第二話 引っ付き虫。
――あの子は、引っ付き虫。最近、そんな言葉をよく耳にするようになった。
「凪沙、シャーペンの芯貸してくれない? さっきの授業の終わり掛けに切れちゃったんだよねえ」
「いいけど、高いよ」
「えっ!? 私、今ピンチなのに……」
「……いや、冗談だから。涙目になるの止めて」
「ご、ごめんっ。でも、ありがとっ! じゃあ私、芽美に用事あるから行ってくるね!」
「うん、行ってらっしゃい」
それは、本日最後の授業前の休憩時間での出来事だった。
優璃が忘れ物かドジをして、私に助けを求める。こういう光景は、中等部の頃によくあった。
高等部に上がってからは私が意図的に優璃を避けていた節があり、その雰囲気を察して気を遣ってか、学園内では優璃の方も徐々に私に構うようにはならなくなった。
しかし、そんな関係も最近から以前のように戻った。
私が優璃のことを学校内で拒むことをしなくなったからだろう。
まあ、芽美のこともある。
環境、心境の変化によって思うところがあった。
だから、その鈍った判断がそもそも〝なぜ、優璃と距離を置こうとしたのか〟という理由を曖昧にさせてしまった。
「シャー芯ぐらい、隣の席の私が貸すのに……!」
「優璃、ようやく高等部に上がってあの子と距離を離すようになったと思ったのに」
「それに、最近は優璃の彼女の神崎さんの傍にもよく居るもんねえ」
「あの、引っ付き虫……」
私の席から少し離れた場所で、明らかに今の私と優璃のやり取りに関する話題が上がっていた。
……聞こえてるんだけど。
しかも、それを優璃が教室から居なくなったタイミングでひそひそと話し出すのだからタチが悪い。
いつかも言ったが、優璃は男子人気及び女子人気も学園一番だと名高い女の子で。
それを他人にさして興味がない私でも知っているのは幼なじみだからというわけではなく、優璃を囲う女子たちに嫌味ったらしく言われたことがあるから知っているだけだ。
学園一番の人気者優璃の幼なじみ――というアドバンテージだけで優璃のお気に入りに任命されていると決めつけられた私は、周囲に目を付けられている。
それは、愛香ちゃんが良い例だ。
……まあ、あの子に関しては可愛らしいものだけどね。
芽美が何も言われない事に関しては、特殊な例だ。
私とでは、元々のスペックが違い過ぎる。
学園一番の美少女と噂されていた芽美だからこそ、優璃と付き合い出したという事実も周囲は簡単に受け入れた。
しかし、そのタイミングで優璃はまた私と関わる機会が増えてきた。
そこに多くの生徒の影の憧れの対象でもある芽美までもが加わってきた。
周りはなんでお前が、となるわけだ。
「ねえ、綾川さん」
そして、私の席に三人組の女子がやってきた。
中等部の頃から優璃と仲が良く、その取り巻きのうちの熱狂的なタイプだ。
横から――名前は覚えてないので仮に名付けよう。
「なに? あーこさん、いーこさん、うーこさん」
「名前、全然違うんだけどっ!? 私は安曇!」
「私は飯塚!」
「漆原!」
惜しい。
頭文字は合っていた。
「ごめんごめん。で、何の用事?」
この人たちの考えていることは分かる。
私たちは中高一貫の学園のシステム上、中等部の頃から殆ど変わらない面子だ。
そこで常に学校ヒエラルキーのトップに君臨する優璃の一番の友人でありたいのだろう。
かといって、芽美には敵わない。
それは、仕方ない。
だけど、幼なじみだからという理由で優璃の対極の存在である私が傍に居座り続けるのは我慢ならないのだろう。
「何度も言ってるはずだけど。いつまで優璃の引っ付き虫で居る気?」
「最近じゃ、神崎さんまで標的にして……」
「マジで、あり得ないってゆーか」
私からすれば、引っ付き虫なのは向こう側というか……。
それを言えば余計に癇癪を買ってしまう。
だから、そういう面倒事から逃れるために高校生になってからは学校で距離を置くようにしていたのだ。
しかし、家に帰れば幼なじみなだけあって隣近所だ。
そこで優璃の相手をしていた。
そういう意味では、人の目に付くところで関わっているかいないかでしかない。
「裏でコソコソこういうことするの、優璃が嫌いだって分かってるでしょ?」
だけど、今は芽美のこともある。
今までは面倒事からは極力避けようとしていたが、私とてはいはいと頷いてばかりも嫌だ。
「なに? 優璃に告げ口でもする気なの?」
「いや、そんな気はないけど」
「……とにかく、私たちは忠告しておいたから」
そう言って、三人組は私の前から散って行く。
……こういう事には慣れていたつもりだったが、やっぱり気分の良いものじゃなかった。
そんな久しぶりに訪れた嫌味の襲来もそこそこに。
やがて、放課後を迎える。
ホームルームが終わると芽美がうちのクラスの教室までやってきて、そのまま三人で帰る。
それが最近の流れとなっていたのだが、今日は違う。
「すいません、今日は凪沙さんを借りていいですか?」
校門前に着いたところで、愛香ちゃんの姿があった。
「えっと、何の用事?」
「ですから、今日は私に付き合ってほしいんです。先ほど、連絡しましたよね?」
連絡……。
確かに昼休みには、雨が降る中庭で会話をした。
だけど、そんな話は出なかったはずだ。
愛香ちゃんは鞄から携帯を取り出して、私の目の前に翳して確認するように促してくる。
それに倣い、私もポケットから携帯を取り出すと一件の連絡が入っていた。
『今日は、私と付き合ってください。校門で待ってます』
内容はそれだけだったが、連絡とはこれのことだろう。
全く気付かなかった。
それは、今日登録したばかりの愛香ちゃんの連絡先だ。
「えっ、二人ともいつの間にそんなに仲良くなったの?」
「仲良くなったっていうか……今日、昼休みの中庭に愛香ちゃんも来てね。その時に交換したんだよ」
驚いた様子の優璃に私がそう説明すると、芽美がハッとした表情を浮かべる。
「……もしかして、先週の件のことですか? それは、申し訳ないことをしました……」
「そっか、勝負のこと……私、すっかり忘れてたよ」
「い、いえいえっ! どうか、お二人はお気になさらないでください! 雨も降ってましたし、私自身誰も居ないものと思ってましたから!」
「そうそう。それに、それは私が謝っといたから」
「そ、それはそうなんですが! 凪沙さんが言う台詞じゃないでしょう!」
怒られた。
因みに、今はその雨も止んでいる。
ただ、依然として天候は良くないままであり、太陽も雲に隠れてしまっている。
この様子では、またいつ降り出し始めてもおかしくはないだろう。
「借りるってのは今日だけ? 明日はいいの?」
「はい! 今日借して頂ければ、以降はお返し致します!」
借りるだの返すだの、私は物か……。
「私たちは、居ない方がいいのかな?」
「ええっと……」
優璃の問い掛けに、愛香ちゃんが詰まる。どうやら、私にだけ用事があるらしい。
「あはは、ならいいよっ。今度は四人で遊ぼうね!」
「では、私たちはこれで。楽しんでくださいね」
「は、はいっ! 優璃先輩、芽美先輩、お疲れ様ですっ!」
そんな愛香ちゃんの反応に優璃は一瞬考える素振りをした後、空気を読むようにして話を切り上げた。
そして、二人は手を振って私の前から去って行く。
楽しんでください、か……。
遊びに行くとでも思われているのだろうか。
いや、私への用事の詳細が分からないのだから、本当にそうなのかもしれないが。
だけど、教室であんな襲来があった後だ。
「ううっ。やっぱり、お二人の姿は尊いです……!」
愛香ちゃんは、優璃と芽美を見送った後も、その後ろ姿を眺めながら歓喜の声を上げていた。
……不安しかない。
「……で、何の用事?」
「はい? ……ああ、凪沙さんですか」
黙っていると一生後ろ姿だけを拝み続けそうだったので声を掛けると、愛香ちゃんはたった今私の存在に気付いたかのような反応を取る。
相変わらず、私に対しては失礼な子だ。
「ですから、今日は私に付き合ってもらうと言ったばかりでしょう? 行きますよ」
「行きますよって……って。ちょ、ちょっと?」
そうして私は愛香ちゃんに手を引かれ、目的地も知らぬままに連れ去られてしまった。
「ゲーセン、ねえ……」
連れて来られた場所は、街中から少し外れた場所にある昔からのゲームセンターだった。
正直、こういう場所はそんなに好きじゃない。
昔、優璃がゲーセンにハマった時期があった。
その頃によく無理矢理連れて来られていたのだが、まず第一に煩いというのが性に合わない。
だけど、
「此処のゲーセン、こんなに静かだったっけ?」
学校が終わってすぐのタイミングだったが、店内には疎らに数人客が居るだけだった。
以前に来た時――と言っても二、三年前のことだが、当時はもう少し人が多かった気がする。
「昔はもっと人が居ましたけどね。今は、他に遊ぶところもいっぱいありますし……」
確かに、ゲーセン離れなんて言葉をテレビか何かで聞いたことがある。
今のゲームと言えばスマホアプリが主流だし、それ以外で遊ぶならカラオケとかショッピングモールとか……。
まあ、いずれも私は好んで遊ばないのだけど。
「だけど、私は好きなんです」
そう言う愛香ちゃんの目はキラキラと輝いていた。
こうして見ると、可愛い子だ。
この子がもしも飼い犬なら、尻尾をぶんぶんと振り回していることだろう。
私は〝可愛い〟が好きだから。
もう少し、優璃と芽美への態度を私にも分け与えてくれないかなとは思うけれど。
「分かった。じゃあ、何から遊ぶの?」
「あ、遊ぶために誘ったわけでは……! で、ですがっ。そうですね、まずは――」
いい加減、静かじゃない環境にも慣れてきたことだ。今だけは、愛香ちゃんに付き合ってあげることにした。




