第四話 感覚的なモノ。
「では、本当に私が貰ってもいいんですね?」
ゲームセンターから外に出る頃には、ポイズンくんにメロメロだった愛香ちゃんにも落ち着きが出てきた。
先ほどまでは、凄かった。
私があげたポイズンくんに感激し切っていた愛香ちゃんは感情を爆発させるように、
「ポイズンくんとは腐った世の中に対して、誰しもが思っているけれど言いにくい! そんな出来事を風刺するというテーマの、今、女子中高生に大人気のキャラクターで――」
……と、愛と熱の入った説明を私に延々と聞かせてくれていた。
っていうか、そんなモチーフがあったんだ……。
腐った世の中。
誰しもが思っているけれど言いにくい。
そんな出来事を風刺する。
……え。
本当に女子中高生に人気なの?
甚だ疑問だった。
「う、うん。私が持ってても仕方ないしね」
だから、このポイズンくんとやらも私なんかよりも愛香ちゃんの下で余生を過ごす方が幸せに違いない。
「そうですか……まあ、凪沙さんにはこの子の良さが分からなくても仕方ないですよ」
そう言ってポイズンくんを撫でる愛香ちゃんの表情は聖母マリアのように清らかで――。
いやいや、聖母はこんな憎まれ口を叩かないはずだ。
「今、ポイズンくんの影響を受けて言いにくい事もハッキリと口にする女子中高生が多くなったと評判なんですよ」
それは良いことなんだろうか……たぶん、良いことは良いことなんだろうけど。
出過ぎた度によっては良くない結果も多そうだ。
……まあ、ゆとり世代だとか悟り世代だとか散々に言われる私たちの世代には、丁度良いのかもしれない。
うん、何事もそうだ。
そう都合良く解釈していった方が良い気がする。
「じゃあ、愛香ちゃんがズバズバと私に言ってくるのもポイズンくんの影響なのかな」
嫌味っぽくならないように微笑を浮かべつつ言う。
愛香ちゃんは、初めて会話した瞬間から私に突っ掛かって来たから。
「……実は、優璃先輩に聞いたことがあったんです。昔、凪沙さんとゲームセンターに行ったことがあると」
「へえ、そうだったんだ」
「それで、凄い楽しかったって……。でも、私は信じられなくて――というより、直前まで嘘だと思ってました」
……まあ、実際怒らせてしまったわけだし。
優璃にしてもそうだったけど――。
「クレーンゲームが得意だってのも聞きました。『拗ねた私の機嫌を取ろうと必死だった凪沙が可愛かった!』って優璃先輩は言ってましたから」
奇しくも、最後は同じ形だ。芸がないな、私は。
「確かに、そんなこともあったかな」
恥ずかしい限りだ。〝親しき仲にも礼儀あり 〟と。
同じ轍を二度は踏まないと考えていたのに、まだ親しくなったわけでもない、そもそもマイナスからの状態の愛香ちゃんに、更に悪い印象を積み重ねてしまうところだった。
「やっぱり、幼なじみには敵わないですね……」
愛香ちゃんは、そう小さな声で呟いた。
……何となく、聞こえないフリをする。
これを「私の勝ちだ!」なんて茶化す意味もないし、上手い返しも思い付かないから。
「勝負は、私の負けでいいです」
黙っていると、また愛香ちゃんの方から口を開いた。
「う、うん。良かった……のかな?」
一方の私は、当たり障りもなく返事をする。
勝負とは、どちらが優璃と芽美のことを知っているかとか言っていたアレだろう。
知識的なことで言えば此方が負けそうな気がするけど……たぶん、そういう話じゃないんだろう。
「では、私は帰ります」
誘い方が一方的なら、別れ方も一方的だ。
だとしても、今はそれでいい。
直前までの怒っていた様子もポイズンくんのおかげもあって消えた。
悪い印象ばかりが残ったということはないはずだ。
「分かった。気を付けてね」
一応、私も先輩だ。
それらしいことを言って見送る。
「凪沙さん」
「ん?」
そうして暫く歩いた先で、ふと愛香ちゃんが背を向けたまま立ち止まる。
そして、くるりと此方を向く。
――真面目な表情だ。
こんな風な顔付きも出来るのか……なんて、私の笑顔に驚いた意趣返しをしてみる。
しかし、そんな不誠実なことを考えていた私に対して、それでも愛香ちゃんは真面目な表情のまま口を開く。
「気を付けてください」
――何に? とは聞けなかった。
その前に、愛香ちゃんは踵を返してさっさと目の前から走り去ってしまったから。
その小さな身体の半分の面積に迫るじゃないかと思えるほどに大きなぬいぐるみ、ポイズンくんを抱えたまま。
「……雨が降る前に帰るか」
私は、その発言の真意から目を逸らすように敢えて関係のないことを空を見上げながらぽつりと呟いた。
相変わらず、空は曇り空。
早めに帰らないと、雨に打たれてしまう。
また、妹に小言を言われてしまう。
風邪でも引いたら、優璃と芽美に無駄な心配をさせてしまうかもしれない。
――気を付けて、か。
それは、今日学校で受けた優璃の取り巻きからの襲来が無関係じゃないんだろうな。
ぼんやりとした頭の中で、そんなことを思った。
次の日、土曜日ということで学校は休み。
私の休日の過ごし方と言えば、授業の課題に費やす時間などを除けば家で猫の動画でも見るか読書をするかが殆どだ。
面白味がないのは知っている。
先週の遊園地が異例中の異例だっただけで。だから、今日に関しても同じだった。
「昨日はゲームセンターに行ったらしいね」
そうして居ると、外窓がカンカンとノックされた。
それは優璃が自分の部屋の窓から軽く身を乗り出して、私の部屋の窓に向かってつっかえ棒で叩いた音。
それは、昔からの優璃が私と話したい時の合図。
特に連絡のやり取りがあったわけではない。
不意に、そういうことがある。
そういう時の私の対応としては、特に出掛けてたり用事に追われたりしていなければ相手をしてあげる。
それも優璃が暇な時間を持て余した結果の先の行動で、だから大層な話をしたいわけでもなく、大概はどうでもいいような話を互いにするだけで終わりなんだけど……。
とは言っても、知っての通り優璃は友達も多いしインドアの私とは違ってアウトドアな人間だ。
たまにある、というだけでそんなに多いことでもない。
「うん、そうだよ」
「どうだった?」
「……途中で怒らせちゃった」
「あははっ。ああいうところ、凪沙は苦手だもんねえ」
今日に関しては話したい内容もあるようで、昨日の愛香ちゃんのことについての話題が上がった。
「でも、昨日のことについて愛香ちゃんから少し聞いたんだけどね。『思ったより悪い人じゃありませんでした』って言ってたよ?」
そんな話をしてたのか……。
ただ、良い人にまではなれなかったか。まあ、そんなにすぐに関係が良くなるとも思ってない。
むしろ、マイナスの状態からよくここまで来たものだ。
「まあ、凪沙は勘違いされやすいもんね〜」
「そう言ってもらえると助かるけど」
「うんっ。……私は凪沙と付き合い長いけどさ? でも、最近になってようやく本当の凪沙のことを知れた気がするよ」
ちょっと深そうなことを言う。
――本当の私、か。
私はどうだろう。優璃の気持ちを知らなかった。
芽美と一緒になって私を振り向かそうだなんて、そんなことをしてくる発想は一度も持てなかった。
「……優璃は、いつから私のことが好きなの?」
「それを今聞く?」
「だって、私理由とか聞いてないよ。本当に、全然気付かなかったんだから」
「ううーん。そうだなあ……」
優璃は顎に手をやって考え込むように唸る。
「好きっていうのは、たぶん、ずっと前からで……それに気付いたのが、高校生になってからなのかな……?」
「なにそれ」
「えへへっ、こういうのって感覚的なモノだからさ」
そうなのだろうか。……そうかもしれない。
まともに恋愛をしたことがないような私ではあるけれど、創作物に触れる機会は多い。
恋愛をテーマにした小説も何度か読んだことがある。
そういう話の主人公やヒロインにしても、明確に恋愛はこれだ! と明言してる人は居なかった。
「凪沙ってさ。高校生になってから、私と距離を置こうとしたでしょ?」
「気付いてたんだ」
「そりゃあね。幼なじみだもん」
「……ごめん」
「いいよ。凪沙が私の友達たちと合わないんだろうなってのは分かってたしね」
合わないか……。
この優しい幼なじみには、私が優璃の取り巻きたちに合わないだけだと思っているのだろう。
……でも、それでいいとも思う。
裏で私が、彼女たちにどんな風に言われているか。
それを知ってしまったら、きっと優璃は私以上に傷付いてしまうに決まっているから。
「それで、無理強いも出来ないかなって。私も、距離を置こうって思って……」
そう言った優璃はらしくない、憂いの表情を見せる。
「そんな時に芽美と出会ってね。元々、気にはなっていたんだよ。凪沙のこと、よく見てる子だなあって」
……それは初耳だし、全く気が付かなかった。
「それで『あっ』て確信したんだよ。この子は凪沙のことが大好きで、私も大好きなんだって」
優璃は恥ずかしげもなく、恥ずかしいことを言う。
そんな大胆な告白に、私はどこか胸の奥がずんと熱くなる感覚を抱いた。
「ずっと一緒に居たから気付けなかった。私は、凪沙のことが好きなんだ。それは距離を置いて、芽美を通して、ようやく気が付けたことなんだよ」
そう思って、そう確信を得て、すぐに行動に移せる優璃を私は羨ましくも、凄いとも思う。
……私は今でも、二人の気持ちにどうすべきか整理が付いていないと言うのに。
「ごめんね、私ばっかり話して。……この話、止める?」
「ううん。続けて。私、まだ聞きたい」
「あっ、う、うん。いいんだけど、凪沙が珍しく真面目な表情で、少し恥ずかしいね……」
「茶化さないでよ。私はいつだって真面目だよ」
「それは諸説あるというか……あはは、じゃあ続けるね?」
「うん」
そうして、優璃の話は続いた。
恥ずかしいけれど。
聞かなきゃ駄目だと思った。
そうして聞くことで、この私の曖昧な感情もどこかで動き出しそうな気がした。
「それでね? 変な話なんだけど……そう思った時に、私は嬉しくなっちゃったんだよ」
私のことが好きな人を見付けて、その私のことも優璃は好きだと理解して。
なのに、嬉しかった。
変な話だ。だって、その相手は芽美という超絶ハイスペックな子だ。
普通、微妙な気持ちになりそうなものだけど。
「凪沙のことをそんな風に思う人が私以外にも居るんだ! って……それを話したら、芽美も嬉しそうにしてさ」
「二人とも、仲良しだもんね」
私と居ない時でも、最近の二人はよく一緒に居る。
恋人同士だというポーズの一種でもあるのだろうけど、それにしても二人の相性は絶妙に良さそうだった。
「……勿論、ライバルだよ? それは変わらない。だけど、同時に同じ人を好きな者同士の仲間、みたいな」
私の預かり知らぬところで、私が原因で関係が巡る。
……不思議な縁だと思う。
そう思えば、芽美だってなんで私のことが好きなんだという疑問が浮かぶ。
優璃と同じように、何か理由があるのだろうか。
まさか、一目惚れってことはないよね……?
「芽美の話も聞いてみてよ。あの子、凪沙が思ってる以上に凪沙のことが好きだと思うからさ」
最後に、優璃はそう言って話を締めた。
今回は偶然優璃の話を聞けたけど……やっぱり、まだまだ二人のことを全然知らなかったんだな。
そういう意味では、そんな機会をくれた愛香ちゃんにも感謝したいと思った。
ただ、それを言ったら「そんなつもりないです! 調子に乗らないでください!」とでも言われそうだけど。
なんて。
――そうした、優璃と私の他愛もない開けた窓越しの会話は、晩御飯の合図が鳴るまでダラダラと続いたのだった。




