第二話 私の幼なじみはおめでたい。
いつもと変わらない学校。
いつもと変わらない昼休み。
いつもと変わらないお弁当。
それは、ピチピチの高校生になったばかりの私に出来た簡単で単調なルーティン。
しかし、そこでいつもと違う展開は突如として訪れた。
『今日から優璃の恋人になった神崎芽美です。以降、お見知り置きを』
『とにかく、そういうことだから。詳しい説明は放課後にするから空けといてよね!』
アレは、一体なんだったのだろうか。
……分からない。
なんて言葉を未だに言っているようであれば、また優璃に怒られてしまいそうだ。
確かに、信じ難い話……とは思うけど。
(あの時の、優璃の言ったことは――)
全て、言葉通りだ。
本当のこと、なのだろう。
この世には、言って良い冗談と悪い冗談があると思う。
それは人によって――それこそ、相手との関係性によって様々な使い分けの技量が必要とされる。
そして、それを今回に限って言えば優璃がそんなセンシティブな話題を「冗談だよ!」と一蹴してしまえるような人間でない事を私は知っている。
自身の胸の前に手をやってもじもじとする仕草。
いつも言いたいことはハッキリと喋る優璃にしては珍しい姿だった。
やがて、覚悟を決めた顔をして。
『実は……私、恋人が出来たのよ』
そう言う優璃の頬は、赤く熱っていた。
どれも、普段の様子では見せない優璃の姿だった。
だけど、真面目な話をする時の優璃はいつも辿々しい。
それにいつの話だったか『私みたいなのが真面目な話を今からするぞ! ってなると、なんか恥ずかしいんだよね』と言っていたことを思い出す。
だから、そのような場面での優璃はいつもと違って自信無さげに話す。
そういう無自覚なギャップが見え隠れしているところが顔だけに収まらない優璃の可愛さであり、人気者の秘訣みたいなものなんだろうけど……。
まあ、それはいい。
きっと、本人にだって自覚はないのだから。
それよりも問題は、その相談内容だ。
優璃に恋人が出来て、その相手が学園一の美少女とも言われる神崎さんだと言うから驚いた。
だって、そんな素振りは一切見せなかったから。
いや、学校では私がなるべく優璃を避けるようにしていたから気付きようもなかったのか。
いやいや、それでも……。
(……とにかく、今日の放課後だよね)
優璃曰く、話というのは交際の報告だけではないらしい。
放課後を空けておくように、と言われている。
いつもだったら無視するところだったけど、今日はそういうわけにもいかない。
私だって滅多にない幼なじみの本当の意味での〝大事な話〟をすっぽかすほどにドライじゃない。
昼休みが終わって、残り二限だ。
その間の残り授業の時間に関しては、いつもの数倍ぐらいに長く感じた。
―――坂宮優璃
「なんでか、心が痛くなって来ました……」
「ええっ? なんで?」
「色々と。凪沙さんに対して」
「べ、別に嘘付いてるってわけじゃないんだしっ。考えすぎだよ!」
「そうなんでしょうか……」
「……うう。芽美にそう言われると、私も自信が……」
「ちょ、ちょっと待ってください! い、今更そんなこと言わないでくださいよ……!」
此処、華やかな峰ヶ丘学園に置いて珍しく人気の寄り付かない場所がある。
それは、だだっ広い中庭だった。
ところどころに存在感を放つ大木や花壇の雑草などの手入れこそされてはいるが、そこではベンチも一つしかなく、普段は大きな校舎が邪魔をして陽も差さない。
休み時間に数人で集まるだけなら学食権購買のテラスに集まればいいし、放課後になれば近くのファミレスやカフェを利用すればいい。
しかし、そんな中庭を有り難がって自身のお気に入りの場所に選ぶ物好きな人間もいた。
「――って凪沙、もうベンチに座って待ってる……!」
そんな物好きな正体こそ、綾川凪沙。
私の大切な幼なじみ。
その凪沙はこれから私たちが大事な話をしようと言うのにいつも通り涼しい顔をしながら、どこか遠くを眺めているみたいだった。
……まあ凪沙は昔から何を考えているか分からないところがあるけど。
私と芽美――事、神崎芽美は、こんなにもドキドキと冷静さを欠いているというのに。
そんな凪沙を暫く物陰から眺めていると、やがて凪沙は欠伸をし始めて――それを見て、私は思わず物陰から飛び出していた。
「ちょ、ちょっと優璃さん……っ!」
「凪沙! 緊張感なさ過ぎるでしょ! 私たちの痛めた良心を返してよ!」
「ふぁぁ? ……なんだ優璃たちか。生理現象なんだもん、しょうがないよ。って言うか痛めた良心ってなんの事?」
「もうっ、何でもないっ! …………ちょっとは私たちのことも気にしてよ」
いつも通り落ち着いた凪沙の、いつも通り過ぎる様子に心がかき乱されて顔を逸らす。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、凪沙はベンチから立ち上がって私の顔を覗き込んできた。
「さすがに幼なじみの大事な話なんだから、気にしてない訳じゃないよ。……本当だよ?」
「そ、そう……って凪沙、顔が近い!」
気が付くと凪沙のどこか眠そうな目がすぐそこに迫っていて、私は顔が火照るのを感じる。
――自分が単純な奴だっていう自覚はあるとして。
たったそれだけのことで不満に思っていた凪沙の態度のこともすっかりどうでも良くなってしまっていた。
……分かっているんだ。私はこの先ずっとこんな風に凪沙に振り回されるんだろうな、とため息を吐く。
そんな私を不思議そうに見ながら、凪沙はするりと元のベンチへと戻っていった。
「で、話が二人の関係についてで。……付き合ってるって言うのは本当のことでいいんだよね?」
私は芽美と顔を見合わせる。無言のやり取りを交わすと、芽美がおずおずと話しだした。
「……はい、本当です。ですが、それには少し込み入った事情があるんです」
「事情? どういうこと?」
凪沙がぽかんとした顔で首を傾げる。
そんな仕草もいちいち可愛く映るのが癪な気もしたが、それは今どうでもいい。
私は、凪沙に再び向き直る。
「凪沙……私たちが男子たちからどんな風に見られてるか、知ってるでしょ?」
「え、人気者の美少女と高嶺の花な美少女ってこと? 何、もしかして自慢?」
「違うわよっ! 真面目に聞いて!」
「そ、そうです凪沙さん! そんなこと言ってません!」
芽美と一緒に反論すると「ご、ごめん」と面を食らった表情で謝る。
『……少し、言い過ぎてしまいましたかね?』
そんな芽美の不安そうな瞳がウルウルと私を覗き込む。
――学園一の美少女とも呼ばれる彼女に、こんな表情で見つめられるという事実で少し頭がクラクラしてしまう。
「こ、こほんっ。じゃ、じゃあ……説明するけど」
その芽美の視線に「大丈夫だから」と力強く頷いて、視線を無理矢理に引き剥がす。
いい加減、凪沙に説明を開始しなければならない。
簡単に話を纏めると――私と芽美の利害が一致した、ということだ。
私たち、坂宮優璃と神崎芽美は付き合い始めた。
……それは紛れもない、本当のことだ。
しかし、それにも理由があった。
私と芽美は、良くも悪くも目立つ。その自覚はある。
先ほど凪沙の言った『高嶺の華な美少女』が芽美なら、私は『人気者の美少女』ということになるのだろう。
……言いたい事は、勿論あるけれど。
それを反論したってどうにもならない。
凪沙からだけじゃなくて、周りの友達から何度か言われたことだってあるし男子に告白される回数は高校生になってからも日に日に増えていっている。
だけど、今の私にそういう気はない。
その理由についても、幾つかあるのだけれど。
(……今はまだ、言えるわけがないよ)
それは、芽美も同じだ。
だからこそ、色々な意味で利害が一致したんだ。
だから私は〝仮初めの理由〟を説明した。
――私たちは、今は誰とも付き合う気になれない。
だけど、幾ら断っても断っても告白が鳴り止む事はない。
今は恋人を必要としていないということを公言して、それを理由に断っても、
『考え直してくれないかな?』
『せめて友達から』
『でも、諦めないから!』
などと言って引き下がってくれることもない。
それに加えて、友達からの冷やかしも止まらない。
おそらく、それは本当に恋人の一人出来でもしない限りは変わらないのだろう。
だけど、仮でも冗談でも好きでもない異性と付き合うことは避けたい。
そんな時に私は、似たような待遇を持った人と出会った。
それが、神崎芽美。
同性だから――そんな不安要素すら、一瞬で掻き消すほどの強烈なパワーが彼女にはあった。
「だから、男避けのために互いの利害が一致するとして付き合うことになった。つまり二人は偽りの『交際』をすることで、付き合う気の無い男たちの告白を未然に防ごうという計画を企てた――ってこと?」
さすが凪沙だ、理解が早い。
一回の説明だけですぐに結論へと持っていった。
この計画を考えた当初は私も芽美も半信半疑だったが、試験的に私の友達たちに「神崎芽美さんと付き合うことになった」と話すとビックリした表情を浮かべながらも、
『ま、まあ、二人なら……確かに、お似合いなのかも……』
『むしろ、優璃に釣り合いが取れるのって、それこそ神崎さんぐらいだし』
『それは、神崎さんにも同じ事が言えるしね……』
『それにしても、女の子同士だなんて……』
『『『『きゃああああああーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!』』』』
などと言って盛り上がっていた。
何てことはない。
効果は思っていた以上にあるようだった。
あの様子ならば、私と芽美が付き合い出したという事実は明日の朝までには簡単に学園中に広まってしまうだろう。
……さて。
ところで問題は、我らが幼なじみ凪沙の反応で――。
「はあ、そうなんだ。それはおめでたいね」
――私と芽美は、涙目になりながら凪沙に掴み掛かった。
―――綾川凪沙
……話を聞くんじゃなかった。
そんな風に思いながら私は小さく溜め息を吐きつつ、優璃と神崎さんのぽかぽかと振り被った手を払い続けた。
――話を聞いてみると、どうやら二人は男避けのために互いの利害が一致するとして付き合うことになったらしい。
つまり二人は偽りの『交際』をすることで、付き合う気の無い男の告白を未然に防ごうという計画を企てたわけだ。
だけど、そんなモテ女にしか訪れない気苦労には全く縁の無い私からしてみれば、それはただ単におめでたいだけの話でしかない。
だからこそ、私は一先ずでお祝いの言葉を送ったわけなのだが――そんな私の反応が冷め切った態度に捉えられたようで、何故かご立腹のお二人だった。
(……でも、仕方ないじゃん)
私は、決して言葉にすることのない反論を頭に浮かべる。
言えるわけがない。
言葉に出来るわけがない。
大体、私が何でこんな感情を抱いているのか――それが自分ですら説明の出来るような代物ではないのだから。
それは。
二人が、本当に好き同士で付き合ったわけじゃなくて良かった――。
「……はあ」
そんな理解し難い思いは、私の溜め息と共に虚空消してしまえ。
その私の反応が更に気に食わなく映ったらしい二人は、余計に癇癪を起こしてしまう。
そして、私は何となく察してしまった。
私の大好きで安心のする平穏の日々は、今日を持って打ち切りになってしまうのではないか……ということを。
「ニャアアアアアアアン」
まるで、他人事のように(猫事?)。
私の声にならない悲痛な叫びに呼応するようにネブくんの可愛くない鳴き声が中庭に響き渡った。