髪の美少女を関わってはいけない人だと判断したミリールは一目散に逃走を諮ったが、体力のなさが災いして一瞬で捕まった。本当に一瞬だった。それから「ついてきて」と言ったきり無言の彼女に腕を掴まれ、近くの村で連れまわされ、今に至る。
「はあっ、なん、のつもり、よ。大体あなた本当に『魔法少女』なの? 嘘ついてない?」
「『魔法少女』であってるよ。だって、ほら」
怪しむミリールの前に、桃色髪の少女はペンダントのような物を見せてきた。
「リフェ、十六歳、職業『魔法少女』……確かにこれは『魔法少女』の身分を国が証明する証……」
「ふふん、私は国のお墨付きの身分なのだ」
「それはお互い様じゃない。……ところで、さっきの話は」
「───! ミリール、一緒に旅してくれるの!? やった、一人旅は寂しいもんねっ。そうとなれば……」
「───っ。やめてよ。勝手に話を進めないで。あたしに構わないで!」
ああ、またやってしまった。自分でもよくわからないくらいに、ミリールは不器用だ。わざとではないのに人を遠ざけてしまう。結果、『魔法少女』なのに誰からも愛されない。きっとそれはもう、目の前の少女にも同じことで。
「あたしはひとりがいいの……もう、あたしに構おうとしないで」
希望を全く抱いていなかったといえば噓になる。同じ『魔法少女』同士ならミリールのことを理解して友達になってくれるのではないかと。
ミリールは、もう見慣れてしまった、異物を見るような顔を拝もうとゆっくりと顔を上げて───。
「ミリール急に俯いてどうしたの? 血臭で気持ち悪いの?」
「は……?」
あんなに強い口調で言ってしまったのにも関わらず、リフェの態度は何ら変わっていなかった。それどころか幼子にするように、ミリールの頭を優しくなでてくる。
「私はミリールのこと、ちゃんとわかってるから。安心してね。」
何を知ったように言ってくれるのか。
リフェを引き離そうとしたのは、ミリールのせいでリフェまでもが人々から冷たい視線を向けられるのを心配しての事だ。でも
「ミリールは優しいね。……好きだなぁ」
「はあ? 何て言ったの、よ!?」
リフェの言葉に耳まで顔を赤らめていたミリールは、急にリフェに抱き着かれた。いきなりのことに動転してさらに顔が熱くなる。
「んふふ、内緒っ」
「な、何なの……」
「それはそうとして、これからよろしくねミリール」
向き合ったリフェの、吸い込まれるような緋色の瞳に真っ直ぐミリールが映っていたのがとても印象的だった。
3
「と、いう事で初めての共同作業だね!」
「そんなこと言って足を引っ張らないでよね」
前衛で構える姿勢のリフェの横顔は真剣で、戦闘慣れしている雰囲気を漂わせていた。
「来た! ミリール、最初にえげつないのぶち込んでやって!」
「言われなくてもわかってるわよ!!」
ミリールは己の身長と同じくらいの大きい杖を強く握る。そしてその杖にはめ込まれた巨大な魔石に、大気中のマナを吸引させることに意識を集中させた。
「────ッ」
森林に凄まじい轟音が響き、焦げ臭い臭いが発生する。ミリールが遠距離から放った青く燃える炎が、熊のような見た目をした魔獣を一瞬で燃え上がらせたのだ。普通の獣ならこの威力を前にして焼死体でもいいところだ。でもこいつら魔獣はそんな可愛げなんてない。
「だから、嫌いなのよ」
幻想的な青い炎に包まれる魔獣の腹部に水属性と風属性の魔法の融合で威力を増したリフェの拳が思いきり叩き込まれ、魔獣は撃沈した。
ミリール一人ならば、かなり苦戦したであろう相手だった。なのに、リフェが参戦しただけでこう、いとも簡単に勝てるなんて。そう思うと、何だか胸が苦しくなってくる。
「すごいじゃない、ミリール! 期待以上だよ! あんなに上級の魔法が使えるなんて、私の審美眼に狂いはなかった!」
「……べ、別にあんたなんかに褒められてもうれしくなんてないわよ。それよりリフェの攻撃手段! 何なのアレは」
先程、リフェは杖ではなく手に魔法をまとわせていた。それも見たことがない合成魔法を。
「その話はまた後日。それでー、ねえ知ってた? 私、ミリールを誘ったのにはちゃんとした理由があるんだよ」
「理由……? 軽率じゃなかったの」
「ほら私とミリールって近距離攻撃型と遠距離攻撃型でしょう? だから戦闘バランス的に丁度いいかなって」
驚いた。リフェは思っていたより周りが見えている。
「これから三年間、『魔法少女』でなくなるまでよろしくね、ミリール」
「初耳よ!? ……でも別にいいわ。あたし
が『魔法少女』じゃなくなる十九歳までこき使ってあげる」
見つめ合う緋色と瑠璃の視線が交差する。ここで初めてミリールはリフェに笑顔を見せた。
その不敵な笑みに見える顔を見てリフェは耐えきれなくなったように噴き出した。
「ふふ、もう。素直じゃないなあ。そういうとこ好きだよ、ミリール」
「なあっ!? ……あたしはあんたのことなんて何とも思ってないわよ!」
そう言いながらどんどん顔が熱くなっていくのをミリールは感じ、嘆息した。
4
黄色い砂が風に吹かれ、砂埃が辺りに吹き荒れる。どれほど払っても、服と肌の隙間に入り込んでくる砂をミリールはもう気にしないようになっていた。
「私、サーハル砂漠だけは行きたくないって言ったのにな~。見て肌がかさついてる」
「しょうがないでしょ。砂漠を越えた先に件の町があるのよ」
視界がほとんど砂埃で遮られた状態かつお互い身体の隠せる所は全て隠したミイラ状態のため、そんなことは確認できない。と、リフェに返すほどミリールの体力は残ってなかった。
「だからとっとと終わらせるわよ」
「おりゃりゃりゃりゃーっ!!」
安定しない砂を踏み込み、トカゲ型の魔獣に連続パンチをくらわしたリフェが先陣を切った。
削れて、崩れて、砕けていく。
5
可愛らしい色の花弁が舞い、足元を怖いほど澄んだ水で敷き詰めた異空間。どこを見ても目に入る花はサクラ、というらしい。
「それにしても本当に不思議な場所だね。夜空がこんなにも綺麗に再現されてるなんて」
「あたしはマナの濃度が濃すぎて頭が痛いわ……ここで魔法を放ったら身体へ負荷がどうなるか分からないし」
鏡のように澄んだ果てしない水たまりも、星々まで忠実に再現された夜空も、異界の木々も、この神秘的な空間も、全てがマナによって構成されている。つまり敵はこちらと同等か、それ以上の魔力を持つ厄介な相手ということ。
「ミリール、無茶はダメだよ」
「分かってるわ」
わずかな詠唱をミリールが口にすると、敵の足元にその巨体を青白い光で包み込む大規模な魔法陣が出現する。三年間の努力の結晶ともいえるし、これから先の対価ともいえる代物だ。
「眠りなさい、邪精霊」
次の瞬間、目を閉じていてもまぶしいほどの光が、視界を灼いた。
溢れて、散って、もう元には戻れなくなる。
6
「───ここ、は」
「宿だよ。……ミリールお疲れ様。よく頑張ったね、偉いよ」
知らない天井と、ここ数年ですっかり見慣れた顔が寝起きの視界に飛び込んできた。見慣れたリフェの瞳は今までに見たことがないくらいうるんでいた。状況を理解した。
「……ごめんなさい。あたし最後まで足手まといになったのね」
胸に空いた空洞に風が吹き荒れる。この感覚はいつも、リフェに笑いかけられたときにミリールを蝕む。
「───足手まとい? まさか。ミリールがいたから勝てたんだよ。一番の功労者は君だ」
ミリールをきづかってくれるリフェには本当に頭が上がらない。何度この優しさに助けられたことか。思えば二人の出会いもそこから始まって───。
「ねえ、話聞いてた? ミリール」
「え! あ……ちょっと考え事してたわ。なんて言ったの?」
「もう。私たちって今回の戦いで契約が切れたでしょ? だから───」
今、一番聞きたくない話題だった。わかっていたことなのに、脳が理解を阻む。
「……でね、私はこのまま王国の近衛騎士団に入ろうと思うんだけど」
リフェはもう目の前のことを考えている。どこまでも前向きで、本当に眩しい。そのまぶしさにミリールはずっと憧れていたのかもしれない。だからこそ
「……うん。今までありがとう、リフェ。近衛に入ってもあんたならきっと即戦力になれるわよ」
ただの旅仲間の祝福をしただけでこんなにも寂しくなってしまうなんて。
「……あんたがいなくなったら、あたしも『魔法少女』やめるしかないじゃない」
「ミリール?」
こんなの、ミリールの勝手な気持ちだとわかっているのに言わないとおかしくなりそうだった。きっと今までの不意に感じる寂しさもリフェと離れる期限が迫っていることへの不安からだったのだろう。
でも、もうこれ以上彼女に負担はかけられない。
「リフェ、あたしは……」
「───ねえ、知ってた? 私、ミリールのこと、大好きなんだよ。世界でミリールが一番好きで、ずっとずっと、愛してるの」
「そ、んなこと……そんな訳!」
「そんなわけあるの。私はずっと本気なんだから」
寝台の上で隣に座るミリールの細い肩をそっと抱く。
「他人優先で優しすぎる所も、お菓子作るのが上手い所も、好き」
どこから出したのか金色のブレスレットをミリールの腕にそっとはめ、リフェは言う。
「私とこれから先ずっと、ずうっと一緒にいてくれますか」
「……っ! ばか、ほんとバカ。もう……そんなの断るわけないじゃない」
誓いの抱擁を交わす二人を月だけが見守っていた。
7
「───で、その後わたしを引き取ってくれたんだよね」
「そうよ。出会ったばかりのあなたは捨て猫みたいだったのに、今では生意気な飼い猫になったわね」
「ひどいわ! リフェお母さんに言いつけちゃうんだから!」
ぽかぽかと軽い拳をぶつけててくるリリの頭をミリールは優しく何度も撫でた。
「まあでも、今あたし一番幸せだもの。終わり良ければすべてよしよね」
「もう。惚気聞かされる娘の気持ちにもなってよね」
この後、仕事帰りの元『魔法少女』が甘い匂いを求めて家に飛び込み、三人の賑やかな声が聞こえてくるのはまた、別の話。
自分が好きな要素をほぼぶち込んだだけのものです。魔法少女っていいよね。
この世界では婚姻の印にブレスレットを渡すらしいです。また『魔法少女』と冒険者のなかの特殊なジョブみたいなものです。