アイドルの自宅に訪問することをなんとかして止めたい
「本当に行くの?」
今私達はあまり行かない駅にいる。学校帰りなので佐藤さんと私は制服姿だ。スカートを履いてこの駅に行くことが今まで無かったので、少し緊張した。
「行く、行く。ここまで来て、もう引けない」
ここに来るまで何度このやり取りをしたんだろう? 分からないけど、私は佐藤さんのことを止めたい。
「えー。でも芸能人の自宅へ行くって、ファンとしてタブーな行動だって」
「私はファンじゃないから、問題無いって、夢のためにも、なんとかして北和さんには活動再開して欲しい。そのためにも頑張る」
「えーそりゃあ鈴木さんのことは心配だけど。それはやり過ぎのような気がする」
鈴木夢は私と佐藤さんの友達で、菟田野北和というアイドルを推している。
今その北和くんが辞めると言い出して活動休止をしているので、北和推しの鈴木さんが心細い思いをしている、その気持ちはとても分かる。
だからといってそのために北和くんに活動を再開して欲しいと、アイドルに関係ない一般人である佐藤さんがお願いするのはおかしい。
北和くんの家へ行くのはやったらいけない。自分の家に佐藤さんや私が来たら、絶対北和くんはびっくりする。そのせいで活動終了となったら、私も困ってしまう。
「そもそも北和くんの家がどこにあるか知っているの?」
「大丈夫。インターネットで調べた。詳しい住所は知らないけど、この辺らしいよ」
佐藤さんは自信たっぷりに歩き始める。
このまま一人で行動させるわけにはいかない。もし北和くんの家が特定されてしまったら、もめ事になってしまう。それは嫌だ。
「北和さんって、名字が菟田野だったよね。だとしたら表札を見たら分かるか。菟田野って名字の人はあまりいなさそう」
駅から少し離れた住宅地についてすぐ、佐藤さんは家の表札をじっくり見ながら歩き始めた。奈良、天理、橿原、どこにも菟田野っていう名字はない。
「そうかもね」
「山田さんは別についてこなくてもいいのに。一人で大丈夫だよ」
「このままだとトラブルになりそうだから、私も行く」
「そんなことないよ。だって夢の為だもん」
確かに鈴木さんは良い子だ。私に化粧品を薦めてくれたり、可愛いリボンをくれたり。今まで会った子の中では、一番優しい。
そんな良い子が北和くんなんかに振り回されているのを、私は申し訳なく思う。だけど北和くんのプライベートも荒らしたくない。
「ここの家でも無いみたい」
「宇陀さんじゃないから」
「ここの家でもない」
「室生さんの家だから」
「うーん、この辺のはずなんだけど」
「いやいや、今まで『菟田野』っていう表札のついた家無かったでしょう。もうそろそろ休もうよ、あそこにある喫茶店とかさ」
近くにある喫茶店を指指す。あそこは何度か行ったことがあるけど、静かで穏やかで、会話を邪魔するような人もいない良い場所だ。休憩するにはもってこい。
「そうだね。ちょっと休もう」
二人で喫茶店へ入り、窓から離れている席に座る。私はストロベリーティーを頼んだ。
「それにしても北和さんの家が全然見つからない。この辺での目撃情報がちらほらあるから、間違ってはないはずなのに」
佐藤さんはアイスの豆乳ラテを頼むと、愚痴を言い始めた。
「そうだね」
間違っていないから問題なんだって、その言葉を飲み込む。
「北和くんは二十代後半のいい年をした大人だよ。だから高校生の私達には想像できない事情があるのかもしれない」
「そうかもしれないけど。夢の為になんとかしたい」
「それは私もそうだけど。もしこのことがきっかけで北和くんが更にアイドル活動をやりたくないって思ったら、逆効果じゃん。同じアイドルグループのメンバーだって活動再開してもらえるよう何度も頼んでいるけど、それも効果出ていないって聞くし」
「知らない人だからこそ、出来ることもあると思う」
「そりゃそうだけど、知り合いじゃあもう説得できないから実際それ以外の方法はないかもしれないけど。北和くんがアイドル活動再開できるように鈴木さんが信じることができるようにとか、北和くんがアイドルをこのまま辞めてしまってもいいように鈴木さんを支える方が良いと思う。アイドルを推すことは楽しいけど、人生それだけじゃないからさ」
鈴木さんは北和くんを推しているだけで、北和くんの所属しているアイドルグループのことはあまり知らない。それじゃあアイドルなんていなくても、楽しく生きていけるようになるはずだ。
「そうかな?」
佐藤さんは納得していないみたい。
「そーだよ。そーだよ。そもそも北和くんだって自分の意志でアイドルを始めているんだ。いつかアイドル活動を再開するはず。それに本当の友達として、アイドルなんていう赤の他人がいなくても生活ができるようにするべき」
それでも押して押して、佐藤さんが北和さんの家へ行こうとするのを止めようとする。
「そうかー。確かに私は知らない人を説得できるほどコミュニケーション能力無いし、北和さんと話すのは諦める」
「それがいいよ」
佐藤さんは北和さんと話すことを完全に諦めたらしい、アイスの豆乳ラテを飲み終わると帰った。
私はストロベリーティーを飲んだ後に、抹茶ラテを注文する。
その時、スマートフォンに電話がかかってきた。
『杏子。さっき見かけたんだけど、何してんの? 女の子と一緒だったけど、彼女と一緒になんで僕の家の近くにいるわけ』
北和くんだ。
さっき佐藤さんと話しているときに電話がかかってこなくて、本当に良かった。そうじゃないと佐藤さんにごまかすことができなかったから。
「たまたまですって。あの子は彼女じゃなくて、学校の友達ですよ。そもそもあの子は私がアイドルだってこと自体知りませんから」
そう、私は北和くんと同じグループに所属するアイドルだ。
そのことを佐藤さんと鈴木さんは知らない。芸名を使って活動しているからなのか、仕事以外では女装をしているからなのか、理由は分からない。それでも佐藤さんと鈴木さんは、私が北和くんとは無関係の人だって思っている。
『そうなんだ。誰が説得しても、僕は活動再開しないから。そこだけは分かって』
北和くんは電話を切った。
北和くんのせいでこんなことになったんだよ、と苦情を言いたい気持ちはある。だけど北和くんだって好きで始めたアイドル活動だ、辞めるのには理由があるんだろうな。
その理由が想像すらできない私には、北和くんが辞めるのを止める権利すら無いのかもしれない。