第五話 私の幼なじみたち。
「優璃、芽美さんと別れたのって本当なの!?」
「なんで? あんなにお似合いだったのに……」
「今も仲良しだよね?」
「何か理由があるんじゃないのかな」
「……なんかさ。私、噂で聞いたんだけど――」
一限目、二限目と授業が進んで行く。
その度に教室がざわざわとし出し、合間の休憩時間を迎える度に別の教室から入れ替わるようにして優璃の友達が顔を出して真相を探るべく人だかりが出来た。
「いや、嫌いになったとかじゃなくて――」
その対応に、優璃は追われていた。
学園で一番注目を浴びていたカップルだったのだ。別れた理由、それを誰しもが気になった。
一限目の後の休憩時間には来ていた芽美も、以降は来なくなった。
もしかしたら、芽美のクラスでも同じようなことが起きているのかもしれない。
友達は多くないと言っていたが、事情が事情だ。ああだこうだと質問責めにあっていても何ら不思議ではない。
そして、今は三限目が終わって四限目へと差し掛かる合間の休憩時間。
ぶぶ、と携帯が振動する。愛香ちゃんからの連絡だった。
『今、電話出来ますか?』
簡潔だ。
このタイミング。今の騒動と無関係ではないはずだ。
仕方ない。
自ら身を投げ出すような覚悟で、私は愛香ちゃんへと電話を掛けた。
ぷるる。
ワンコールも終えないうちに、応答があった。
『あの、凪沙さん』
「はい。なにかな?」
『優璃先輩と、芽美先輩が別れたと聞きました。事実で間違いないですか?』
やっぱりだと言うべきか。
どうやら、優璃と芽美の話は愛香ちゃんの下にまで到達してしまったらしい。
動揺したような声ではない。
淡々としていた。
こうなった以上、愛香ちゃんから何か言われる覚悟はしていた。
出来れば、昼休みにでも自分たちで伝えたかったけど。
もう、後戻りは出来ない。
「……うん」
『昨日の凪沙さんからの連絡と関係はありますか?』
「それは……」
ある、ない――で言えば、ある。
『いえ、もういいです。……はあ。そうなりましたか』
私の言い淀んだ間で、愛香ちゃんは勝手に納得した。
しかし、否定は出来ない。
「ごめん。今日までに言おうとは思ってたんだけど、こんなにも早くそっちまで話が回ると思ってなくて……」
『安曇先輩たちから連絡があったんです』
「え、なんでそこ?」
『中等部の頃に優璃先輩の追っ掛けのようなことをしていた私だから、そりゃ連絡も入りますよ』
ということは、元々知り合いだったということか。
『そもそも、私は一度『気を付けてください』と言ってたはずです。それで、察してると思ってましたが……』
そういえば、愛香ちゃんとゲームセンターで遊んだ別れ際にそんな風な言葉を言われた。
あの時は深く考えなかったが、なるほど確かにそうだ。
愛香ちゃんは、高等部生徒じゃないのに優璃と芽美が付き合ったという情報をわりと早く掴んでいた。
それに、中等部の頃に、朧げに優璃の側に愛香ちゃんが居た記憶はあったんだ。
安曇さんたちと知り合いでも何らおかしくはないし、そこに気付けるタイミングは何度かあったはずだ。
「でも、そんなこと言われても。それに、気を付けようにもどうしようも……」
『私は、お二人が別れたことに関してどうこう言うつもりはありません。経緯もあったでしょう。問題は別です』
問題は、別?
『どうやら、安曇先輩たちは優璃先輩と芽美先輩が別れた原因は凪沙さんにあると思っているようです』
「…………ほあっ、はえ? い、なんで?」
サラッと爆弾発言が出た。理解が追い付かず、呂律も回らない。従って、変な声が出てしまった。
『そう言われたからです。『絶対、綾川さんが二人に変なことを唆したんだ』って』
いや、そんなことを言われても!
何か弁明の抗弁を述べようとして。
しかし、まるで息の仕方を忘れたかのように口がぱくぱくと開くだけで何も言葉が出て来ない。
『今は、何も思い付きませんか……』
……どうしよう。
私は、思わず携帯を落として頭を抱えそうになった。
『ですが、覚悟しておいた方がいいです』
だって、否定のしようがない。
ある意味で、私が唆したから今の現状になっているのには変わらないのだから。
『審議に掛けられる準備を、今からしておいてください』
最後に、愛香ちゃんはそう言って通話を切った。
ぷつん。つーつー。
と、通話の切れた後の音がする。
警告。
これは警告だ。
以前、愛香ちゃんが伝えてくれた。
あの時の言葉は遠回しなものだったが、今回はハッキリとした言葉で私に伝えてくれた。
「綾川さん! 今回のこと、アナタに原因があるんじゃないの!? 全て、説明して!」
三人組一行から、安曇さんが私に向かって指をビシッと顔前に突き付ける。
事態は、どこまでも面倒な方向に進もうとしていた。
―――
「ああ、私の大切な昼休みが……」
昼休み。
中庭に集まった数人の生徒がいた。
「凪沙、大変なことになったね」
「ど、どうしましょう……?」
私、優璃、芽美。
「それで、どうして優璃と芽美は別れたの!?」
「あんなに仲良かったのに!」
「急に別れただなんて、おかしいって!」
安曇さん、飯塚さん、漆原さん。
「なんで、私まで……」
愛香ちゃん。
この計七人だ。
私の愛して止まない中庭が、かつて、こんなにも賑やかで騒がしいことがあっただろうか?
「ねえ。あれ、優璃さんと神崎さんだよね……?」
「何が起こってるんだ?」
「なんか、優璃さんと神崎さんが別れた原因が綾川さんにあるとか……」
購買に行く途中、ふと廊下の窓下を覗いた途中、そうした人間たちが足を止める。
ざわざわと好きなことを言い合っている。完全に野次馬状態だ。
優璃と芽美、その間に私。
それに対面するかのように、安曇さん、飯塚さん、漆原さんが並んでいる。
そこから少し離れて、愛香ちゃん。いつかのゲームセンターで取ってあげたぬいぐるみを持っている。
なんだこれ。
明らかに、私だけ場違い過ぎるのでは?
しかし、私がその渦中のうちの一人なのは、もう認めるしかないだろう。
「綾川さん、私たち前に……言ったよね?」
前に言った――というのは、私が優璃の引っ付き虫がどうとかいう話だろう。
言葉を濁しているのは、優璃に聞かれたら良くないことだと自覚しているからだ。
優璃と芽美は、何のこと? といった言った様子で私の顔を見る。
……まあ、わざわざ告げ口する必要もない。
「それでも、優璃と芽美は私を選んでくれた。だから、私も答えた。それ以上でも、それ以下でもない」
「……っ!」
「なに、それ……!」
だから、私は精一杯の言葉で返事をした。ある意味で、それは三人にとって皮肉に聞こえたはずだ。
優璃に選ばれたのは、アナタたちじゃない。
それは最初に恋人に選ばれた芽美だったし、その芽美と別れる判断をしたのも、結局は私のためなのだ。
「所詮優璃と芽美さんの引っ付き虫のくせに、生意気……」
そして、顔を顰めた安曇さんがそうボソリと呟いた。
「ちょっと! 何てこと言うの!?」
「酷いですっ!」
「だ、だってさ……! 絶対、おかしいんだもん! 二人と側に居るのが綾川さんって、釣り合ってないんだもん!」
優璃と芽美の非難の声から、安曇さんは滅茶苦茶なことを言い出す。
それは、これまでの優璃の全てを否定する発言だ。
「あずみん……」
「えっ、あ。いや、今のは……!」
ショックを受けた様子の優璃を見て、安曇さんが慌てた様子を見せる。手遅れだ。
……だけど。
酷いとは思う。理不尽だとも思う。
しかし、そういう気持ちを安曇さんたちが抱く理由も分からないでもない。
私は、そうも思ったはずだ。
私は運が良かった。
物心付いた頃から、家が隣だという理由で優璃と常に一緒に居ることが出来た。
性格は真反対だし、振り回されることの方が多かったが、本気で拒絶したくなるほど優璃を嫌いになれなかった。
じゃない。
好きだったんだ。
だから、何だかんだと言いながら常に優璃の側に居たし、そんな特別感に浸っていた。
芽美にしてもそうだ。
あの時、あの公園で芽美と会った少女が別の女の子だったら。今の私と芽美の関係はない。
出会いというものは、全てそういうものだ。
だから、一期一会なんて言葉がある。
そうは分かってはいても、私は私の幸運に『本当に私で良かったのか』なんて思わずには居られない。
IFの世界を考えても仕方がない。そう、心の中では分かっているはずなのに。
「……ごめん」
だから、私は謝った。
「なんで凪沙が謝るの!?」
「凪沙さんが謝ることなんて、何一つありませんっ!」
優璃と芽美が、私の謝罪を掻き消すように声を荒げる。
やっぱり、二人は優しいな。
だけど、違うんだ。私の言いたいことは。
「違う。安曇さんたちの言いたいことは分かる。他の人たちも、口にしないだけでそう思ってる人が沢山居ることも」
私も、一度は距離を置こうとした。
それでも、やっぱり無理だった。
一度知ってしまった甘味が、すぐ側で手を招いて私を待っている。
「だから、ごめんなんだよ」
忘れられない。
手を伸ばしてしまいたくなる。
「分かっているけど。私が不釣り合いだろうと。それでも、私は優璃と芽美の側から離れるなんてことは出来ない」
言い切った。
ふう、と息を吐く。
「愛香ちゃん、改めて色々ありがとう。今も、心配して来てくれたんだよね?」
「……別に、そんなつもりじゃ」
今までダンマリを決め込んでいた愛香ちゃんに声を掛けると、面倒臭そうな返事が返ってくる。
「その子、名前なんだっけ?」
「ポイズンくんです」
「ええっと。モチーフが、確か……」
「腐った世の中に対して、誰しもが思っているけれど言いにくい。そんな出来事を風刺する」
そうだ。
だから、ポイズンくんだ。
「それで今、ポイズンくんの影響を受けて言いにくい事もハッキリと口にする人が多くなったって評判なんだよね?」
「はい。ちゃんと、覚えてるじゃないですか」
そう言いながら、愛香ちゃんがギュッとポイズンくんを抱き締める。
その紫の顰めっ面が、今は少し可愛く思えた。
「……よし。じゃあ、私も流行りに乗ろうかな」
私がそう言うと、愛香ちゃんは何も言わずに頷いた。
……なんだかな。
この子、見た目は小さくて愛嬌があって可愛くて、喋れば生意気なんだけど、一々良い子だなって思わせてくるなあ。
この今の騒ぎが落ち着いたら、目一杯に頭を撫でてやろうか。きっと、ウザがられるけど。それもまた、いい。
(……よし)
心の中で、一呼吸を置く。
夏間近の熱気も、この中庭の構造上感じさせない。
私の今の気持ちと一緒だ。
不思議と、どこか清らかで、涼しい気分ですらあった。
「優璃と芽美は、私のことが好き?」
その勢いのままに、私は二人に質問をする。
「えっ、急にどうしたの……?」
「突然、確認したくなった」
「と、突然って。ほ、本当に突然ですね!?」
ごめん。
でも、今聞かなければ駄目なのだ。
そんな私の雰囲気を感じ取ったのか、
「じゃ、じゃあ……?」
「は、はい……」
二人が目配せして、確認を取り合う。
「「ご、ごほんっ」」
咳払い。
――何度か聞いた。
だけど、何度聞いても緊張する。
「私、凪沙のことが好きだよ!」
「私、凪沙さんのことが好きですっ!」
目一杯。想いが伝わる、大きな声だった。
そして、その声は静まり返っていた中庭に響き渡る。
「ありがとう」
胸の奥がじんとした感触を撫でる。
嬉しい。
そういう気持ちだ。
世界で一番魅力的な二人に、
世界で一番魅力的な告白をされる。
役得だ。
そんな冗談すら浮かんでくる。
「それが聞けて満足だよ」
私は、そう言って皆んなの輪から外れる。
中庭の真ん中に立つ。
……目立つな。
色んな人の目の前に立っているからだろうか。
こんなの、私の知ってる中庭じゃない。
明日には元通りになってくれないだろうか。……今、考えることじゃないか。
そんなことを考えながら、すうっと息を吐く。
どうせなら、このぐらい目立った方がいい。
私たちの学園は、殆どが見知った人間同士の狭いコミュニティだ。
隠そうとしたって、勝手に噂が立つ。なら、その噂に尾鰭が付くよりも前に。
私がこの場で、全てを簡潔に。
この問題の全てを完結させてやるのだ。
「今から話すことは、全部本当のこと。優璃と芽美に、聞いてほしい」
胸に手を当てて、ドキドキとする鼓動を抑える。
緊張? 恐怖? 興奮?
どれとも同じようで、違うような感情が私を襲う。
「私、優璃と芽美が付き合って、正直嫌だった。モヤモヤもした。私の幼なじみが寝取られたって、本気で思った」
馬鹿みたいだって、思うかもしれないけど。本当にそう思ったんだ。仕方がないよ。
「考えないようにしてたけど、気付かされた。二人が私のことを好きだって言ってくれて、それで……」
そんなはずがない。二人は、私のことなんて。
自分に自信なんてものを一ミリも持ち合わせていなかった私は、その事実を知って動揺した。
そして、私はどうなんだろう?
そう思って、沢山考えて、ようやく辿り着いた。
「だからっ。私は、二人が好き! 優璃が好き! 芽美が好き! どっちの方がどうとか――今は、考えられない!」
……答えになってないのかもしれないけれど。今の私が吐き出せる、精一杯の素直な気持ち。
「全て有耶無耶せずに答えを出せって言うなら――私は二人を選ぶ! だって、二人のことが好きなんだもん。それ以外は、それ以上は考えられない!」
――言った。
言ってしまった。
今までの人生で、こんなはち切れそうな熱量と声量を出したことがかつてあっただろうか。
そう思えてしまうほどに、私は力の限りで叫んだ。
この私のお気に入りの中庭は、その名の通り校舎の中心に位置する。
その騒ぎを聞き付けた野次馬が、また人を呼び付ける。
そうして出来た人だかりは、気が付けば何十人――。
いや、校舎窓や屋上から見下げる人たちを含めれば数百人にも及ぶかもしれない。
待て。
私は何をしでかしてるんだ?
ふと、そんな風に我に帰ってしまったら最後、全身がゾワゾワとして急激に顔が熱くなる。
いっそ、今起こった全てが夢だったならば。
「凪沙っ!」
「凪沙さんっ!」
そして、涙目になった優璃と芽美が私に向かってくる。
結局、こんなことになってもどっち付かずの言葉しか言えない私を二人は怒るだろうか。
だけど、そうなっても仕方ない。
受け入れるしかない。
客観的に思う。
そんな情けない女は振ってしまえばいい。
悲しいけど。切ないけど。
「私も、凪沙が好きっ!」
「私もです! 凪沙さん……っ!」
だけど、本当に今が夢なんじゃないかってぐらいに可愛くて綺麗な二人は勢いよく私に抱き着いた。
「私、最低な女だよ」
「うん」
「二人のこと、選べなかった」
「はい」
「……それでも、いいの?」
順繰りに為される会話。
ここ最近で、すっかり型にハマった形。
最初と違うのは、優璃と芽美は恋人同士じゃない。
優璃と芽美が、私のことを好きだと言ってくれた。
私が、優璃と芽美の両方が好きだと気付いてしまって、その想いをありのままに伝えてしまった。
「それでも、凪沙は私のこと。私と、芽美のことを」
「好きだって言ってくれました……!」
視界の隅では安曇さんたちが腰が抜けたように地べたに座り込み、その横では私たちの姿を呆れた表情で見る愛香ちゃんが溜め息を吐いていた。
気が付けば周りの野次馬たちのざわめきは消えて、しんと静まり返っていた。
飛んだ茶番だ。
そんな風に思ったのかもしれない。
しかし、それでもいい。
私も涙目になる。
夢じゃない。
それを確認するように。
私は、私の大好きな幼なじみの優璃と芽美を思い切り抱き締め返したのだった。




