第四話 私の幼なじみが羨ましい。
――昼休み。
それは、学生身分の私たちにとって心休まる至福の一時。人気のない中庭で、時に黒猫のネブくんの相手をしながらゆっくりとお弁当に舌鼓を打つ。
その空間は緊張感のある授業や、周りが騒がしい授業合間の休憩時間では得られない感覚だ。
少なくとも、私にとって昼休みとはそういう解釈をしていてた……はずだったんだけど。
(今日は、いつもより騒がしい昼休みになりそう……)
それが何でかと言うと、一限目の授業が終わってすぐの休憩時間。優璃が神崎さんをクラスに呼んで、三人で談笑をしようだなんて考えていたからことから始まる。
それも全て、優璃のお節介からだ。
悪気があったわけでないのは分かっている。紛れもない善意なのだろう。
ただ、そんな風に何人かから注目を浴びる空間に居続けるというのは私にとって余りにも苦行なのだ。
かといって、私も立派な日本人だ。
残念、悲しそうに落ち込む優璃を見て申し訳ない気持ちになり、その後に続いた言葉にはノーと言えなかった。
『じゃあ、お昼休みは? 登下校は?』
『……まあ、いいよ』
『ほんと!? やったっ、良かった!』
だから、私は妥協案に頷いた。
……頷いてしまった。
まあ、いいんだ。
私だって、何も一生誰とも関わり合いになりたくないなどといった思考は持ち合わせていない。
人目の無いところなら、辺りを気にする気苦労もない。
優璃は可愛いし、神崎さんも綺麗。
ああ、折角の機会だ。目の保養にでもさせて戴こうじゃないか! ……と、思って中庭に向かう道中だった。
「ごめんな。急に時間をくれだなんて言って」
不意に、声が聞こえてきた。
男の人の声だ。
「いえ、それは構いませんが……出来れば早く用事を済ませていただければ助かります」
その言葉に返すのは、女の人の声。
……というより、聞き覚えがある。神崎さんの声だ。
「その、神崎さんが坂宮さんと付き合ったのって本当なのか?」
思わず、私は声から死角となる下駄箱の物陰に身を隠す。
これは……。
もしかして、不味い場面にあった?
私は、壁を背もたれに溜め息とも違う息を深く吐く。
「はい、本当ですが……」
「なんで?」
「……なんで、とはなんでしょう」
「いや、二人とも女じゃん! んなのおかしいって」
開口一番になんて失礼な奴だ。
聞き耳を立てている私もどうかと思うが……待ち合わせ場所が中庭なのだから仕方がない。
早く終わってくれと願う。
「そうですか。ですが、私は人が人を好きになる事においてそういった感覚は持ち合わせていません」
しかし、神崎さんは毅然とした態度だった。
その様子に、男の方は呆気に取られているようだった。
「話は以上ですか? では……」
「ま、待ってくれ!」
「まだ何かありますか? 私は、これから――」
「神崎、好きだ! 俺と付き合ってくれ!」
ムードもへったくれもない。
今までの会話のどこに手応えを感じて、その勢いの舵を切ったのだろうか。
「申し訳ありませんが、お断りします。話が以上なら、お引き取り願います」
痛快だった。
イメージでも何でもない。神崎さんが近寄り難いという印象は普段の言動から現れるものだったのかもしれない。
(……と言っても、相手が失礼だってのもあるか)
それも考慮しなければならない。
……って、なんて私は悪趣味な解説に回っているんだ?
「ちょ、ちょっと待ってくれ! そんな、考える素振りも無しに……!」
「……はあ」
しかし、まだ粘るようだった。
凄い打たれ強さと痛覚のない神経で、それは私には無い物だ。羨ましくはない。
それにしても、顔の良い人の溜め息を吐いた顔というのは唆られるものがあるよね。……羨ましくはない。
「……思い出しました。アナタ、坂宮さんにも告白してた方でしょう? それに、何度も」
「な、なんでそれを……」
「相談を受けました。ようやく諦めたかと思えば、次は私ですか……」
――はい? 優璃からの、相談? ……私は、受けていないんだけど。
別に、それがどうってことではない。
……ないんだけど。
今まで、その役回りは私だったはずだ。
勿論、優璃には友人が沢山居る。相談出来る相手なんて幾らでも居るだろう。
だけど、一番は私だった。
確かに高校生になってからは相談の数も減ったと思った。
だとしても、それは相談してもキリがない数だからとか、そういうものだと思っていて――。
「だけど、やっぱり女同士なんておかしいって!」
「…………ですが」
「俺なら絶対好きって言わせてみせるから! 友達からでもいい! チャンスをくれよ!」
「私は……」
私がぐるぐると行き場のない思考を巡らせていると、話はトントン拍子で進んでいるようだった。
相当な自信家の為せる発言だ。
神崎さんも、その勢いに気圧されてか黙り込む。
――何を、考えているのだろうか。
私は純粋に神崎さんの返答が気になった。
彼女は、綺麗だ。
優璃も可愛くて、性別という壁を度外視してスペックだけを切り取ってみれば確かに二人はお似合いだ。
だから、本心は。
「では、この際にハッキリとさせて置きましょうか」
神崎さんは胸に手を当てて、深く息を吐く。
ドキリとした。
男の背中越しに神崎さんの表情まで見て取れる。
私に向けられた言葉であるはずがないのに、心臓が不規則に波打っていた。
「私にとって恋愛とは相手が誰であれ、性別がどうであれ関係ないです。たまたま、好きになった相手が女の子だったという……ただ、それだけのことです」
そして、神崎さんはそう言い切った。
「クソッ、もういい! 俺だって、本当はお前なんかどうでも……!」
気が付くと、男は神崎さんに悪態を吐きながら帰っていくところだった。
失礼な事を言われながらも、それでも神崎さんは毅然とした態度で立っていた。
……それにしても、やっぱり告白だったか。
男避けのための交際だったはずなのに、初日から告白されてしまうとは。
本当に二人の交際に意味はあったのだろうか? ……否、これからあるのだろう。
「今のっ、今の、聞いたよね……!?」
「うんうんっ」
「私、二人が付き合ったって半信半疑だったんだけど……」
「「「きゃああああっ」」」
極力抑えた声ながら、しかし、興奮した口調の話し声が私の耳に聞こえてくる。
実は、途中からそういった存在に気付いていた。改めて、辺りを見渡す。
「なになに? 何があったの?」
「今、神崎さんがね――」
すると、神崎さんと男の死角の位置から私と同じように数人の生徒が足を止め、告白の一部始終をその目に収めているようだった。
丁度通り掛かった生徒も、その小さな騒ぎに興味を示して事情を聞く。
そして好き放題に感想を言い合った後にやがて、皆んな散り散りに去っていく。
おそらくこれから、各々のクラスで、友達に今回の光景の話が為される。
それで今まで半信半疑だった者も、今回の件を境に本気なんだと悟る事になるのだろう。
「あっ、凪沙! お待たせ。購買、少し混んじゃってて……こんなところで、どうしたの?」
不意に私は、左肩をポンっと叩かれ声を掛けられる。
――優璃だ。
そういえばお昼休みに入った直後に『私は購買に行ってから中庭に行くから先に行っていて』と言われていた。
肩を叩いた逆の手には購買で買ったのであろう、三つのカップジュースを器用に持っていた。
「いや……なんでもないよ」
私は、夢うつつのような感覚で返事をする。
そんな私の返事に、優璃は「ふぅん?」と不思議そうに小首を傾げる。
相変わらず、可愛い。
昨日の私は、そんな素直で無防備で可愛い幼なじみが取られた思って……たぶん、冷静さを欠いたんだ。
だけど、今は。
「じゃあ、行こっ! 芽美が待ってるよ!」
あんな風に、神崎さんに思いの丈を告げられる。
それが、仮初めの恋人相手への言葉だとしても――優璃が羨ましいと思ってしまった。
その日の中庭でのお弁当は、なぜか味がしなかった。