第四話 今のところ。
――朝か。
微睡みの意識が、徐々にハッキリとしてくる感覚。
枕元に置いていた携帯を拾い上げ、ホーム画面に表示される時刻を確認する。
六時四十分。
久しぶりに携帯のアラームよりも早く起きた。
のそのそとベッドから起き上がり、カーテンを開けて陽の光を浴びる。
眩しい。
って、そんなのは当たり前だ。
まだカーテンが閉まったままの優璃の部屋を確認してから携帯を開く。
早く起きた分、アラームを止めないといけない。
と、携帯を操作していると寝る直前に連絡を取っていた愛香ちゃんからメッセージが来ていることに気付く。
その文面は『そうですか』という一言だけだ。
なんて素っ気ない。
実は昨夜、愛香ちゃんに『愛香ちゃんのおかげで、色々と吹っ切れたよ』と連絡していた。
私がうじうじと悩んでいたところに、心境の変化を与えてくれたのは愛香ちゃんだ。
しかし、それも今考えればあまりにも唐突過ぎる発言だし、内容に関しても『意味が分からないです。気持ち悪いです』とでも言われそうだと覚悟してたんだけど……。
……まあ、朝はこのぐらいの低カロリー具合が丁度良いと感謝をするに留めて、返信をしたら顔でも洗いに行こう。
「うん、ありがとう。っと……」
……とは言っても、私の返信も素っ気ないな。
「あれ? お姉ちゃん、今日は早いんだね」
ノロノロと洗面所に行くと、妹の瑞沙とすれ違う。既に顔を洗い終えた様子で、制服を身に纏っていた。
「まあ、たまにはね」
「ふうん、珍しいこともあるもんだね! 今日は雨かな?」
「残念、晴れだよ。昨日確認したし」
「えっ、お姉ちゃんが天気予報を前日のうちに……!?」
驚愕の表情と声で大袈裟な反応をする瑞沙。
ええ? 私が早起きして天気予報を前日のうちに確認してるのは、そんなに驚くことなの……?
「はいはい。私、顔洗うから避けて」
「はあい。んじゃ、行ってきまーすっ」
そう簡単な会話を交わした後に、瑞沙はパタパタと元気良く小走りに去って行った。
瑞沙はバスケ部だ。
朝から運動して、放課後も運動して――だなんて私には考えられないな……。
因みに今の会話だが、これは私がいつも遅めに起きているとかではなく、瑞沙は部活の朝練があるから家を出るのが早いというだけの話だ。
その後は、いつもよりも時間に余裕のある朝食をとり、テレビのニュースを見ながら時間を潰した。
たまには、早く起きるのも悪くない。
「行ってきます」
母親に行ってきますの挨拶をして、学生鞄を肩に掛けながら玄関を閉じる。
「……暑い」
外に出ると朝のわりには強い日差しが身を焦がした。
本当に良い天気だ。
こんな日にこんな天気を迎えるとは、縁起が良い。
……なんてことが言えるだけの余裕はある。昨夜は色々と頭を悩ました。
「あっ。おはよう、凪沙っ」
「おはよう」
丁度、そのタイミングで隣の家から優璃が出てくるところだった。外に出る時間を示し合わせていたからだ。
「なんか今ね、入学式の感じを思い出してる」
その優璃は、顔を合わすや否やそんなことを言い出す。
「どういうこと?」
「あはは。えっとね? 変に、緊張するっていうか……」
「なるほどね。でも、優璃ぐらいはどっしり構えててよ」
珍しく歯切れの悪い発言をする優璃に、私は冗談っぽく笑って返す。
「うん……」
優璃が静かに頷いて、二人で肩を並べて歩き出す。
「あとね。昨日の、話だけど……」
「……だけど?」
昨日の話。優璃と窓越し、芽美とは通話越しにしたあの会話のことだろう。
きっと、今の優璃が落ち着かない様子なのもその話があったからに違いはない。
「――いや、芽美と合流してからにしよっか」
私も静かに頷いた。
芽美とは、少し歩いた先の交差点を待ち合わせの場所にしている。
どうせ、すぐ会うことになるから。
「おはようございます」
と、考えている間にも路地を曲がってすぐの交差点から先に此方に気が付いた芽美が手を挙げて挨拶をしてくれた。
「芽美、おはようっ。昨日は良く寝れた?」
「いえ、私はあまり……」
「あー、私もなんだよねえ」
「ですよね。深く考えても駄目だとは思うんですが……」
私と優璃が芽美の側に寄るとホッとした表情を浮かべたところから、やはり芽美もどこか落ち着かないのだろう。
「おはよう、芽美」
「はいっ。その……凪沙さんはどうですか?」
「んー。なんか、なるようになるかなあって感じ」
一方で、私は自分でも意外なほど落ち着いていた。
今までが今までだったからか。
変に晴れやかな気持ちだ。視界も、いつもよりクリアに見える……ってのは、さすがに気の所為かな。
しかし、二人の気持ちも理解は出来る。
『優璃と芽美には、別れてほしい』
昨夜の私の言葉を思い出す。
この結論に至るまで、私なりに様々な葛藤があった。
その私の言葉を聞いた時に当然なことではあるかもしれないが、優璃と芽美は驚いていた。
しかし、二人は――。
「凄いですね。昨日は、いきなりでビックリして。今日になっても落ち着かないです」
「私もだよ。まあ凪沙に関しては、意外と図太いからね」
「だけど、私たちは本当に」
「……うん。別れた、んだよねえ」
〝別れる〟という判断を取ってくれた。
『凪沙が言うなら、分かった』
『はいっ。凪沙さんが言うなら、ですね!』
そう、笑いながらの返事で。まるで私の発言だからこそ従ったと言わんばかりの勢いだった。
しかし、それも半分ぐらいは本当で、残りの半分は私からの発言を待っていたからとも言えるだろう。
私のことが好きだと想いを伝えてくれた二人は、急かさずに私の返事を待ってくれていた。
現状維持を選んだ私の意思も尊重した。だからこそ、ある意味で私の決断を待っていた。
「急なことで、私も悪かったとは思ってるよ」
「いえ、いいんです。いずれは、どうにかしないといけない問題でしたから」
「うんうんっ。変な話だけど、芽美と別れたと思ったら少しスッキリしたところもあるよ」
「あっ、分かります! 今まで、皆さんに嘘を吐いてた気になっちゃって、どこか申し訳なくて……」
その二人が意気投合している部分は、二人の恋人関係が偽りのもので、それを周囲が祝福していたからだ。
「でも、二人が別れた以上は周りの人間にもちゃんと知らせなきゃいけないね」
私の言葉に、神妙な顔付きで二人は頷いた。
学生間の恋愛事情で大袈裟な話だ。
そう思うかもしれないが、影響力のある二人だからこその定めみたいなものだ。
……そうでなければ、私の決断も意味を為さない。
「……それで、そういうことを言ったってことは」
「凪沙さんは、その……」
そして、二人は言葉を言い淀む。その口から、私に聞きたいであろうことは分かっているつもりだ。
「それは――」
二人の気持ちに対して、私はどうするべきか。
何も昨日だけじゃない。
二人が私のことを好きだと知ってからというもの、それをずっと、ずっと考えていた。
「……もしかして、まだ悩んでる?」
優璃は体勢を低くしながら、私を下から覗き込むようにして問い掛けてくる。
「もしも、まだ私たちへの答えが決められなくても――」
次に、芽美が私に何かを言おうとした時、
「優璃っ!」
私たちの前に、人影が現れた。
「おはよう!」
「今日も暑いねっ」
「芽美さんも、おはよう〜」
「おはようございます」
いつもの安曇さん、飯塚さん、漆原さんの三人組だ。
優璃と芽美を取り囲むようにして、五人は順に挨拶を交わしていく。
自然にはみ出た私は、別にしないでいいか……。
と、それもいつもの流れのままに判断しようとしたところで考えを改める。
「おはよう」
趣向を変える。いつもと違って、敢えて堂々と。その輪に残り続ける。
「え?」
「う、うん」
「おは……よう?」
その反応も、三者三様だ。まさか私から声を掛けられると思っていなかったのだろう。
「って、優璃! なんでまた綾川さんと居るのっ?」
「え? 別に普段通りでしょ?」
「でも、最近は……」
「そもそも、幼なじみだし。家も近いのに、一緒に居る方がお得だもん!」
そのお得理論は、ちょっとよく分からないけど。優璃も、あくまで冷静に答える。
「でも、二人は付き合ってて――」
「別れたよ」
「だから、綾川さんと一緒にいるのは…………え?」
「私と芽美、別れたの。ね? 芽美」
「はいっ。ですから、凪沙さんと一緒に居るのも変なことじゃありません!」
そもそも、優璃と芽美が付き合ってるからと言って、私が二人の横に居てはいけない理由はない。
そう別れたという事実を告げる優璃と芽美は、どこか自信ありげに言い切った雰囲気を醸し出していた。
二人も、色々と我慢してたんだろうな……。
「はい、そういうことだから。……あ、早く行かなきゃ学校遅刻しちゃうね。もう行こう? 優璃、芽美」
口をぽかんと開けたまま唖然としている三人を尻目に、私は優璃と芽美の背中を押して歩き急かせる。
これで、優璃と芽美の側にいる私を恨めしく思っていたであろう三人に一番良い形で現状を伝えられた。
おそらく、今日の放課後を迎えるよりも早く優璃と芽美が別れたという速報は衝撃として学園全体に伝わるだろう。
うん。
今のところ、順調だ。
……これで場が収まるのなら、それが一番良いんだけど。




