第二話 言わせてほしい。
六月も半ばに差し掛かり、梅雨も明けて五月病も鳴りを潜めた頃だった。
その外の暑さに、気が早い者では次はいよいよ夏休みだと浮き足立つ人も居る。
そんな時に、私の学校生活はまた一つ変化が生じていた。
「今日の体育の授業は、まず二人一組になってください」
「凪沙っ、一緒のペアで――」
「優璃、こっち来て!」
「いやいや、私がっ」
「駄目駄目、そこは私と組むんでしょ!」
「ちょ、ちょっと! 三人は無理だって!」
「凪沙、今日の帰りなんだけどさあ」
「カラオケ行こっ、優璃!」
「あ、ええっと、でも、凪沙と……」
「その前に駅前に出来た喫茶店に寄らない?」
「いいねいいねっ。じゃあ、その後は――」
……それは、とても分かりやすいぐらいに。
安曇さんたち一行の、優璃を私から遠ざけようとする動きがあった。
さすがに、露骨過ぎる。
隙を見て私との時間を作ろうとする優璃も、その勢いに任せた三人の連携プレイにタジタジだった。
優璃は、クラスで当たり前のように中心人物だ。
それだけ、注目も浴びる。
こうも公然と誘いを取り付けられてしまったら、断るものも断りづらくなってしまう。
「今日もですか……」
今は、ホームルーム後。
遅れてうちのクラスにやって来た芽美が、ここ最近で見慣れてしまった光景に驚きと呆れが入り混じった微妙な表情を浮かべていた。
「芽美さんもどう?」
「あそぼーよ!」
その姿に気が付いた飯塚さんと漆原さんが芽美にも声を掛ける。この流れにも、慣れたものだ。
――私のことは気にしないで、好きにしたらいい。
そんな気持ちの込めた私の視線に気付いたのか、芽美は静かに頷いた。
うん、それでいい。
変に刺激しない方がいい。思えば、最近の私は気が緩くなり過ぎていたと思う。
元々私は、優璃と芽美の隣に並ぶに相応しくない。
……と、周りが思うのは仕方ない。二人の心情や過去の背景は関係ない。
全ては、他がどう思うかだ。
「いえ、今日は凪沙さんと帰ります」
「え、なんで? だって、芽美さんは優璃の彼女で」
しかし、その誘いに芽美は断りを入れる。
そんな芽美の返答に驚いた私だったが、声を掛けた本人たちも同様に困惑した様子だった。
「うんっ、それがいいよ! 私は皆んなと遊ぶからさ! また連絡ちょーだい!」
そこに、優璃が横槍を加える。
「……二人にしていいの?」
「大丈夫、大丈夫っ!」
「でも」
「いいの! 早くしないと喫茶店並んじゃうよ?」
優璃が三人の背中を押しながら教室を出て行く。
最後に、私たちにウィンクをして。
「では、私たちも帰りましょうか」
「……」
「凪沙さん?」
「――あ、うん。ごめん」
色々と言いたいことはあった。
しかし、その芽美の何事もなかったかのような笑顔に頭に浮かびかけた言葉もどこかに消え去ってしまった。
「今日は暑いですね」
「そう、だね」
「あっ、帰りに本屋さんに寄って行きません? 私、欲しい本があって――」
そして、二人で肩を並べて歩く。
……何となく、優璃が風邪で休んだ日の学校で、ペアを作る必要のあった授業で誰とも組めずに先生と一緒になった日のことを思い出した。
まあ、そんな意図は芽美にないんだろうけど。
「あと、凪沙さんのオススメの本も買いたいです! また色々と教えていただけませんか?」
「いいけどさ。私と居るよりあっちに混ざった方が楽しいと思うよ?」
「……どうして、そういうことを言うんですか?」
言わないでおこう、言わない方がいいと直前まで思っていた言葉が不意に出て来てしまった。
「ごめん……」
失言だった。素直に謝る。
……元から、だけど。私、どんどん卑屈な考え方になっていっている気がするな。
そもそも、優璃はともかくとして芽美がああいうタイプの人間と合わないのは分かっていたのに。
「でも、なるべく優璃と居た方がいいと思うのは本当だよ」
だからこそ、優璃の名前を挙げる。
「はい。ですが……」
芽美も分かっているはずだ。だから、返事が濁る。
なぜなら、二人は付き合っているのだから。
真実や本心がどうであれ、それは学園中の人間が知っていることだし、周りの人の目だってある。
折角、リスクを背負って恋人関係を作り上げたのだ。
現状にしたって、おそらく想定していた以上に周囲は受け入れ、事も上手く進んでいる状態だ。
「芽美は優璃の恋人でしょ? そうでなくても私と二人だと変な目で見られる。学校では私よりも優璃と居た方がいい」
「……ですね。はい、分かりました」
少し考える素振りをしたが、芽美は観念したかのように苦笑を浮かべた。
私の説得が届いた形だ。
……もしも芽美まで巻き込まれたら、申し訳ないもんな。
「あれ? 今日もお一人ですか」
また、ある日。
中庭でお弁当を食べた後に空を見上げながらボーっとしていると、愛香ちゃんが姿を現した。
「久しぶりだね」
「そうですか? ……まあ、そうなりますかね」
なんだか含みのある言い方だ。
愛香ちゃんと喋るのは、二人でゲームセンターに行った時以来だ。
「昨日も、その前も。凪沙さんが中庭に一人で居るのは確認してますからね」
「え、なんで?」
「ですから、確認だと」
「じゃなくて、声掛けてくれれば良かったのに」
昨日も、その前もって。
確かに最近は、また以前までの一人での中庭生活に後戻りしていた。
普通に声でも掛けてくれていたら、私の悶々とした胸の内も多少は誤魔化せたかもしれない。
そんな軽い気持ちからの発言だったが、愛香ちゃんは少しビックリしたように目を丸くして。
「……私のこと、苦手だと思ってました」
「それはまた、なんで?」
「もっと言えば、嫌いだと」
「いやいや、そんなこと思わないよ」
「初めて喋った時から、私は失礼な態度を取り続けていたと思います」
自覚はあったのか。
しかし、その素直な物言いに思わず笑みが零れる。
「どうして笑うんですか」
「いや、愛香ちゃんから私に、そんな発言が出るとは思わなくてね」
「私をなんだと思ってるんですかっ!」
「ごめん、ごめん。……で、それで声を掛けなかったの?」
「いえ、声を掛けなかったのは凪沙さんが余りに辛気臭い雰囲気を醸し出していたからです。優璃先輩と芽美先輩のお姿も見当たりませんでしたし」
結局、失礼なことを言うという部分に置いてはなんら変わりはなかった。
なんだなんだ、少しでも申し訳ないと感じてしまった私の純情を返してほしい。
……と、思いつつも。今は、そのいつも通りの愛香ちゃんの態度が逆に有り難かった。
それにしても、辛気臭いか。
全く自覚がなかった。
「じゃあ、なんで今日は声を掛けたの?」
「理由ですか? 今日は辛気臭いというより……」
というより?
そこで、一度言葉が止まった。
「まあ、それは何でもいいんですよ。優璃先輩と芽美先輩は教室ですか?」
何でもいいんですよ、と。気になる風に言っておいて、簡単に一蹴してくれる。
これだと案外、本当に気が向いたから声を掛けただけなのかもしれない。
深く考え過ぎても良くなさそうだ。
「うん、そうだよ」
「遂に振られましたか」
「遂に、ってなに」
「そのままの意味ですよ。愛想を尽かされると言った私を否定して『だって、二人は私のことが好きだから』と言いながら、最近はずっと一人で居るようなので」
「…………」
その発言に、ゲームセンターでの会話を思い出す。
『――優璃先輩も芽美先輩も、きっといつか凪沙さんに愛想を尽かしますね。少し、安心しました』
『いや、それはないよ』
『なんでそう言い切れるんですか?』
『だって、二人は私のことが好きだから』
今思い出してみても、とんでもないことを言ったと思う。
愛香ちゃんは、私の発言をどう受け取ったのだろう。
ライクかラブか。
……さすがに、友人としての好きだと受け取ったとは思うけどさ。
「……すみません、怒りましたか?」
そうして返事もせずに黙って考えを巡らせていたせいか、私が怒ったと勘違いした愛香ちゃんが表情を曇らせる。
少し、申し訳なそうな声色だ。
もしかして、言い過ぎたとでも思ったのだろうか。
「怒ってないけど、自覚があるなら言わない方がいいよ?」
「……そう、ですね。すみません、凪沙さんを前にすると、遠慮がなくなってしまうというか……」
そして、シュンと落ち込んだように背中を丸める。
まあ、怒ってないのは本当だ。
気にもしてない。
……というのは、嘘かもしれない。
だけど、それは愛香ちゃんのせいじゃない。
ここ数日で、私が悶々としてしまっていた理由でもある。
「案外、本当に振られた気になってるのかもね」
どちらかと言うと、学校で二人を拒絶したのは私だ。
最初は優璃を。
次は芽美を。
二人のために、と。
だけど、違う。
二人は私を好きだと言うけれど、そういうことじゃない。
それが嘘や勘違いだと言う気はない。
だけど、だけど――。
嗚呼、もう。
このどうにも言い表しにくい感情はなんなんだ……。
「……私が言うのも、なんですけど」
そんな葛藤に駆られる私に、何を思ったのか愛香ちゃんは真面目な表情を作った。
そういう表情も出来るんだ……なんて茶々は入れない。
「凪沙さんは、もっと自分に自信を持った方がいいです」
真剣な声色だったから。
ちゃんと、聞かないと駄目だと思った。
「思うに、凪沙さんは周りの目を気にし過ぎているんだと感じます」
……私が、周りの目を、気にし過ぎてる?
「言いたいことを言っているようで、したいことをしているようで……ちっとも本心が見えないんです」
その発言に「まさか」と反論するだけなら簡単だったが、生憎反論材料はなかった。
今までの私は、自身の生き方をネブくんの猫の生き様のように自由気ままに過ごせているものだと思っていた。
だけど、愛香ちゃんは違うと言う。
知り合って間もない人間が何を――と言うには、愛香ちゃんの存在は私にとって簡単に表せるものではなかった。
私の知り合いの数は、非常に限られている。
一番親密度が高いのは優璃と芽美だが、二人は私のことが好きで、おそらく私をどこかしらで盲目視している。
妹の瑞沙も、似たようなものだろう。
安曇さんたちは、数に入れなくていい。私は確実に嫌われているだろうから。
だとしたら。
後は、愛香ちゃんだけだ。
私と会話して。何度か二人で話して。相談もして。遊んだりもした。
誰よりも客観的に、私のことを見れたはずだ。
「私が言いたいのは、それだけです。……では」
最後にそう言って、私の返事を待たずして愛香ちゃんは中庭から去って行ってしまった。
当の私はと言うと、呆然としてしまっていた。
ベンチに座ったままで、暫く身動きが取れなかった。
――たぶん、愛香ちゃんの言う通りだったから。
だけど、仕方がないんだ。
「全部、二人のせいなんだから……」
私を、好きだなんて言うから。
なのに、二人は学校では公認のカップルだから。
だから、仕方がないんだと言わせてほしくて――。
「……あ」
少し、愛香ちゃんの言いたいことが分かった気がした。
優璃と芽美は私のことを好きだと言ってくれた。思っていることも、たぶん全部話してくれている。
なのに、私は胸の内の一つも言えていないじゃないか。




