第五話 公園、ブランコ。
ぼんやりと、ふわふわとした感覚があった。
私であって私でないような。
薄いモヤが掛かった視界に、一人の少女がスタスタ――とはちょっと違う、気怠げな雰囲気で歩いていた。
おそらく、年齢で言うと六、七歳ぐらい。
それぐらいの年齢の子の雰囲気を思い出さそうとすると、真っ先に昔の優璃と妹が頭に浮かんだ。
遊び盛り、活発的、体力は底知らず。幼なじみの優璃、常に私の後ろを着いてきた妹。
今も昔も、私とは真逆の二人だ。
そんな私たちは、当時三人でいつも近くの大きな公園で遊んでいた。
そうして昔のことを思い出している間に、少女は公園へと着いたようだった。
そこは、私たちがいつも遊んでいた公園ではない。
大きな大木がずらっと並ぶ、人気のない、ブランコとジャングルジムと小さな砂場しかない公園だった。
「……はぁ」
ただ、その公園には先客が一人居た。
同じぐらいの年齢の少女だ。
綺麗な子だった。物鬱げな表情で、溜め息を吐きながら一人ブランコにゆらゆらと揺れている。
「あ」
最初の少女が、そのブランコに乗る少女を見つけると、物珍しそうな表情をする。
「……ねえ」
そして、声を掛けた。その少女の正体とは。
「私、凪沙。アナタは?」
私だ。
――今の私はたぶん、夢を見ている。
当時の私という存在を空から見下げるように視界へと捉えて、当時の出来事をぼーっと夢という形で視感している。
そうして客観的に自分を見ると、当時の私は年齢の割に随分と大人しい子供だった気がする。
常に遊びたがりな優璃と妹に振り回され、突っ走り気味な二人をやれやれと抑え込むような役割をしていた。
……なんか、我ながら年相応じゃない嫌な子供だな。
「……言わない、です」
そして、私が声を掛けた少女は困った表情でそんなことを言う。
人に名前を聞く時はまず自分から。
子供ながらにどこかで聞いた台詞を実践したというのに、失敗してしまった。
「なんで?」
「私、一週間後にお父さんの転勤? のせいで遠いところに引っ越しちゃうから」
「……から?」
「だから、友達とお別れを済ませないってお母さんが。悲しくなっちゃうから、友達も作っちゃ駄目って」
そう言った少女は悲しそうにも、寂しそうにも俯く。
「そうなんだ。……それで、一人なの?」
私は、その少女のマイナスの感情に気付いていながらも興味本位のままに会話を続けた。
空気が読めない奴だな……とは言わないでほしい。子供というのは、そういう種族なのだと思う。
大人になればなるほど、言いたいことも聞きたいことも溜め込んでいく。
今の自分が達観していると言うわけではないけれど……。
昔から成長するほどに、自身が周りよりも静かな人種で、辺りを見渡す人間なんだと気付いていったのだと思う。
なんだ。昔の私も、ある程度の子供らしい好奇心はあったということか。
今なら、こんな行動は絶対に取らないだろう。
触らぬ神になんとやら。
それで言えば、その私の声を掛けた少女は神とまでは言わないが、優璃など他の知り合いの同世代の子とは一風変わった雰囲気を纏っていた。
それを、何となく自分に似てると思った。
その原因は、少女が引っ越しのせいでナイーブになっていただけなのかもしれない。
だけど、その物静かでどこか神秘的な雰囲気は今までに出会ったことがない人種だった。
単純に、居心地が良さそうだと思った。
そんなパッと一瞬だけで感じた感覚が、私の興味がそそられた要因だったのだ。
「うん。……なぎさ? ちゃんも?」
「違うよ。いつもは友達と、妹の三人」
「でも、この公園で見たことない」
「いつもは、あっちの大きい公園にいるから」
「そっか。だから、見たことがないんだ……」
しかし、それっきりで一度会話が止まってしまった。
私は、もう片方の空いたブランコに乗る。
ギィギィと錆びた鉄が擦れる音に合わせて静かに揺れる。
隣に並ばれた少女は、そのブランコに乗りながらも私の存在が気になるのかチラチラと居心地を悪そうにしている。
「……暇なら、私と遊ぶ?」
何を思ったのか、そんなことを聞く私。
「いいの……? でも、私は、友達は……」
その少女の反応は、明らかに迷っていた。
遊びたい。
でも、友達を作ったら……。
だから、遊んじゃ駄目。
そんな葛藤が簡単に見て取れた。
「じゃあ、友達にならなかったらいいんじゃないかな」
そこで、私は「じゃあ、友達にならなければいい」と。
子供らしい屁理屈を述べる。
私の言葉に少女は大きな目をパチリと瞬きして、小首を傾げて不思議そうな表情を浮かべた。
「だったら、何になるの?」
私は、考える。
何がいいだろうか、と。
友達じゃない関係。
家族……はさすがに飛躍し過ぎだ。
まるで、幼稚園の頃に優璃や妹に付き合わされたおままごとのようで。
……そうだ。
おままごと感覚でいい。適当に、何か関係を作ればこの少女も納得してくれるかもしれない。
「恋人同士……とか?」
そして、私はそんな提案をしたんだ。
勿論、軽い冗談の一種だ。
その私の意図には、気付いてくれたと思う。
だから、目を丸くした後に「だから、恋人……?」と私の言葉を繰り返して。
「――あ、あははっ! な、なんでっ、それで恋人同士になるのっ?」
笑った。とにかく、笑われた。それは、笑い過ぎて涙目になるほどに。
「……さすがに、笑い過ぎだと思う」
「だ、だって……!」
何がそんなに面白かったのか。
その綺麗な顔立ちからは想像が出来ないほどに、見ていて気持ちが良いぐらいに笑われてしまった。
「それで、どうするの。遊ぶの? 遊ばないの?」
笑われてばかりでは気分が良くない。
ムッとした表情を浮かべた私は、本題の返答を急かす。
「ご、ごめんね? だ、だってね? 急なことで、びっくりしちゃって」
少しは落ち着いた様子で、目に溜まった涙を手の甲で拭いながら少女は謝った。
そんな動作が、とても綺麗に思えた。
「いいよ。遊そぼっ。あのね、私の名前は――」
そうして、そのどこか見覚えのある少女は私に名前を教えてくれて――。
「お姉ちゃんっ、朝だよ!」
――唐突に、現実に引き戻されたような感覚。
それは大きな声で、聞き覚えのある声が頭の中に響いた。
「……なに」
唸るような声で、私は枕に顔を突っ伏した状態から顔を上げて、その声の主に渋々と返事をする。
「だから、朝だよ?」
「今日、日曜日でしょ。学校はないはずだけど……?」
「だって、もう九時だもん。私、今日部活休みだからさ。一緒に朝ご飯食べよっ?」
――そんなことで起こされたのか、私は。
そう堂々と胸を張ったのは、我が妹。綾川瑞沙だ。
特徴と言えば……お姉ちゃんっ子ってやつだ。
昔から、何かと私に構ってくる。
優璃と同じだ。
私と真逆で活発的な性格をしているのは、もう一人のお姉ちゃんと慕っている優璃に似たせいだ。
……それも優璃の影響かな?
「折角、人が気持ち良く寝てたのに……」
「もうっ、そんなにだらけてたら駄目だよ」
「休みの日ぐらいはいいでしょ」
「いいから、いいから。早く起きてってばっ」
仕方ない。
むくりと起き上がった私は、半分開かれたカーテンから溢れる太陽の光に目を細めた。
(……久しぶりに、夢を見た気がする)
夢。
だけど、違和感があった。
デジャヴ。
いつか、あんな出来事があったような気がして。
ということは、あの夢は昔の思い出……?
アレは、凪沙と名乗った少女は、確かに小さい頃の私で間違いなかった。
じゃあ、その私と喋っていた女の子は?
……駄目だ。
これ以上は何も思い出せない。
夢の続きを見ていれば分かることもあったかもしれない。
しかし、目覚ましよりも強引なアラームは私の安眠と、それに従って見ていた夢をも一瞬で消し飛ばしてしまった。
「……じゃあ、今日の朝ご飯は?」
「今から作るとこ!」
いよいよ、私がなんで今起こされたのか分からない。この世は不条理ばかりか……。
「先週はゆーちゃんと遊んだんでしょ? 今日ぐらいはいいでしょ?」
ゆーちゃんとは、優璃のことだ。
その優璃は瑞沙のことをみーちゃんと呼び、幼なじみとして、自分の妹のような存在としても今でも可愛がっている。
「遊園地に行ってたんだよね? 私も呼んでほしかったな」
「それは無理だよ。あの時は他の子も居たし」
「……え。ゆーちゃん以外の子が? あの、他人に興味のないおねーちゃんが?」
失礼なことを言う。
本当に私は、周りからどんな評価を下されているんだ。
「私も高校生になったということだよ」
いつまでも優璃以外に友達が居ない人間だと思われるのも癪だから。そんな風に返す。
「なにそれ。あー、お姉ちゃんが遠くなっていくよ〜」
「棒読みで思ってもないことを言わないでよ」
「えへへ。だって、人の根っこはそう簡単には変わらないものだからねえ」
中学生のくせに、分かったかのような口を聞く。
瑞沙も昔から変わらないが、反抗期は来ないのだろうか。
今は中学二年生だから……二個違い。
となると、愛香ちゃんの後輩に当たる。
あれだけ優璃にお熱な様子だと、瑞沙のことも案外知ってるかもしれない。
私たちの通う学園は、多少の入れ替えがあっても中高一貫の狭いコミュニティなのだから。
「……あ。いや、でも。なんか、昔を思い出した」
そう余裕振った表情から一変、瑞沙はハッと思い出したかのような表情を浮かべる。
「一時期――小学校低学年の頃かな? 私とゆーちゃんを放って別の公園で遊んでたことがあったでしょ?」
「……あったっけ?」
「あったよっ! んーとね。ええっと、どこの公園だったかな。確か、並木公園だったような……」
そういえば、幼少の頃もよく今日のように優璃や瑞沙に振り回された。
幼稚園の頃とか。小学校低学年の頃とか。互いの家のお泊まり会とか。よく遊んでた中央公園とか。
「あの時は、お姉ちゃんが遠くに行っちゃうんじゃないかってゆーちゃんと不安になった気がする……うん」
「まさか」
「いやいや、本当だって!」
「……でも、そんなこともあったかもね」
「でしょっ!?」
……そうだ。
優璃と瑞沙の相手に疲れた私は、一時期二人から逃れるべく用事があるからと別の公園に逃げたことがあった。
もしかして、あの夢は。
「そうだ、お姉ちゃんっ。そんな姉思いな妹からのお願いなんだけど、今日は用事ある? もし、なかったら――」
「ごめん。今、出来た」
「……え?」
「朝ご飯、食べたら出掛ける。申し訳ないけど、用事があるならまた今度ね」
「ええーっ!? もうっ! お姉ちゃんのバカッ! ……バカじゃないけどっ!」
休日も部活で学校に向かうことの多い瑞沙は久しぶりに私と遊べると思っていたのか、不満げだ。
しかし、無理なものは無理だ。大体、わざわざ私でなければ出来ない用事なんてありはしないのだから。
それより、気になることがあった。
だから、たった今用事が出来たと言ったのだ。
――あの公園に、行ってみるか。
面倒臭がりの私にしては少し珍しい、思い立ったら即行動という奴だった。




