第六話 私の幼なじみのライバル。
「神崎さんは優璃みたいによく放課後に遊んだりするの?」
デートが決まったからと言って、どこかに行く当てがないというのは私も同じだ。
取り敢えず色々と店も揃ってる街まで出るしかない。
街に出るまではそう距離はないにしろ、此処に行く!
という用事でもなければ滅多に出ない場所なのでパッと思い付く娯楽施設はないが、それは仕方がない。
ただ、そのまま街まで無言で歩くだけというのは余りにナンセンスなので、会話は私から振った。
神崎さんは、一度顎に手を当てて考える素振り。
「いいえ、私はいつも真っ直ぐ家に帰ります」
「うんうん、一緒だね」
「はい……どうにも人混みが苦手で」
「それも一緒だ」
私がそう言うと神崎さんは少し照れ臭そうに笑うので、私の頭は眩暈を起こしたようにクラクラとする。
(これは、ヤバい)
優璃にしてもそうだが、魅力的な女の子というのはどうしてこうも魔性的であるのだろう。
それが優璃は無自覚だとしても、神崎さんは自分が相手の目にどう映ってるのか――それを自覚、理解してやっているような気さえする。
「じゃあ……お互いに行き付けの店とかはないわけだね」
「そうなりますね」
「……デートとして行くには不釣り合いかもだけど、唯一私がたまに利用する店がある。そこに行こう」
そして、私はそんなこそばゆい心情を誤魔化すように行き先を決める。
神崎さんは「はい」とこれまた笑顔で返してくれる。
……これが、あんな風に毅然とした態度で男を振った姿なのか。
掴めない。
優璃という表情、声色一つ取っても全てが分かりやすい幼なじみが唯一の友好関係の私にとって、神崎さんという存在は未知との遭遇となりそうだった。
―――神崎芽美
「此処、私がたまに来る古本屋。私が街を出て行く場所なんて限られてるから……って、なんで笑ってるの?」
――私、神崎芽美が綾川さんに言われるがままに着いてきた場所は、今時珍しい年季の感じる古本屋だった。
店内に入ると、綾川さんが真っ直ぐに分厚い単行本のあるコーナーの前に立つ。
「いえ、すみません。綾川さんらしくて、良いと思います」
「そう? ありがとう……?」
褒めたつもりだったけれど、綾川さんは微妙な表情でお礼を言って、すぐに並べられた本に視線を戻す。
長い間蒸されたハードカバーの紙とインクの独特の匂いに混じって仄かに漂う柑橘系の香りは、綾川さんのものだ。
……ああ、やっぱり変わらない。
そんな事実に、私は少しだけ嬉しくなった。
「色々種類があるんですね。文庫本の方が読みやすそうではありますが……」
「うん。中には文庫版が無いものもあるから家で読む用でたまに。後は、紙の匂いとか……そういうのが、好きだから」
「あっ、それ分かります」
「今は電子書籍とかもあるから、私みたいなのは珍しいと思うけどね」
こうして話してみて分かったことだが、普段の雰囲気と違って綾川さんは意外と饒舌だった。
好きな事について話しているからかもしれない。
というのも、私がいつも見ている綾川さんは誰かと喋っているところを一切見たことがなかったから。
たまに坂宮さんが一人で居る綾川さんに話し掛けて、それに少しだけ困った表情で、返事をして……。
「……どうかしたの?」
そんな風に考え込んでいると、綾川さんが私の顔を覗き込むように問い掛けてくる。
「い、いえっ。あの、何かオススメはありますか? 私もたまに本は読むんですが――」
「あっ、うん。ええと、そうだなあ。本を読める人ってことなら優璃には難しいって言われちゃった本なんだけど……」
(ごめんなさい。独り占めしてしまって)
そうして私は、その気難しそうで、どこか気怠そうだけど嬉しそうに話す綾川さんの横顔を眺めていた。
「……神崎さんって、こういう場所に来るんだね」
その後、暫く古本屋で時間を潰した後に、次は私の案内で訪れた場所はお洒落なカフェだった。
外装も内装も、今時チック。
辺りを見渡せば、同じ制服の女子生徒も居ればカップルで来てる大学生のような人も居る。
「そうでもないですよ。私も二回目です。ただ、一度だけ坂宮さんに連れられて来た事があるだけで」
だから、私には似つかわしくない。
そんな風に伝えると「ううん、似合ってるよ」と言ってくれる。
……褒めてくれたってことでいいですか? その事実が、私の胸の奥の方を刺激する。
良い心地のはずなんだけど、どこか気恥ずかしい。そんな不思議な感覚だった。
「その優璃とはいつ知り合ったの?」
「……実は、その日なんです。私が買い出しに出てる時に、声を掛けられて……」
紆余曲折あってから「少し付き合ってくれない?」と言われたのだ。
お互い話した事はなかったけれどクラスも近かったし、訳あって顔と名前は知っていた。
「……その時に、二人が付き合うって話が出たの?」
「そうですね。提案は、坂宮さんから。最初は、当然驚きましたけど……」
結局、ここまで坂宮さんとは恋人関係となっている。
最初は変な目で見られたり嫌な事も言われたりもしたけれど、一週間もすればそういったことは落ち着いた。
坂宮さんも私と同じように、私と付き合ったと知られたばかりのタイミングでは告白もされているようだったけど、今ではないと言っていた。
私と初めて話した時の坂宮さんとの会話を思い出す。
直前にされてしまっていた告白の返事をどうしようか、と迷っていたのだ。
相手は、別に好きな人なわけじゃない。
私には、他に――。
でも、それは決して叶わない感情に違いないから。
私がいつまで経っても恋人を作らないというのは、他の人の目から見ておかしなことらしい。
だから、迷っている。
どうするべきか、試しに付き合ってみてもいいのかもしれない。そうすれば今抱いてしまっている感情にも、もしかしたら折り合いが付いてくれて――。
そんな風に言っていた。
そんな坂宮さんに、私は自分を重ねた。
名前を言われずとも分かった。
坂宮さんの好きな人は〝綾川凪沙〟で違いない、そう改めて確信した。
恋をしている人が、その相手を見つめる視線は非常に分かりやすい。
でも、あと一歩が踏み出せない。
それは、私も同じだった。
そこで、坂宮さんが提案してくれたのだ。
どうせ叶わない、一歩が踏み出せない。
そんな互いの気持ちを尊重し合い、同時に周囲の雑音を無くす方法を。
「でも、やぶさかではないと思ってたり……なんて」
そこで綾川さんがらしくもない、私の顔色を窺うような微妙な表情でボソリと呟いた。
……何でしょう、気が付けば雲行きが怪しくて。
何か、凄い勘違いをされてしまっている気がして――。
「……あの、説明したとは思いますが、坂宮さんと私は本当の恋人関係ではないですからね?」
一応、釘を刺しておく。
まさか、今更勘違いされているとは思わないですが――。
「でも、あの時は相手が誰であれ、性別がどうであれ関係ないって――」
「……え、もしかして、見てたんですか?」
私がそう聞くと、綾川さんは「あっ」とバツの悪そうな表情を浮かべた。
「ごめん。盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど、待ち合わせ場所だったから……」
……やっぱり、見られていた。
あの時の私は普通じゃなかった。失礼なことを言われてしまった。だから、熱くなった。
普段なら言わないような口調で、態度で返事をした。
今思い返してみても、アレは恥ずかしい。それを、よりにもよって、綾川さんに見られていた――?
「み、見られてたのは恥ずかしいですけど……
仕方がないことです。……今すぐに忘れてほしいぐらいには、恥ずかしいことですけど……」
私は動揺して、二回同じ言葉を繰り返してしまった。
「……でも、かっこ良かったよ。…………本当に、優璃のことが好きなのかなって思うぐらいに」
――嗚呼、だから綾川さんはこんな事を言い出したのか。
だけど、それはあり得ない。
だって。
「坂宮さんは、私のライバルですから」
私が好きな人というのは〝綾川凪沙〟なのだから。
「あの、凪沙さん……って名前で呼んでいいですか? 私の事も、出来れば名前で……」
今は、坂宮さんに遅れを取っている。
だけど、それはこれから少しずつ埋めていけばいい。
今の綾――凪沙さんは、今の私しか知らない。
だけど、今はそれでもいい。
これからは少しずつ私を知ってもらう。そういう挑戦だ。
そう私が言うと、凪沙さんは少し驚いた表情で――ぎこちない動作で頷いてくれた。
―――綾川凪沙
――今日は疲れた。
身体がどうこうじゃない、精神的な問題だ。
神崎さん――芽美は、二人になると意外と饒舌だった。
優璃と芽美との三人で居る時は、私と優璃の会話に相槌を打つぐらいのもので積極的には喋っていなかったから。
そんな芽美の家は私や優璃の家から近場で、一人暮らし。
こんなに綺麗な女の子が一人暮らしだなんて――そう思っていたら、防犯設備の行き届いたマンションだから大丈夫だと言われた。実家がお金持ちなのだろうか。
帰り道も散り散りに、私が我が家に帰り着いた頃には陽も落ち掛けで、既に晩御飯が用意されていた。
そこではお腹を空かせた妹が律儀に私の帰りを待っていたようで、目を合わすなり文句を言われてしまった。
先に食べてくれてたら良かったのに。
そう思っていると「いつもは寄り道しないし、連絡も返してくれないし!」と正論を言われる羽目に。
確かに、私はいつも真っ直ぐに家に帰るし、今日は携帯を見る余裕もなかった。
携帯を開くと、妹からのメッセージ、電話、メッセージ、優璃からのメッセージ、メッセージ、メッセージ……。
妹はともかく、優璃からの連絡は「大丈夫?」「私はカラオケ!」「上手くやれそう?」「帰ったら連絡してね!」などなど、後はどうでもいい事がツラツラと。
相変わらず、携帯越しですら騒がしい様子が伺える。
私は部屋の窓を開けて、隣の家――。
そこには優璃の部屋の窓が二メートルほど先に見えるのだが、今は窓もカーテンも閉められているせいで中の様子までは分からなかった。
何か、あちらの窓まで届くもの――いつか優璃が置いて行った木刀を拾い上げ、そのまま窓をノックする。
暫くして、窓とカーテンが開かれる。
「凪沙、おかえり! デート、どうだった?」
反応が早い。いきなり本題だった。
お風呂上がりなのか、まだ髪が濡れていてシャンプーの良い香りが鼻孔をくすぐる。
「どうって言われても、芽美と行った場所は古本屋とカフェぐらいで――」
……思えば、古本屋ってデートとしてどうなんだろう?
芽美に案内されたお洒落なカフェに比べて、明らかに格落ちな気がするんだけど……。
これは、もしかして優璃に怒られるかもしれない。
そんな風に身構えていると、意外にも優璃は話を聞き終えた後も真面目な表情で頷いただけだった。
「芽美って呼ぶようになったんだ?」
「あ、うん。私も凪沙って呼ぶから、って……?」
「そっか。……良かった」
(なに、その反応……)
私の言葉を聞き終えた優璃は、今までに見た事がないどこか清々しい表情を浮かべていた。
私は、それを良い気持ちで見られなかった。
何だか、二人だけの秘密を共有しているようで。除け者にされているような気分だった。
……こんな事を考えるだなんて、私らしくもない。
「……優璃と芽美って、仲良しだよね。それこそ、偽の恋人じゃなくて本当の恋人同士みたいで……」
だから、私は芽美に否定されたはずの言葉を繰り返した。
……本当にらしくない。これでは、二人に対して面倒臭い種類の嫉妬をしているようだった。
謝って、訂正しないと――そう、思っていたのだが。
「そんなことないよ」
優璃は、真面目な表情で返す。
「だって、私と芽美はライバルなんだもん」
最後にそう言うと、優璃は茶目っ気たっぷりの笑顔とウィンクを私へ送って窓とカーテンを閉めてしまう。
呼び止める隙すらなかった。
「なに、それ……」
力が抜けた私は、そのまま床に座り込んでしまった。
二人ともが、互いに言った言葉。
その〝ライバル〟の意味が分からなかった。
それに、その言葉の意味を知ってしまったら――。
いよいよ、私は引き下がれなくなるのだろう。どこかぼんやりとした頭の中で、そんな風に思った。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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