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取り巻きC嬢の断罪

作者: 藤野


 拝啓 お星様になった父上様、母上様。

 もうお顔も覚えておりませんが、あなた方の娘は今、何の因果か――


「トリシャ・バーチェッタ。貴様の度重なる悪事の数々、もう見逃すわけにはいかない!」


 ――王太子の婚約者……の、取り巻きCに擬態しております。


 ティーカップを傾けていたトリシャ様のほっそりと美しい手の動きが止まった。

 長い睫の縁取る新緑のごとき鮮やかなグリーンの双眸がはたりと瞬き、招かれざる客を仰ぎ見る。

 バラ色の口元は常と変わらず微笑みを浮かべているが、溜息をつかないだけでかなり面倒くさそうだ。

 ゆるく波打った絹糸のようになめらかな金の髪を片手で払い、一応は王族を迎えるために、ゆったりと立ち上がる。

 私を含む取り巻き令嬢三人もトリシャ様に倣って腰を上げた。


 トリシャ・バーチェッタ公爵令嬢。

 これまで見たどんな姫君より気高く美しい令嬢だ。


 彼女と共に立ち上がった私たちは、彼女の視線を受けて軽く膝を折り、つつましく数歩下がった。

 トリシャ様とランチ後のティータイムという至福の時を邪魔され、私たちは少々立腹気味だ。ほがらかな昼下がり。手入れの行き届いたお庭のガゼボで麗しく談笑されていたご令嬢方の憩いの時を、何より、私の癒しの時間を邪魔するとは、許しがたい。


 ピリッとした視線を感じて、そちらに目を移す。

 招かれざる客の後方。剣を佩いた長身の男が私を睨みつけている。

 どうやら「仕事しろ」と言いたいらしい。

 大丈夫ですよ。分かってます。ちゃんと仕事してますよ私。

 トリシャ様を崇拝するあまりに事実を見誤ったりしません。たぶん。


「何事でしょうか、ベディヴィア殿下」

「取り澄ましおって。私が卒業記念パーティー用にローラに贈ったドレスを貴様が引き裂いたということは既に知っているのだぞ」

「まあ、殿下。わたくしは殿下がどなたかにドレスを贈ったということもたった今知りましたわ」

「白々しい。貴様がローラを良く思っていないことなど周知の事実ではないか」

「そもそもわたくしはそのローラさんとやらを存じませんが」

「そうやって言い逃れするつもりか」

「事実ですわ」

「トリシャ。私はなにもおまえが全て悪いと言うつもりはない。ローラと共にいることの多い私にも非があるだろう。だが、言いたいことがあるのならなぜ私に直訴しない。なぜ弱い立場のローラを傷付ける。なぜバーチェッタ家の名を貶めるようなまねをする!」


 はあ、と小さな溜息が聞こえた。

 トリシャ様の愁いを帯びたその吐息のなんとなまめかしいことだろう。

 はっ。いや、いやいや。仕事だ仕事。


 ベディヴィア殿下は国王陛下の唯一の弟君だ。

 御子のおられない陛下の王太子でもある。

 青い髪に琥珀色の双眸の、端正な美丈夫であらせられるが、いかんせん、少々お(つむ)が弱いように見受けられる。


 婚約者であるトリシャ様に向かって、他の女にドレスを贈ったなどと。

 しかも卒業生にとっては社交界デビューにも等しい、大事な卒業記念パーティーで着るドレスを、だ。

 トリシャ様でなくとも呆れて溜息を吐きたくなるだろう。


「殿下がわたくしをどのようにお思いだろうと一向に構いませんわ。ですが、バーチェッタ家の名を出されるのでしたら話は別です。わたくしをお咎めになりたいのでしたら、法廷で争うお覚悟でいらっしゃいませ」

「法廷、だと?!」

「どうせなんの証拠もお持ちではないのでしょう? 当然ですわね。わたくしは何もしておりませんもの。愛人の類とお戯れになるのは結構。けれど、ベディヴィア殿下。無実の罪を着せられて頭を下げるほど、バーチェッタは甘くはございませんわよ」


 あああ、美しい!

 この毅然とした態度。凛としたお姿! 後光が差して見えるほどである。

 内心で身悶えている私に、遠くから例の凍てついた視線が飛んできた。

 この尊さが理解できないの、と睨み返してやると、呆れたように溜息を吐かれる。


「バーチェッタ嬢。殿下もこうして非を認められていることです。貴女も素直に罪を認め、ローラ嬢に謝罪なさったらいかがです? 法廷になど事を持ち込めば、醜聞を広めることになりかねませんよ」

「まあ、ゲオルグ卿。濡れ衣を着せられるくらいならば、バーチェッタ家は王家と法廷で争うことに躊躇はしませんわ」

「っ!」

「あなたこそ、公の場に持ち込まれては困ると素直におっしゃいなさいな。まったく筋の通っていない直情的な理論を振りかざして負け戦に挑みたくはないでしょう? それよりもあなた、ご自分の婚約者にお誕生日の埋め合わせをなさったほうがよろしいのではなくて?」


 ぐ、と言葉に詰まったゲオルグ卿……確か伯爵家の次男か三男だったはずの彼は口を閉ざす。

 身分が上なだけで、ベディヴィア殿下の方が分が悪いということは理解しているのだろう。

 当然だ。だってトリシャ様は何一つ悪くない。

 公の場で争うことになれば、広まる醜聞は間違いなく、婚約者がありながら他の女に現を抜かす王太子のものになる。


 取り巻き令嬢Bが「はぁ」と小さく嘆息した。

 何を隠そう、彼女がゲオルグ卿の婚約者である。

 先日の彼女の誕生日パーティーを彼奴(きゃつ)めはあろうことかドタキャンしたのだ。

 その理由が、件のローラ嬢とやらの買い物に付き合っていた、というから呆れて物も言えない。


「よかろう! ではローラに対する貴様の凄惨ないじめの数々。全て証拠、証人を揃えて法に訴えてやる!」

「で、殿下、お待ちを」

「無駄なこととは思いますけれど、どうぞお好きになさって。ああ、偽証や買収はお止めになったほうが賢明ですわ。我が国の法廷と神殿には優秀な方々が多々おいでですから。嘘はすぐに露見しますわよ」


 ややひるんだベディヴィア殿下にトリシャ様の呆れた視線が突き刺さる。

 法廷に嘘八百を並べるつもりだったのだろうか。阿呆なのか。いや、アホだったな、この王子。

 バーチェッタ公爵家同様、我が国の公務員はそんなに甘くない。王太子だろうと王弟殿下だろうと、ギルティにはギルティを突き付ける。


 だってこの世界の主神は嘘が大嫌いな女神様なのだ。

 嘘をつくとバチが当たる、なんて言われるが、この世界では実際に天罰が下る。

 “必要な嘘”は見逃してもらえるみたいだが、ベディヴィア殿下のそれは誰がどう見ても“必要”ではないだろう。


 これは婚約破棄も近いな。

 好き嫌いの話ではなく、単純にこの王太子にはトリシャ様はもったいない。

 いや、もしや、不出来な次の王をカバーするために有能な正妃を据えようという魂胆なのだろうか?

 それではトリシャ様があまりに不憫だ。お可哀そうすぎる。

 かくなる上は私が――!


「待って!」


 頭の中で王太子暗殺計画を練り出した私、ではなく、トリシャ様を呼び止める声が上がった。

 ベディヴィア殿下の背中に張り付いていた女子生徒がおずおずと姿を見せる。

 ピンク色のふわふわした頭に、可愛らしい顔立ち。どこかきらきらしていて、確かに男受けしそうな令嬢だ。

 ただし。このローラ嬢のお(つむ)も見た目同様ふわふわしている。


「ローラ」

「と、トリシャ様。私、ドレスのこと、そんなに怒ってないんです。法廷でなんて争わなくとも、トリシャ様が一言謝ってくだされば私、すべて許しますから」

「ローラ……、君はなんて慈悲深い」


 あの人、何言ってるの? というトリシャ様の視線が私たちに向けられた。

 すみません、トリシャ様。私たちにもさっぱり理解できません。と、視線でお返しする。


 取り巻き令嬢Aが一歩前に進み出た。

 彼女は三人の中で一番真面目だ。礼儀作法にとってもうるさ、…いや、厳しい令嬢である。


「正式な挨拶もなく公爵家のご令嬢に声をおかけするとは、男爵家ではそのような基本的なマナーも教わらないようですね。許可なくお名前を呼んではならないと、そんなこともご存知ないのですか」

「だって私…正式な挨拶なんて…」

「ではなぜそれを学ぼうとしないのです。知らないから無視をしても良い礼儀など、社交界には存在しませんよ」

「名前くらいいいじゃないですか。学園内では身分の分け隔てはないと王子も言ってました!」

「では貴女の不作法は全て殿下のお許しがあればこそとおっしゃるのですね」

「だ、だって王子たちは私が作法を知らなくてもあなたたちみたいにうるさく言ったりしません」


 マナー指導の講師みたいな口調で厳しくローラ嬢を批判した取り巻きA嬢はこれ見よがしに溜息を吐いた。

 名前くらいいいじゃない? それが良くないから令嬢たちは遠巻きにローラ嬢を軽蔑するのだ。

 可愛い顔で愛想を振りまいて、それでなんでも笑って許してくれるのは、お(つむ)の残念な男共だけである。

 ほら。うるうると目を潤ませたローラ嬢を庇うべく、ベディヴィア殿下が前に出てらっしゃった。

 その行為が王子の品位をも下げる愚行だと、なぜ分からないのか。

 トリシャ様の残念な人を見る目にすら、殿下はお気付きでない。


「下がれ、私たちはトリシャと話をしている」

「お言葉ですが、殿下。側近と騎士二名をお連れになっておいて、トリシャ様にはお一人で立てとおっしゃるのですか。王太子殿下のものとは信じ難い、紳士の風上にも置けぬ狭量なお言葉。我が耳を疑います」

「チッ。トリシャが高慢な分、おまえたちも同類だな」

「まあ! 淑女の中の淑女と呼び声高いトリシャ様と少しでも近付くことができているのなら光栄です。日々あの美しい立ち居振る舞いをお側で学ばせていただいている甲斐があるというもの」


 取り巻きA嬢は常々ぼやいている。

 私、男に生まれてトリシャ様を守る騎士になりたかった、と。

 気持ちは痛いほど分かる。

 だって私、今とっても幸せだもの。


「なにはともあれ。そちらのローラさんはトリシャ様と直接お話しできる礼儀を持ち合わせてはおりません。レディのマナーを勉強して出直しておいでなさい」

「ひどいです! そうやっていつも私をのけ者にして! だから誰も私と友達になってくれないし、お茶会にも誘ってくれないのよ! あなたたちのせいよ…っ!」


 わっと顔を覆って泣き出したローラ嬢を気づかわしげに男どもが慰めている。

 あのあざとい演技にどうして彼らは引っかかれるのだろうか。

 謎だ。

 友達がいないのも、誰からも誘われないのも、全て自業自得だろうに。


「…茶番はもうよろしいわ。今度から何かご用件のあるときは文章にして家を通してくださる?」

「ひどい! あなたはいつもっ」

「ああ、ですから。きちんと文章にして、わたくしにも分かるように書いて見せてくださいな。でなければわたくし、残念ながら貴女のおっしゃることの意味がまるで理解できませんの」


 同じ言語を話しているように聞こえるのだけれど、不思議ね。とトリシャ様が軽く小首を傾がれた。

 ああ、お可愛らしい。ほんと尊い。

 一瞬一瞬を絵に描いて額縁に入れて壁一面に飾ってほしい。

 こんな才色兼備のご令嬢を婚約者に据えておいて浮気するとか、ほんとアホすぎる。

 まあでも、そのおかげで、トリシャ様がこのアホ王子と結婚しなければならない可能性がぐっと下がったのだけれど。


「トリシャ。貴様、覚悟しておけよ」

「はい。何をでしょう」

「陛下に直訴する。貴様のような女とは結婚できないと」

「まあ、殿下。ご自分の犯した不貞を陛下に直接お話しになりますの?」

「ふざけるな! おまえのように話し合いもできない冷酷で無慈悲な女をなぜ愛せようか。婚約は破棄させてもらう!」

「殿下はバーチェッタ家が最後までこの婚約に反対していたことをご存知ありませんの? 国王陛下たってのご希望とご命令で折れざるを得なかったのはわたくし共ですのに」

「っ、では貴様は! 私と嫌々婚約しているとでも言うのか?!」

「むしろわたくしが望んで殿下の婚約者でいると思われていたなら、そちらの方が心外です。よって、わたくしが殿下の愛妾風情に悋気を起こすなどと、おへそでお茶が沸いてしまいますわ」

「このっ、不敬者が!」

「お話は以上でしょうか? でしたら参りましょう、みなさん。午後の授業が始まりますわ」


 優雅に腰を折って一応王子に挨拶をしたトリシャ様が踵を返す。

 私たち三人もそれに倣って颯爽とその場を去った。

 後ろでまだ何かアホ王子がわめいているが、あれで本当に次の王様になるつもりなのだろうか。

 大丈夫か、この国。


 最後にちらりと長身の騎士に目をやる。

 小さく頷かれた気がした。



 ***



 あれから数日後。

 会議の間にはおよそ二十名ほどの上位貴族が着席していた。

 国王陛下の座る豪奢な椅子を中心に、翼状に配された座席は、査問会の様相だ。

 両翼の壁際には傍聴を希望した紳士淑女たちが立ち並び、陛下のお出ましを待っている。


 ぽっかりと空いた部屋の中央に立っている、今日の査問会の主役である王太子ベディヴィア殿下は少々困惑気味だ。

 まるで国家反逆罪でも裁くかのような議場の中央に、なぜご自分が据えられているのか、お分かりでないらしい。

 左翼側の最上位席に座ったトリシャ様のお父様、バーチェッタ公爵と、そのすぐ後方においでのトリシャ様を盗み見ては唇を噛んでいる。


 本日も我が主君、トリシャ様は大変にお美しい。

 ああして伏し目がちに立っているだけで絵になるなんて。

 っていうかなんて麗しい父娘(おやこ)なの。

 神様ありがとう。ほんと尊い。あの絵だけでご飯三杯は食べられそう。


 メイド服姿で入口付近に立っている私の脇腹を、隣の長身タキシードが小突く。

 「顔がキモいぞ」だそうだ。うるさい。私のトリシャ様ウォッチングの邪魔をするな。美しいものに憧れ、愛でてしまうのは人間の(さが)だ。本能なのだ。


 ドン、と床が叩かれた。「注目!」の合図だ。

 国王陛下のお出ましである。

 その場の全員が腰を折って礼を執る。


(おもて)を上げよ」


 衣擦れの音と共に現れ、ゆったりと腰かけた王様の声が響く。

 うわあ。知ってたけど王様も超美形。

 イケメンと呼んで差し支えないベディヴィア殿下より、なんていうか、大人の色気? が半端ない。殿下とカラーリングは同じなのに、兄弟とは思えないほど系統の違う美人だ。

 去年、正妃が病気で身罷られたので、現在は独身。

 お二人の間に御子はおらず、陛下の兄弟はベディヴィア殿下しかいない。

 三十二歳。まだまだお若い。王弟殿下に期待するよりも、陛下に御子をお作りいただく方が良いのでは、という論調は、ベディヴィア殿下が立太子なさった頃からずっと王城にくすぶり続けている。


「さて、始めよう。ベディヴィア。なぜこの場に召喚されたのか、分かるか」


 部屋の中央で片膝立ちをしたベディヴィア殿下は緊張した面持ちで「はい」と応えた。

 殿下はお気づきだろうか。陛下の左手側に置かれた小さなテーブルに、数百枚の紙片が束ねて置いてあることに。

 それが殿下の運命を大きく左右する重要書類であることに。


「私の、婚約の件ではないかと、拝察いたします」

「そうだ。このほどバーチェッタ公爵家より、婚約解消の申し出があった」


 婚約解消?! と周囲がざわつく。

 トリシャ様がご壮健であるのに、婚約の解消を公爵家から申し出るということは、非は王家にあると処断するようなものだ。

 殿下が忌々し気にバーチェッタ公爵父娘をねめつける。

 公爵様もトリシャ様もツンと澄まして微動だにしない。

 ああ、この父娘、すごい格好良い。


「奇しくも、おまえからトリシャとの婚約について考え直してほしいと直訴される直前のことだ。予想はしていたが、私が苦労してまとめた縁談をいともたやすく反故にしおって」

「あ、兄上! バーチェッタ公爵家が何を言ってきたかは存知ませんが、私は嘘を申してはおりません!」

「懇意の男爵令嬢への執拗な嫌がらせ、横柄な態度、冷酷無慈悲な性格…だったか?」

「そうです。そのような女、未来の王妃に相応しくありません!」

「そうか。証拠はあるのか? トリシャが取るに足らぬ小娘をなぶり、残酷な者であるとの証が?」

「そっ、それは、今は手元にございませんが…」

「これを見よ」


 陛下が束ねられた数百の紙片をベディヴィア殿下に向けて放る。

 ばさっと床に落ちたそれを訝し気に数瞬見つめ、ゆっくりと手に取った殿下がページをめくり、息を呑んだ。


「貴様の具体性のまったくない訴えに対し、バーチェッタ家はこれだけの確たる証拠を提出した。その数は二百をゆうに超える。ベディヴィアよ。貴様にはこのすべてを覆すだけの正当性があるのか?」

「…今すぐには。内容を精査する時間をいただきたく」


 短く嘆息した陛下が視線だけで何かを指示する。

 控えていた文官っぽいおじさんが紙束を持って進み出て来た。

 あ。殿下に放り投げたやつは写しなのね。原本はそっちっぽい。

 ていうか、アレを写し書きさせられた人がいるのか。それはご愁傷様だ。


「二の月、十五の日」おじさんが朗々と音読し始める。

「チャリティーコンサートに出席予定の公務を放棄。郊外にてドレッサージュ観覧の公務に代理として出席中だったバーチェッタ公爵令嬢が報せを受け、急遽会場へ向かうも、開演を一時間遅らせる。なお、同時刻、ベディヴィア殿下はローラ・バルトフェルド男爵令嬢と共に学園内にてウサギを探す遊興に耽る」


 ウサギ?! 何それ初めて聞いた。

 隣の長身に視線だけで問えば、うんざりとした表情で小さく頷かれた。

 ええ、マジか。

 あの日のトリシャ様は大変だった。馬車の中でお着替えして、開演の挨拶を覚えて。

 文句の一つも言わずに王太子の名代として頑張ってらっしゃったのに、その王太子がまさかの兎狩りとは。

 ほんともう呆れて笑いも出て来ない。


「あ、あのウサギはローラの大切なペットだと言うので…、コンサートには行くつもりだったのです!」

「事実か否かだけ答えよ。戯言は不要だ」

「っ……じ、事実、です」


 ざわざわと両翼が眉をひそめる。

 公務を婚約者に押しつけ、自分は他の女と兎を追って遊んでいたというのだ。

 普通に考えて、ありえない。

 おじさんの音読は続く。


「三の月、二十一の日。中央神殿の祭祀に参列。真っ赤なドレスを着たローラ・バルトフェルド男爵令嬢を同伴。バーチェッタ公爵令嬢より着替えるようドレスの提供を受けるも、それを拒絶。同伴者の入場を神官に拒まれ、ベディヴィア殿下は立腹し、祭祀の開始前に帰城する。祭祀は予定通り慣行。神殿より、相応しくない者の臨席は遠慮してほしい旨の苦情有り」

「……それも、事実ですが、ドレスコードがあるとは聞かされておらず」

「たわけ。ドレスコードなどないわ」


 神殿の祭祀に真っ赤なドレスとか。マナーとかそれ以前に常識的に考えれば分かるだろ。

 たとえドレスコードがあって、それを知らなかったとしても、トリシャ様からドレスの提供を受けた時点で着替えれば良かったのだ。それを拒んだのはかのローラ嬢であり、それを許したのはベディヴィア殿下である。

 アホだ。アホすぎる。


 まあ、トリシャ様のドレスなら、ローラ嬢にはサイズが合わなかっただろうなとは思う。バストはぶかぶかだろうし、ウエストは少々窮屈だったろう。スカート丈も長いはずだ。

 私と同じで小柄なぺたんこさんだからねー、彼女。


「続けます。四の月、三の日。中央神殿裏の小神殿の鐘楼が倒壊。ベディヴィア殿下が現場に居合わせたとの目撃証言多数。呼び止める神官を振り切って、ピンク色の髪をした女子生徒と共に逃亡。後日、鐘楼の瓦礫の中に何かを探している様子の同女子生徒を複数の神官が目撃したとの報告有り」


 ざわめきが大きくなる。

 当然だ。神殿の建物の倒壊事件については、犯人が捕まらず、表向きは謎とされて来たのだ。

 一部と基礎部分を残し、ほぼ全てが完全に崩れ去ってしまった鐘楼が自然に倒壊したとは考え難く、何者かの蛮行であるとささやかれていたそれに、まさか王太子が関わっているなんて。

 家臣団の視線はますます冷たさを増していく。

 つ、と王子の頬を冷や汗がつたうのが分かった。


「あれは…その……確かに現場にはおりましたが、鐘楼を壊したのは私ではありません。それに、私名義で再建費用は全額寄付しております。ケガ人も出ていないと聞いておりますが……」

「おまえの資産はすなわち民の血税であろう。論点をすり替えるな。私が聞きたいのは、なぜ鐘楼を倒壊させたのか。おまえたちがあの鐘楼で何をしていたのか。なぜ、その報告を怠ったのか、だ」

「何か探しものがあると、ローラに連れられて鐘楼へ行きました。ですが、何が起こってあんなことになったのかは、分からぬのです。ローラが何かをしたのは確かなのですが、あまりにも突然に鐘楼が崩れ始めたので…。無人の、普段は使われていない鐘楼とのことで、陛下のお耳に入れるほどのことはないと……」

「はあ……。おまえはつくづく兄を失望させてくれる」

「申し訳、ありません」

「よい。想定内だ。次」

「はい。四の月、六の日。小神殿の鐘楼倒壊により確信を深めたバーチェッタ公爵令嬢より、ローラ・バルトフェルドが伝承の魔女である可能性を示唆され注意を促されるも、断固否定し激昂。ティーカップを投げ、同令嬢付きメイドに軽傷を負わせる」


 そのメイド、あたしです。

 避けても良かったんだけど、ただのメイドさんが割れて飛び散る破片を避けたらなんか色々面倒なことになりそうだと思って、あえて負傷してみました。まあ、腕にほんの少し、切り傷を負ったくらいだ。うっすらと血が滲んだだけで、ほぼ痛みもなかった。

 隣のタキシードが「ベディヴィアを殺して来る」と据わった目で剣を抜こうとするのを宥めるのに少々時間はかかったが、トリシャ様がお手ずから手当をして下さって、私としては役得だと思ったくらいである。


 魔女、という言葉に両翼が一気にざわめきを増した。

 陛下ほど有能ではないものの、これまで王太子としてギリギリ及第点を得ていたベディヴィア殿下が、こうも信頼を失うことになったのはローラ・バルトフェルドに出会った直後からだ。


 学生最後の年に編入生として突如現れたローラ・バルトフェルドは、学園に慣れるよりも、同性の友人を作るよりもまず、真っ先にベディヴィア殿下に近付いた。行く先々に現れては問題を起こし、殿下やその側近たちに助けられるということを繰り返し、今や殿下の隣にぴたりと張り付いて離れず、殿下たちもそれを良しとしている。


 ローラが現れた当初から、そのあまりに不審な言動に、トリシャ様は彼女が伝承の魔女なのではないかと疑念をお持ちだった。

 ゆえに、私たちに初めての任務が課されたのだ。


「ローラは魔女などではありません。兄上もお会いになれば分かります!」

「そのローラとやら。言いたいことがあるなら文章にして送れと言ったトリシャの言葉を真に受け、手紙を書いて寄越したそうだぞ」

「…手紙?」


 陛下の視線が文官のおじさんに向けられた。

 すかさず、おじさんは持っていた紙束とは別のファイルを開く。


「冗長にして一部解読不能な箇所もあるため、要点を抜粋して読み上げます」

『トリシャ様

 手紙を書けと言われたので書きます。

 私たちの話が口頭で理解できないなんて、それで本当に公爵令嬢ですか?

 そんなことでは、王子のお后になれずとも仕方ありませんね。

 これまでのあなたの嫌がらせの数々、王子は本当に断罪するつもりです。

 今ならとりなしてあげますから、あなたのお兄さんである、ヴィンセント様を私の元に寄越してください。あなたの今後についてヴィンセント様とお話ししたいと思います。王様でもいいですよ。

 とにかく、どちらかと、もしくは両方と私を会わせてください。

 あまり時間はありません。あなたの断罪はすぐそこですよ。

 追伸。あの時のドレス、サイズを直してくれるなら着てあげてもいいです。

 ローラ・バルトフェルド』


 なんて支離滅裂で無礼な手紙なんだ。

 ヴィンセント卿か陛下に会わせろ、などと。正気か?

 その女、魔女でなくとも処刑したほうが良いのではないか。

 等々。両翼の紳士淑女諸君がひそひそとローラ嬢についてウワサし始める。

 さすがに王子も手紙の内容に眉をひそめたが、このままでは自分の立場も危ういと思い始めたのか、どうにかローラ嬢を擁護しようと顔を上げた。


「ローラは、田舎から出て来たばかりで社交界や手紙を書くことに不慣れなのです。文章が拙いので、おそらく、本当に言いたいことは書けていないはずです。兄上やヴィンセント卿に対する不敬の念はないものと思われます」

「ではどのような意図があると?」

「おそらくですが、貴族令嬢として申し分のないトリシャと懇意になって、色々学びたいのでは…。トリシャはローラとは目も合わせようとせず、ご覧の通り直接言葉も交わしません。学園内最高位の令嬢として、他の令嬢たちを指導し統率するのもトリシャの役目のはず。それを放棄しているトリシャに代わって、私が彼女の面倒を見ているに過ぎません。ローラは決して、魔女などでは!」

「だ、そうだが。バーチェッタ公爵。そなたの娘に非はあるのか?」


 目を伏せていた公爵様がすっと瞼を開いた。

 トリシャ様と同じ新緑の瞳がキロリと王子を見据える。

 歴戦の宰相閣下に睨まれ、ベディヴィア殿下はわずかにたじろいだ。


「報告書を読む限り、そして殿下のお話を聞く限りにおいては、我が娘に一切の非はないものと断言します」

「娘可愛さに事実を捻じ曲げるか、バーチェッタ公爵!」

「ではベディヴィア殿下。お教えいただけますかな。文字もまともに書けぬ、ほぼ平民の小娘一人。なぜ我が娘が指導してやらねばならぬのです。公爵家と男爵家では必要とされる技量も礼儀もまったく異なると、まさかご存知ないとは言いますまいな。それに。王妃教育に加え、我が娘は殿下の公務の半数以上を肩代わりしており、多忙を極めております。男漁りに来たとしか思えぬ小娘、しかも魔女の疑いのある者に割く時間など一瞬たりともございません」

「公爵! 言葉がすぎるぞ」

「おや。私は事実しか申し上げておりませんが? ウサギなど追っている暇があるのなら、殿下ご自身が文字の一つでもお教えになればよろしいのです」


 カッと殿下の頭に血が上るのが分かる。

 怒り心頭だが、どれもこれも事実な分、何も言えずに拳をぎりりと握っただけだった。

 ああ。さすがトリシャ様のお父様。

 容赦ない。格好良い。素敵!


「娘が娘なら父親も父親だな」

「ええ、ありがとうございます。おかげさまで、どこに出しても恥ずかしくない、自慢の娘です」


 ほんとそう。

 唯一トリシャ様にある汚点を挙げるとするなら、アホな婚約者のこの男だけだ。

 あ、あと。ヤギやヒツジが苦手でらっしゃるくらいかな。

 あの横長の四角い瞳孔が不気味なんだそうだ。お可愛らしい。


 ぐっと言葉に詰まった殿下に溜息を吐き、陛下が首の動きで何事か指示を出した。

 薄く透けるカーテンが王様の前に引かれる。

 王様のお姿はぼんやりとしか見えなくなるけど、王様からは見えるってやつ。


 ややあって入口の扉が開き、そこから見知った顔のピンクのふわふわが現れた。

 ドヤ顔でレッドカーペットを歩くその姿は、「王様に()ばれちゃった」と満足気である。

 両脇に騎士が控えているのは護衛だと思っているようだが、彼らが警戒しているのは間違いなくアンタだ。

 っていうかそのドレス何。背中開きすぎじゃない?


「ローラ!」


 王子が呼ぶのに目もくれず、ピンクのふわふわ――ローラ・バルトフェルド男爵令嬢は真っ直ぐに陛下を見上げた。

 カーテン越しでも百パーセント不敬だ。無知って怖い。


「初めまして、王様。私、ずっと王様にお会いできるのを楽しみにしていました! きっとお役に立ちます。どうか、どうかお側に置いてください!」


 場がざわつく。

 さすがの王子もドン引きだ。

 国王に対し“側に置いてほしい”と言えば“側室にしてほしい”と言っているようなものだ。

 実際にそのような意図があるのかはさておき、「きゃ! 言っちゃった!」と頬を染めて恥ずかしがるローラ・バルトフェルドを、周囲は珍獣でも見るかのような目付きで凝視していた。無理もない。挨拶もなく礼も執らず名乗りもせずに、彼女は国王に直接話しかけたのだ。

 近衛の騎士たちが剣の柄に手を置いたのに気付いてないのだろうか。

 彼女はふわふわの頭をふりふりしながらくねくねしている。


「ろ、ローラ。まずは陛下にご挨拶を」

「ねえ、そんなことより、ヴィンス様はどこ?」

「…は?」

「ヴィンセント・バーチェッタ様よ。王子エンドの後、王様と同時にヴィンス様とも会えるはずなの。…でもそれって卒業記念パーティのはずなのよねえ。悪役令嬢の断罪イベントもその日なのに。これってなんのイベント?」


 陛下へ挨拶をという王子の促しに対し「そんなことより」と己を優先するローラ嬢は本当に男爵家に生まれた人なんだろうか?

 王家に対する敬意が微塵もないんだが。

 それとも。自分はヒロインだから何をしても許されると、そう思っているのだろうか。

 私には死亡フラグを乱立しているようにしか見えないんだけど。


「ローラ、陛下の御前だ。もう少し令嬢らしく」

「大丈夫よ。私が王族になったらそんな面倒くさいマナーなんて全部廃止にするんだから」


 王子さらにドン引き。

 学園内では身分による格差的なものは幾分和らいでいるが、それは学園が学びの場であるからだ。同門をくぐったならば学びの機会は平等に与えられるべき、という理念の元、ある程度は無礼講とされている。

 だから公爵令嬢でも男爵令嬢でも同じ制服を着るし、授業の内容も同じだし、教授たちは王族以外の生徒を〇〇さんと一律に呼ぶ。

 だが学園を一歩外に出ればそれは通用しなくなるとも、同時に教わっている。

 教わっている、はずである。


「それで、ヴィンス様は?」

「……ヴィンセント卿は、今は王都にいないと聞いている」

「あら、そうなの。卒業パーティーまでには戻って来る? 断罪イベントにヴィンス様がいるのといないのとじゃ、刑の内容が違うのよね。どうせなら断頭台ルートで完全勝利を手にしたいじゃない?」

「ローラ。何を言っているんだ」

「え? ああ、ごめんなさい。こっちの話よ。で、今日はなあに? 庭園のお散歩イベントはやったし、お墓参りイベントもやったし…。地下探索がまだね。あと、王太后様にも会ってないなぁ。あれ。時間がないな。意外と忙しい」


 何を言っているんだあの女。と、この場のほぼ全員がそう思っているだろう。

 トリシャ様は少しでも内容を理解するために文章にして見せろとおっしゃったわけだが、文章にされてもやっぱり彼女の言葉の意味は分からなかった。バーチェッタ公爵父娘はそれで、ローラ・バルトフェルドは己の内に引きこもってその狭い世界でだけ生きている、そういう病の患者なのだと結論付けたらしい。

 会話を諦め、理解を諦めた。矯正や修正する行為すら無駄だと判じた。

 そうして。そんな女に心を奪われたベディヴィア殿下のことも、バーチェッタ公爵父娘は既に諦めておられる。


「ねえ、ベディヴィア。王太后様はどこ? せっかくお城に来たんだもの。イベントクリアしなきゃ」

「…母上も、王都にはいらっしゃらない。それよりローラ。膝を折れ。この場に召喚されたのなら、君にも陛下よりご下問があるのだろう」

「ええ。せっかくお気に入りのドレス着て来たのに。座ったら可愛さ半減しちゃう」

「いいから、はやく!」


 頬をふくらませたローラ嬢はぺたりと床に座った。

 膝を折れ、ってそうじゃない、と一瞬眉根を寄せたベディヴィア殿下は、説明を諦めてその隣に片膝立ちをする。

 奇妙な雰囲気の沈黙が下りた。


 トリシャ嬢はこんな女と王太子の相手を一年弱も続けて来られたのか? なんとおいたわしい。

 私たちの近くにいたひげ面のおじさんがぼそりと呟いた。

 ほんと、そうなのよ。おいたわしいことこの上ないでしょ?


「兄上。これがローラ・バルトフェルド男爵令嬢です。少々、言動は突飛ですが、ご覧の通り魔女と疑われるような点は…」

「ベディヴィア殿下におかれましては発言をお控えいただきましょう。陛下よりローラ・バルトフェルドへご下問である」


 文官のおじさんが王子の言葉を遮った。

 殿下は唇を噛み、ローラ嬢は首を傾ぐ。


「四の月、三の日。小神殿の鐘楼が倒壊した件について、知っていることがあるなら包み隠さず申せ」

「しょうろう…? あ、あのボロい神殿の塔のこと? まさか崩れるとは思わなくてびっくりしました」

「そこで何をしていた」

「ブローチを探してたんです。あそこにあるはずなんですけど、見つからなくて」

「件の鐘楼は普段、立ち入りは禁止されていた。なぜおまえのブローチが鐘楼内にある」

「え? えっと。置き忘れたとかじゃなくて。その…んー。そうしなきゃいけない、この世界の運命みたいなものなんです。ほんとはもっと早い段階で手に入れてないといけないんですけど。それに、代々あそこに隠すって書いてあったから、私もそうしなきゃいけないのに、ブローチは見つからないし、塔も壊れちゃったしで、私も困ってるんです」


 おじさんは怪奇現象を見た後で冷静を装っているみたいな顔で黙った。

 得体の知れないものへ対する恐れにも似た感情が、その表情ににじみ出ている。


 コツン。

 と足を一歩踏み出したそのヒールの音さえも優雅なトリシャ様が、文官のおじさんに目配せした。下がっても良いという意図を得たおじさんはほっと安堵の息を吐いて、軽く腰を折って下がる。

 そのお手に小さな箱を持って進み出たトリシャ様はいつものように微笑んではおられなかった。

 ああ。審判の女神が降臨されたかのようだ。大輪の花が咲いて見える。

 うっとりと感嘆の溜息を吐く私の隣で、また呆れた溜息が吐かれた。このタキシードはトリシャ様の尊さが理解できないのだろうか。その目は節穴か。


「そのブローチ。これかしら?」


 トリシャ様が箱を開いて見せる。

 美しく立体的な花型のブローチがきらきらと輝いていた。

 途端、ローラ嬢が目の色を変える。


「それ! アンタが持ってたの?! どおりで何もかも上手くいかないわけよ。悪役令嬢がぜんぜん悪役してくれないんだもの。それは私のよ! 返しなさいよ!」


 トリシャ様に突進しかけたローラ嬢を騎士の二人が両脇から押し留める。

 うんうん。えらいえらい。ちゃんと仕事してる。

 私もスカートの陰で密かに暗器を構えた。

 トリシャ様に髪の一筋でも触れようもんなら、そのこめかみ刺し貫いてやる。


「ちょっと、なによ! 放して! 放しなさいったら!」

「これはただの水晶で作られたレプリカですわ。なんの力もありませんのよ」

「レプリカ? 偽物なんて要らないわ。本物はどこ?!」

「……貴女、これが何かご存知でらっしゃるの?」

「当たり前でしょ。それは『聖女の証』よ。私というヒロインが持って初めて力を発揮する石なのよ。本物はどこよ!」


 聖女、と彼女の口からその言葉が出た瞬間、場の空気がガラリと変わった。

 ベディヴィア殿下が数歩、彼女から後退る。

 押し留めているだけだった彼女の両脇の騎士が、その細い腕を背中でねじり上げ床に押し倒し、一人は剣を抜く。

 武装した騎士たちがただならぬ様子で、陛下やトリシャ様たち要人を守るため配置についた。


「痛い! 痛いじゃない! なんなのよっ?! アンタたち、聖女にこんなことして、タダじゃおかないんだから!」

「……ローラ・バルトフェルド。貴女、本当に自分が聖女だと?」

「そうよ! 私が聖女よ。この世界のヒロインなの。国を救って、王妃になるんだから!」


 はあ、とトリシャ様が嘆息し首を横に振る。

 頭痛でもするのかもしれない。後でお薬をお持ちしよう。

 憂鬱そうなそのお顔も儚げで大変お美しいけれど。

 やはりトリシャ様は花の如く微笑んでいてくださらなければ。

 ぱたん、と箱の蓋を閉じる音がやたら響いた。


「小神殿の鐘楼は倒壊するようになっていましたの」

「え?」

「『聖女の証』が隠されていた場所の石材を一つ抜いただけで、崩れるよう造られていたのですわ」

「どういうことだ。私はそれで死にかけたんだぞ?!」

「まあ、ベディヴィア殿下。倒壊することで、あわよくば『聖女の証』を取りに来た誰かを亡き者にしようと、八十年ほど前にあの鐘楼を改修なさったのは当時の王家ですのに。ご存知ありませんの?」

「なっ…?!」

「改修時の図面は、完成以降封印され、七十年以上開封されず厳重に保管されておりますわ。国王陛下ですら仕掛けの場所をご存知ないというのに、数十万の石材の組まれた鐘楼の、たったひとつを引き当てられるのは、なぜかその場所を正確に知っている魔女…つまり聖女以外にいないというわけですわね」

「そんな…。ローラが、聖女……?」

「小神殿の鐘楼の倒壊は我が国に聖女が現れたという警告の烽火(のろし)。被害に遭う可能性が一番高いのは殿下だというわたくしの諌言は無駄だったようですわね。次代はもう少しその辺りを工夫する必要があるようだわ…」

「ねえ! ごちゃごちゃ言ってるけど、つまりアンタが私を殺そうとしたってこと?! ちょっとアンタたち、私じゃなくてあの女を捕まえなさいよ! 殺人未遂の容疑者よ!」


 トリシャ様の新緑の双眸が床に這いつくばった自称聖女を睥睨する。

 女神さまはきっとご自分の生き写しをお作りになったに違いない。

 ああ、尊い。一生見ていたい。


「この国ではね、ローラ・バルトフェルド」

「な、なによ」

「聖女は“破滅の象徴”。現れるたびに国を傾け、滅亡の危機に追いやって来た、とんでもない魔女なんですのよ」


 両目を見開いた自称聖女は驚きのあまり声もないようだ。

 冷たいトリシャ様の視線。後退って、どこか怯えた様子の王太子。華奢な少女を押さえつけ、抜身の剣を構え、警戒心をあらわにする騎士たち。それらすべてを床から見上げ、ローラ嬢はやっと、己の立場に気付き始めたらしい。


 聖女は破滅の象徴。

 国の存続を脅かす魔女。

 決してヒロインなどではなく、最優先で排除すべき国家の敵なのである。


「そ、そんな、私はそんなことしない。嘘よ! 聖女は国を救うのよ!」

「我が国には救われるべき問題は存在しませんわ。国王陛下はじめ、優秀な方々が堅実に国を治めていますもの」

「い、今じゃないのよ! 私は未来の王妃になって、それでっ」

「あら。先ほどは陛下の側室になりたいとおっしゃったのに?」

「だから、それは」

「おおよそ百年ごとに愛らしいお顔立ちで現れては、国を治めるべき次世代たちを虜にして、その時の未婚の最高位である令嬢を断罪しようとする。…伝承通りですわね。それでいて救国の聖女を自称するのですから、片腹痛いですわ」

「伝承…? なにそれ、知らない。ねえ! 『聖女の証』はどこよ。あれさえあれば、私の力を見てもらえば分かる。私が魔女なんかじゃないって!」

「本物はもう存在しませんわ」

「は?」

「先代を処刑したと同時に破壊されていますの。これはその時に作られたレプリカ。祖先たちがわたくしたちのため、聖女の被害者を一人でも減らすために残してくださったものですわ」

「し、処刑――?」


 陛下に向き直り美しい一礼をするトリシャ様。

 陛下もひとつおおらかに頷き、片手で何かを追い払う仕草を見せた。

 ばたばたと騎士たちが動き、ローラ嬢を立ち上がらせ、羽交い絞めにする。

 魅了されぬよう、目隠しをきつく結べば、彼女はじたばたと暴れ始めた。


「いやよ! 私、何もしてない! どうして殺されなきゃなんないの?! ねえ、ベディヴィア、助けてよ。アンタ私のこと好きって言ったじゃない! ねえ! ねえったら!!」


 そのまま引きずられていく彼女の悲鳴が、議場に響き廊下にこだまする。

 これで二度と彼女を見ることはないだろう。とりあえず一安心だ。


 昔、トリシャ様に絵本を読んでいただいたことを思い出す。

 その内容は勇者が魔女を討伐するというものだ。

 聖女を名乗る女が勇者を助け、支え合いながら困難に立ち向かうも、実はその聖女こそが魔女だった、という話である。

 つまり、この国では子供ですら聖女の実態を知っている。なのに、十七年以上もこの国で生きて来た彼女はそれに気付かず、聖女を自称してしまった。

 愚の骨頂とはこのことだろう。

 世界を、いや、周囲をほんの少しでもちゃんと見て、地に足を付けて生きていれば、こんなことにはならなかった。


 するするとカーテンが引かれ、陛下のお姿が顕わになる。

 呆れた様子で短く嘆息なさった陛下が重そうに口を開いた。


「魔女の処分は神殿に任せる。よいな」

「は。お任せください。浄化の炎で七晩焼き、その魂が二度と我が国に戻らぬよう、更に七晩祈りを捧げ、以後も祈りを絶やさぬよう、万全を期す所存でございます」

「うむ」


 白い長衣のおじさんが九十度腰を折るのに、陛下が鷹揚に頷いて応える。

 七晩焼く、という言葉にベディヴィア殿下の顔が更に青ざめた。

 まだローラ嬢を救う手立てを考えているのだろうか。

 健気ではあるが、やはり救いようのない阿呆だ。


「聖女の危険性については十二分に周知して来たつもりであるが、我が王太子には不十分だったようだ。再三にわたり注意喚起を行って来た婚約者の声に耳も傾けず、あろうことか自ら婚約を破棄するなどと言いだす始末。もはや釈明の余地もない。バーチェッタ公爵からの申し出を認め、王太子とトリシャ嬢との婚約をここに解消する。これは王家の瑕疵による賠償問題として協議を開始するものである。異議のある者は」


 沈黙が流れる。

 真っ青な顔で立ち尽くすベディヴィア殿下だけが、小刻みに震えていた。

 無論、私は心の中で飛び上がって喜んでいる。

 さっすが王様!


「聖女の魅了の力は聖女亡き後も残ると云う。未知の危険を孕む者を玉座に据えるわけにはいかぬ。よって、王弟ベディヴィアの王太子位を剥奪。西の離宮に謹慎を命ずる。経過次第では王籍の剥奪も有り得ると心得よ」

「兄上! 私は大丈夫です! あの女が聖女と分かった今、もう、兄上を煩わせるようなことは決して…!」

「却下する。貴様の言は信用ならん」

「そんな、兄上!」

「…しかし陛下、それではお世継ぎが不在となりますが」

「考えている。おそらく問題なかろう」


 陛下の不敵な笑みに、バーチェッタ公爵が少々嫌そうに眉根を寄せた。

 気心の知れたお二人は、何やら空気だけで会話をなさったようだ。

 格好良い。仕事のできる大人の男って感じ。


「此度は容易く乗り越えたが、次もかように単純とは限らぬ。王城も神殿も百年後の我らが子孫のため、聖女への警戒を怠らぬよう努めよ。本日はこれで解散とする!」


 お開きのお言葉と共に陛下が退場なさる。

 全員で腰を折ってそれを見送り、その場は解散となった。


 王太子位を剥奪され、かろうじて王子の身分を残されたベディヴィア殿下は、部屋の中央に長いこと立ちすくんでいたらしい。



 ***



 それから更に数日後。


 近付く足音に隣のタキシードが眉根を寄せた。

 どうやら嫌いな奴らしい。

 けれど、王城でこのタキシードが嫌いな奴っていえば……。


「どういうことだ、トリシャ!」


 やっぱり、こいつか。

 イケメンはイケメンでも残念なイケメン枠の王子様。


 いつもよりほんの少しだけ華やかに着飾ったトリシャ様がゆったりと振り返る。

 バラ色の唇には花の如き微笑みがたたえられていた。

 ああ。本当に。相も変わらずお美しい。


「何事でしょうか、ベディヴィア殿下」

「とぼけるな! 兄上と婚約しただろう!」

「確かにお申し出はございましたけれど、父が渋っておりますので、まだ正式な婚約は成っておりませんわ。それにそもそも、わたくしがどなたかと婚約したところで、殿下には関係ございませんでしょう?」

「関係ないわけないだろう。おまえと結婚できなければ、私は王太子に戻れないではないか!」

「あら。ご自分の立場はお分かりですのね。ですが、ベディヴィア殿下。もし仮にわたくしが殿下の妻となるならば、王太子復帰はお止め申し上げますわ」

「なぜだ」

「まあ、殿下。まだご自分が王に相応しいとお思いでらっしゃるの?」

「っ、この!」


 トリシャ様に掴みかかろうとしたその腕をタキシードが捩じって背中から押し倒す。

 私はメイド服から暗器を取り出してトリシャ様を庇うべく前に立った。

 このアホ王子。少しも反省してやがらない。


「なっ、なんだおまえたち! 不敬だぞ! 私を誰だと思っている?!」

「不敬はアンタでしょ、王子様。近い将来王妃になられる方を害そうなんて。王子の位も捨てたいみたいね」

「おまえ、その顔。トリシャの取り巻きか」

「…それより先にそっちのタキシードに気付いてあげてよ」

「なに? …おまえっ?!」


 言われて初めて、自分を取り押さえているのが、騎士として仕えていた男だと気付いたらしい。

 なぜ自分の騎士がトリシャ様を守っているのかと考え、思い至ったらしい王子様はギッとトリシャ様を睨んだ。


「貴様、やはりスパイを潜り込ませていたのだな。婚約破棄の論拠として提出されたあの報告書の束もそうだ。おまえが知らぬはずのことも全て書いてあった。王家へのスパイ行為は叛逆罪だと知らないのか! バーチェッタ公爵家もこれで終わりだな!」


 トリシャ様は頬に手を当て、こてりと首を傾がれた。

 何か難しいことを考えてらっしゃるお顔だ。

 このアホ王子め。まだトリシャ様を煩わせるか。


「……殿下はなぜ、そうも無知でらっしゃるのかしら」

「なんだとっ」

「聖女に記憶改竄の能力が…? いえ、それにしても……」

「お嬢。こいつは人の話を聞いてないだけだ」

「あら、そうなの?」

「自分がやらずとも誰かがやってくれると思ってる。この一年ずっとそうだったから、これまでもそうだったんだろ」

「まあまあ。陛下やわたくしが手をかけすぎた、ということかしら。王太子教育を一から見直さねばなりませんわね」


 ふう、とトリシャ様が嘆息される。

 お疲れなのではないだろうか。

 昨夜はドレスと髪飾りを選ぶので少し就寝が遅くなってしまったし。

 こんなアホは放っておいて、早くおくつろぎになればいいのに、お優しいトリシャ様はきちんと説明して差し上げるおつもりのようだ。

 新緑の視線に頷かれ、タキシードが王子を解放する。


「彼らはわたくしの部下ではありますけれど、バーチェッタ家の者ではございませんわ」

「なら、いったいどこの者だと」

「彼らは国王陛下直属の隠密組織。王家の影、と呼ばれる者たちですわね」

「王家の影だと。そんなおとぎ話が実在していると? なぜ私が知らないんだ!」

「それはこちらが訊きたいですわ、殿下。聖女の襲来に備えて心身共に鍛えながら、王家を陰日向に支えてくれている彼らのことも、その表向きの代表者…顧問、とも呼ばれますけれど、表と裏の橋渡しの役目を担っているバーチェッタ家のことも、なぜご存知ありませんの?」

「そんな話聞いたことがない! おまえが意図的に隠していたのではないのか、トリシャ!」

「ご自分が悪いとは思われませんのね。少しも反省の色は見えないと、聞き及んではおりましたけれど」

「それもこれもすべておまえの! あるいはおまえたちの画策したことではないのか!」

「と、おっしゃいますと?」

「おまえはローラが聖女と知りながらわざと接近を許し、私を失墜させたのだ!」

「なぜわたくしがそのようなことをせねばなりませんの?」

「兄上と結婚するためだろう。私が王太子位を追われなければ、兄上は再婚をお考えにはならなかった!」

「…確かに、どちらに嫁ぎたいかと問われれば、迷うことなく陛下を選びますけれど。殿下にその座をご退位いただくのに聖女を使うなんて危険で面倒なことはいたしませんわ。だって、ねえ。この子たちに命じれば、一瞬で片が付きますもの」


 冷たく微笑むトリシャ様と、暗器を構えるメイドとタキシード。

 たじろいだベディヴィア殿下は数歩後退って体勢を崩し、尻もちをついた。


「トリシャ」


 静かに、けれど柔らかくトリシャ様を呼ぶ声がして、私たちは壁際に下がって片膝を突いた。

 トリシャ様も嬉しそうに微笑んで優雅に礼を執る。

 到着の報せがあったのに一向に現れないトリシャ様を探しに来られたのだろう。

 この色男、なんだかんだトリシャ様が大好きなんじゃなかろうか。


「陛下。お迎えに来てくださいましたの?」

「ああ。珍しく時間に遅れていると思ってな」


 いや、まだたぶん遅刻はしてませんよ、陛下。

 トリシャ様はかなり余裕を持ってお屋敷を出られましたから。


 ふわりと微笑んだ色男がそっとトリシャ様の髪飾りを撫でて、髪をひと房すくう。陛下から贈られた髪飾りだということにお気付きになられたようだ。

 それがまたすこぶる似合っているので、たいそう嬉しそうでらっしゃる。

 うん。この王様。絶対トリシャ様のこと大好きだ。


「申し訳ございません。弟君に呼び止められておりましたわ」

「そのようだな。…ベディヴィア、謹慎を解いた覚えはないが?」

「あ、兄上! 再婚は考えていないとおっしゃっていたではありませんか!」

「それが?」

「では無理に結婚なさることはありません! 私にトリシャをお返しください!」

「おまえに王は務まらぬ。ゆえにトリシャは渡さぬ」

「兄上…!」

「トリシャという最良の妃があってこそ王太子でいられたと、今更気付いたのか。だがこの期に及んでまだ他力本願とは情けない。なぜトリシャに頼らず信頼回復に努めようとせぬ。なぜ心を入れ替え国のため身を粉にして働こうとせぬのだ」

「兄上、私が仕事を疎かにしていたのは聖女のせいであって…」

「私もバーチェッタ家も、聖女が現れる以前からおまえの王太子としての資質に疑問を抱いていたが?」

「え?」

「聖女の件は決定打となったに過ぎぬ。それで廃太子と婚約解消の大義名分も立った」

「な……なっ?!」

「心配せずとも私とトリシャであと三十年は国を回す。その間に、そうさな……王子と王女、二人ずつくらいはほしいな?」

「まあ、陛下。まずは父を説き伏せなさいませ」

「うむ。あやつめ、最近は王の言葉を軽くあしらいよる」


 くすくすと笑うトリシャ様の細い腰に手を添え、陛下は来た道を戻って行く。

 踵を返して初めて気付いた。陛下の後方に控えていた中年のタキシード。

 師匠、いつからそこいたの?!

 くっそー。ぜんぜん気配がなかった。隣の長身も同じく渋い顔をしている。

 まだまだだな、と師匠に目の端で笑われた。ぐぬぬ…。


 王様と未来の王妃様の二人に付き従って去って行く師匠の後ろ姿を私たちは凝視する。

 ねえ、足音ぜんぜんしないんだけど、どういうこと?!


「相変わらずバケモンだな…」

「あの人きっと壁を通り抜けられるのよ。そうに違いないわ」

「……ありえねえけど、否定もできねえ」

「はあああ、それにしてもトリシャ様のお幸せそうなあの微笑み! 今日も生きてて良かった…!」

「…四人って言ってたな。俺らも四人作らねえとな」

「さらっと面白いこと言ってるけど、別にあたしたちみたいな孤児を引き取って育てても良くない?」

「なるほど。確かにそのほうが楽だし、人数の増減にも対応できるな」

「まあ、一人くらいなら、産んであげてもいいけど」

「そうか。いつでもいいぞ。お嬢に許可は取ってある」

「えっ? マジで?」

「結婚式は任せなさい! ってはりきってたぞ、お嬢」

「トリシャ様…っ?!」

「俺らに結婚式とかごたいそうなモンは要らねえって言ったんだけどな。ありゃやるだろう。覚悟してろ」

「なんでもっと強くお引き止めしないのよ! トリシャ様にお任せしたら、あたしたちじゃ一生かかっても払いきれない額のドレスとかご用意なさるじゃない!」

「……かもなあ」

「ムリ。ムリムリムリ! トリシャ様のドレスだって触るの未だに緊張するのに、そんなの着てたら息ができない!」


 せめて私に選ばせてほしい。

 ああ、でも。トリシャ様に「着た姿を見たい」なんてオネダリされたらなんでも着ちゃうだろうな、私。

 いや、待てよ。今完全に既製品から選ぶ前提で考えてたけど、公爵令嬢ならオーダーメイドとか普通だな。

 ダメだ。ダメ。やっぱりお引き止めしよう。


「おい、おまえたち」


 話しかけられて振り返る。

 まだいたの、王子様。トリシャ様にフラれて、お兄ちゃんに怒られて、泣いてお家に帰ったものとばかり。


「私の影はどこにいる」

「は?」

「トリシャに二人付いているくらいだ。私にも一小隊くらいはいるのだろう?」

「相変わらず頭の中お花畑ね、この王子様」

「メンドウだな。スルーするか」

「ええ。早く行かなきゃ。トリシャ様と陛下のティータイムを見逃しちゃうわ!」

「おい、待て! 私の影が誰かだけでも教えろ!」


 歩き出した私たちを追い越して進路を塞ぐ王子様。

 その必死な表情は起死回生の一手が己の影にあるとでも言わんばかりだ。

 ほんとにお花畑だなこいつ。


「……いないわよ」

「は? そんなはずないだろう。現にトリシャにはおまえたちがいるではないか」

「だあから、アンタにはいないって言ってんの。いなくなった、って言ったほうが正確かもね」

「いなくなった? なぜだ?!」

「自分でクビを切ったんでしょ。何もかも全部、アンタの自業自得よ」

「私が自分で…?」

「気分一つで解雇した人間が多すぎて誰だか分かんないでしょうね。教えないわよ。彼女を傷付けたアンタをあたしたちは絶対に許さないし、これまで散々迷惑をかけてきたトリシャ様に感謝も謝罪もないアンタなんか絶対に認めない」

「ま、待ってくれ。その彼女? は今どこにいる。会わせてくれ」

「ムリよ。もう引退して長いもの。子供もいるし。そもそも、向こうがアンタに会いたがらないでしょ」

「なら、おまえたち、私に付かないか? 金なら今の倍は出す! トリシャを取り戻す手伝いをしてくれたら、私は王になれるし、おまえたちは王妃になったトリシャの傍にいられる。な? 悪い話じゃないだろう?! 私な、ら――っ?!」


 ビッと突き出した私の暗器がクズ王子の耳飾りを貫き、パリンと音を立てて砕け散った。

 何が起こったのか瞬時に理解できなかった王子の視線が暗器を一瞥し、私に戻って来る。数センチずれていたら首を刺し貫かれていた、とようやくお分かりいただけたらしい。


「あたしたちにとって女神にも等しいトリシャ様の御為にならないことをするくらいなら、あたしたちは自死を選ぶ。あの方はおまえ如きが触れていい方ではないわ」

「なっ…?! 王族に、なんてことをっ!」

「こいつ、聖女よりも性質が悪い。やっぱ殺そうかな」

「ひっ?!」

「おい、よせ」

「なんでよ」

「俺がやる」

「ねえ、いつもそうやってあたしの獲物横取りするけど、あたしだってやればできるんだから」

「知ってる。なら競争するか? どっちが先にこの首取るか」

「いいわ。速さならあたしのほうが上なんですからね」

「ってことで王子様よ。俺らが影から出て来るのは夜だ。月明かりのない暗い夜」

「せいぜい戸締りはしっかりするのね。アンタの首を狙う影はあたしたちだけじゃない。普段はじっと動かない番兵かもしれないし、下働きの子供かもしれない。メイド服は暗器を隠しやすくて便利だし、影自身が貴族じゃない保証はない」

「だな。ウチのお嬢だってあの細腕で剣さばきは中々のもんだ。それに、人間だけとは限らねえぞ。犬は躾ければ立派に人を殺すし、毒を持った虫を使う手だってある」

「西の離宮が謎の大火で焼失ってのはどう?」

「いいな、派手で。お嬢の婚約の前祝いにちょうどいい」

「ねえ、王子様。ご本人的には、どれが一番いい?」

「ひっ、ひいー」


 王子が走って逃げていく。

 あ。転んだ。

 ケガはないようだ。また元気に走り出した。


「…ほっとけばノイローゼで死にそう」

「まあ、しばらくは大人しくなるんじゃね」

「ふん。トリシャ様を煩わせ続けた罰にしては軽すぎるくらいよ」

「…手は出すなよ。さっきのもギリギリだからな」

「はいはい、分かってます」


 私たちが勝手をすればトリシャ様にご迷惑がかかるし、万が一でもあれば悲しませてしまう。

 あの史上最高に美しい方には常に麗しく微笑んでいてほしい。

 初めてお会いした日。瘦せこけてボロボロだった私たちのために泣いてくださった優しい方だ。

 そんなトリシャ様が立后なされば、きっとこの国はもっと良くなっていく。

 確信がある。


 だからこれからも、トリシャ様の憂いは私たちが全力で払うのだ。


「頑張るぞー、おー!」


 高く突き上げた拳に、例の呆れた溜息が吐かれた。

 このタキシード、空気が読めない。一緒に「おー」ってしてくれてもいいのに。


「おまえ、取り巻きC嬢から王妃付き女官になるんだろ? しとやかさの欠片もねえけど大丈夫なん?」

「がっ、頑張りマス」







【取り巻きC嬢の断罪】終


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