第三話 私の幼なじみはお節介。
色々とあり過ぎた一日の翌日。
濃紺のブレザーとチェックのスカート、ズボン。
そこに女子は白色、又は薄いピンク色のブラウス、男子は白色、又は薄い青色のワイシャツ。
それが我が学園生徒の目印だ。
そのすれ違う生徒たちが、登校時の通学路からざわざわと色めきを立っていた。
対して、聞き耳を立てなくても内容に察しは付いている。
……優璃と神崎さんの話だ。
二人が付き合い始めたという噂は、半日も経たずに学園中に広まったらしい。
もっとも、その噂が広がるのは良いことだ。
そもそもの二人が付き合い始めた理由というのが、男避けのためであるからだ。
ただ、そこに一つの問題がある。
「……何でしょうか、今朝から視線を感じるのですが」
「うーん……そうかも……? でも、芽美はそういう注目を浴びるのって慣れてるんじゃないの?」
「まあ、そうなのですが……ここまではないですね。そもそも、私に注目するような魅力はないと思うのですが」
「またまたあ。うちのクラスの人も言ってたよ? 神崎さんとお近付きになりたいー、なんて」
…………私が、その華やか過ぎる注目の的の二人と一緒に居るということだ。
もっと言えば、二人は何で注目を浴びているのかの理由に気付けていない様子なのも問題だった。
「私、寝癖でもあるんでしょうか……」
神崎さんは的外れな心配をして前髪をくるくると弄る。
容姿端麗、学業優秀な神崎さんだが、実は天然ちゃんなのかもしれない。
これこそ号外にするべきだ。
その珍しい姿を目の前で拝めた私は、ラッキーなのかもしれない……。
(いやいや)
ぶんぶんと頭を振る。
そもそも、何で私は二人と並んで歩いているんだ。
「……二人が付き合い始めた噂が流れてるせいだよ」
このまま無自覚に存在感を出し続けられるのもどこか癪だったので、二人の半歩後ろを歩いていた私がぼそりと呟く。
すると、二人は一斉に此方に振り向く。
「あっ、そっか……!」
「う、噂というのは早いものですね……!」
え、本当に無自覚だったの?
その能天気過ぎる反応に、私は思わず吐き出し掛けた溜め息を押し殺した。
昨日から、溜め息を吐きたくなる場面が多い。
溜め息を吐くと幸せが逃げると言うが、我慢するのも良くないのでは。
というよりも、そもそも我慢しなければならないほどに溜め息を吐きたくなるような状況がまずおかしくて――。
「ところで、凪沙はなんで私たちからどんどん離れて歩こうとするの?」
びくり。
優璃の指摘に、出来るだけ小さくあろうとネブくんのように丸めていた背筋が伸びる。
「…………ばか」
目立つのが嫌だからに決まってるじゃん。
そんな私の反応に歩く速度を落とした優璃が不思議そうに小首を傾げると、その私たちのやり取りに神崎さんも呼応するかのよう、どこか儚げに映る雰囲気でフッと笑って見せてくれた。
……不味い。
美少女というのは、罪だと思う。それは相手が同性であろうと、関係ない。
そんな短調な動作一つで、私の意識を簡単にくらくらとさせてしまったのだから。
本当に優璃は、ただ男避けのためだけに神崎さんと付き合うことにしたのだろうか。
昨日、家に帰ってからよーく考えた。
結果、余計に気持ちの整理が付かなくなってしまった。
しかし、結局はそれでもいいかと結論付けた。
どこまでいっても所詮、二人は私とは別世界の人間だ。
積極的に関わり合わなければ、そんな考えに頭を悩ませる必要もない。
面倒事は、苦手だ。
……そう、思っていたのに。
やがて、学校。
一限終了のチャイムが鳴ると、教卓の前で今日の授業の要点を喋っていた教師も「次までに復習しておくように」とだけ言い残して教室を去って行く。
いつもの流れだ。
だから、私は鞄から本を取り出す。
生憎、私に授業合間の休憩中に会話をするような友人は存在しない。
かといって、別に不便も不満もない。
例えば、同じクラスメイトでもある優璃。
彼女の周りには、いつも人が寄る。
その輝かしい姿は、幼稚園に居た頃から小、中と高校生になった今も変わらない。
現在も楽しそうに談笑に暮れているが、私には無理だ。
高校生になるまで常に同じ学校の優璃は、毎度最初はその群衆を引き連れて私を縁の中に入れようとしたけれど――。
その度に、本当に辞めてくれとお願いした。
私には一日に使っていいエネルギーみたいなものがあるとして、その容量は人並み以下だ。
優璃が百だとしたら、私は十だ。
三輪車程度の馬力で高速道路を走り切れるわけがない。
そんな私が、優璃の周りの取り巻きの人間たちは気に食わないらしい。
みんな、優璃に好かれたいのだ。しかし、私に手を出してしまえば幼なじみの優璃は怒るだろう。
おかげさまで、表立って嫌がらせされることもない。
それでも、諦めずに私に構って来るけれど……。
どうやら優璃は、学校でも構ってほしいらしい。
家に帰れば幼なじみ特有の近所付き合いもあるのだから、そこでなら私も多少は……。
…………いや、まあ。
私のペースと優璃のペースでは結局根本から違うし、たまに私の方が疲れてしまうのだけど。
がらっ。
「お、おい、あれ……」
「えっ、うちのクラスに来るの珍しくない?」
「やっぱり綺麗だなぁ」
教室のスライド式のドアが開けられる音がして、急にクラスメイトたちがざわめき出す。
休憩時間はほんの数十分程度だが、一組から八組まである一年生のクラスは何組か階こそ違うが同じ校舎だ。
その合間を利用しクラスを移動して仲良しの人間に談笑しに来たり、教科書の忘れ物を借りたり……。
そういうやり取りは、そう珍しくない。
勿論、私にはないけれど。
と、それは今はいい。
かといって、普通の人間ではこうもざわつかない。
「あれだよあれ! 坂宮さんと付き合ったって言う……!」
「ああ! だから!」
「あの噂、本当だったんだ……!」
ただし、その訪問者が神崎さんだと話は変わるらしい。
うちのクラスが三組で、神崎さんは確か一組だった。
一組と三組ということなら階も同じだし、行き帰りに手間もない。
だけど、今まで神崎さんがうちのクラスに訪れるようなことはなかった。
何の目的で……って、それは決まっている。
「お待たせしました」
「ううん、わざわざ来てもらってごめんね」
「いえ、そうでもしないと……」
「……うん、そうなんだよね。たぶん、言っても梃子でも動かないからさ。ごめんね?」
坂宮優璃と神崎芽美が付き合っているから他ならない。
神崎さんが優璃の下へ行くと、ざわざわと優璃の近くにいた生徒たちが身を避けていく。
――二人の邪魔をしてはならない。
決して誰かが声に出したわけではないのだが、そんな思惑が感じ取れた瞬間だった。
しかし、その後の会話に異議を申し立てたい。
二人は、ちらりと此方を伺いながら喋っている気がした。
(というかあの様子、私の話をしているような……?)
自然と、私にも視線が集まる。
……居心地が悪い。
私は、読み始めようとした本をパタリと閉じて席を立ち上がった。
「あっ、凪沙……!」
そのまま視線を引き剥がすようにして教室から出て行こうと二人の側を横切ると、優璃が何か言いたげに手を伸ばした。
……だけど、無視、無視。
「もうっ! 芽美、行くよっ」
「は、はいっ」
……なんで?
しかし、二人は私の後を着いて来ようとした。
「ねえ、ちょっと待って、凪――」
「私に何の用事?」
「きゃあっ」
「っとと、お二人とも、大丈夫ですか……?」
教室を出て、私を追い掛けようとした優璃を出迎える。
優璃は私が逃げてしまうと思ったのだろうか、小走りに廊下に出たようで、そこに待ち構えていた私にぶつかってバランスを崩してしまう。
「もう……私は大丈夫だけど、優璃は?」
「わ、わたしは……」
仕方がないので簡単に抱き抱えるような体勢を取った。
危ないようなぶつかり方はしていないから大丈夫だとは思うけど――。
「だ……だい、じょうぶ」
顔を真っ赤にさせて口をパクパクさせた後に、そんな言葉が返って来る。
まあ、怪我がないなら良かった。
その次の問題は、どうしてそこまでして私を追い掛けようとしたことか……に繋がるけど。
「それで? 何か用事でもあるの? 急に、神崎さんまで連れて来て……」
チラリと神崎さんの様子を伺う。
当の本人は、私と優璃に怪我がないのかと心配そうに此方を見つめていた。
――まあ、何て言うか。
相変わらず、綺麗だった。
優璃とは対照的に、着崩していない制服もそれはそれで魅力的に映るほどに正統派美人。
実際に芸能人に会ったら、こんな感じなのかもしれない。
そう思わせるほどのオーラが彼女にはあった。
「よ、用って言うか……それは……ええっと」
「私と坂宮さんが本当に付き合ってるって、みんなに分かってもらうためのポーズです」
「そ、そう! それそれ! それだよねっ」
そういうことじゃない。
私は、二人がなんで私に構って来るのか――と聞いたつもりなのだから。
言い詰まった優璃を援護するような神崎さんの説明に、私は顔を顰める。
「その、迷惑……でしたか?」
そんな私の反応に思うところがあったのか、神崎さんは申し訳なさそうに聞いてくる。
「迷惑ってわけじゃないけど」
「な、なら、いいでしょ?」
私の返事に、優璃がおずおずと意見する。
……ちなみに、朝の登校もこんな感じで二人が私の下にやって来たのだ。
いつもは優璃の側に居たら目立つから――と控えていた朝の一緒の登校を、二人して私の家の前で待っていた。
おはよう、とだけ挨拶して無視して歩き出すと、二人も当然のように横を並んで歩いて来た。
……その時は、まあいいかと流したけど。
「だって凪沙って、学校でも私が声掛けない限りは誰とも喋ろうとしないでしょ? 芽美なら凪沙と似てるところもあると思うし、いいのかなって……」
私が黙っていると、優璃がそんなことを言う。
……似てる?
神崎さんと、私が?
「……ごめん、どこが似てるの?」
此方としては、私のような人間が神崎さんみたく学園一の美少女だと持て囃されることは今後の人生に置いて一瞬足りともあり得ないと断言出来るのだけど……。
「その、人を寄せ付けない感じ!」
ビシッ! と指を指される。
「私には、そういう自覚はないんですが……」
私にもない……と、思うのだけど。
確かに、優璃の言うことにも一理ある――と感じるところもある。
私はともかくとしても、神崎さんには美少女特有のオーラみたいなものが確かにあって、変に近寄り難いイメージはあった。
噂に耳聡くない私でも、誰がどんな告白をしても神崎さんは首を縦に振らず、しつこく言い寄った男にはキツい言葉でお引き取りをお願いする――と聞いたことがある。
人のイメージとは色々な要素が絡まり合って形成される。
神崎さんのように目立つ人種は、積極的に誰かと絡まない限りはイメージもどんどん固定化されてしまうだろう。
それこそ、噂に尾鰭は付く。
昨日今日と私が神崎さんと会話した感覚では、そんな風に耳にした噂ほど神崎さんに近寄り難い雰囲気はない。
ちゃんと、普通の女の子だ。
……それでも、その神々しさとか一つ一つの動作とか、どうも同じ学校の人間と思えないオーラは感じ取れるけど。
「……とにかく、何の意図があるのかはこれ以上聞かないけど――休み時間にまで二人が私を囲むと、その……」
「……その?」
「えっと…………変に目立って、居心地が悪い」
少し伝え方には迷ったが、そう言っておいた。一応、本心ではあるものだし。
「居心地……」
「そんなに気になるもの?」
「……坂宮さん。すみませんが、その、言わんとすることは分かります。人混みとか、私も苦手だったりするので……」
言葉を選んで説明する私を見てか、神崎さんからも助け舟が運ばれる。
良かった、神崎さんも似たような考えを持っていて。
……そういう部分では、確かに似ているのかな? 神崎さんが誰かと群れるイメージは、どうにも想像付かない。
結局、それも本人を良く知りもしない勝手なイメージでしかないのだけど。
「そ、そうなんだ。じゃあ、仕方ないかな……」
反して、落ち込んだ表情を浮かべるのは優璃だ。
まあ、これでは二対一の状況だ。少しだけ、申し訳ない気持ちも生まれる。
「じゃあ……お昼休みは? 登下校は?」
「……まあ、いいよ」
「ほんと!? やったっ、良かった!」
――だから、私はその優璃の妥協案に頷いた。
そんな私の返事が芳しいものだったらしい優璃は、嬉しそうな表情で手を叩いた。
(まあ、合間の授業休憩ですら常に二人の注目や視線に巻き込まれるよりはマシかな……)
……優璃は、優しい子だ。
高校生にもなって友達の一人も出来ない私に気を遣って自身の周りの人間を近付けようとしたり、他にも色々と。
それと、神崎さんのこともあるのだろう。
彼女も私と同じように、誰かと仲良くしているところを見たことがない。
孤高の存在ってところだ。
色々と理由があるにしろ、二人は恋人になった。
気を遣って、ついでに私たちの仲を取り持とうなんて考えているのかもしれない。
優璃自身、賑やかな方が好きなタイプだろうし……。
まあ、優璃の意図も大体分かった。
神崎さんは、おそらく優璃に言われるがままについて来ただけなのだろう。
「良かったです。もしも、凪――綾川さんに嫌がられると思ったら、わたし……」
かと言って、嫌がっているわけではない。
そんな私のことでホッとした表情をされてしまえば、私もバツが悪くなる。
アレもダメ、コレもダメ。
私の平穏が脅かされるとは言っても、そんな幼なじみ思いの優璃のことを蔑ろにし過ぎるのも良くない気がする。
……たまには、こういうのもいいかな。
「じゃあ、昨日は殆ど話せなかったから改めて。私は、綾川凪沙。優璃の幼なじみ。よろしくね」
「は、はい。私は神崎芽美です。よろしくお願いします」
神崎さんは丁寧に頭を下げる。
それに釣られて、私も目線を下げる。
「凪沙にも、ついに……」
そんな私を見て、優璃はウルウルと目を輝かせていた。
……本当に優璃は大袈裟で、お節介だ。
こうして、一生関わることのないと思っていた神崎さんと私は繋がりを得ることになってしまったのだった。