第一話 忘れてないと言ったら嘘。
梅雨の時期に入った。
雨の音は好きだ。
登下校の際に傘を持つ行為は億劫だが、教室や部屋から聞こえる雨音には心が安らぐ。
そんなのだから、雨の日でも私は昼休みを中庭で過ごす。
さすがに雨の日ぐらいは教室で食べるものと思っていたらしい優璃と芽美は「さすがにそれは……」と引き気味の様子。
そこで「私への愛はそんなものか!」と言ったら「……そう言うことなら」と、覚悟を決めた表情で二人が顔を見合わせて頷き合ってしまったので必死で止めておいた。
私の下らない意地で二人が風邪を引いてしまったら申し訳が立たないし、全校生徒に非難されてしまいそうだ。
ちなみに意地というのは学校生活の三年間、昼休みは全てこの中庭で過ごすというものだ。
……うん、アホらしい。
だから、付き合わせるつもりもない。途中参戦の二人には私の目指す皆勤賞は狙えない。
もっとも、狙えたとしても狙わないだろうが……。
ということで、現在の私はベンチ――に座るとスカートが濡れてしまうので、校舎影の軒下でお弁当を食べ終えたところだった。
「雨の日までご苦労様」
「ニャアンッ」
久しぶりに姿を現したネブくんはお目当てのおかずを食べ終えたところで私の前から去る。
此処は私が占領しているため、雨宿りに別の校舎影にでも隠れるのだろう。
雨の日にまで何やってんだコイツ……的な視線を感じたのは気のせいだと信じたい。
「雨音、やっぱり良いな……」
とは言っても、外に出てる以上は小降りで助かった。
ぽつぽつと傘に落ちる雨を眺めていると、こんな下らないことをしている自分にすら特別感を得られる。
……なんてね。
――さて。
こうして一人でボーッとして居ると、良い具合に考え事が捗るというもの。
最近、頭に浮かぶのは専ら一つのことだ。
それは、学校生活のことじゃない。それは、将来への漠然とした不安でもない。
二人の、女の子のことだ。
坂宮優璃と神崎芽美は私、綾川凪沙のことが好きだ。
……と言ってしまうのは簡単なのだが、この事実は相当に大変な事態だ。
片や男子人気及び女子人気も学園一番と名高い女の子、片や学園一番の美少女とも言われる女の子。
私は一体前世でどれだけ良い行いを積み上げて、そんな途方もない人生を何周して今に至っているのか。
そんな事を考え出すと、少し興味が湧いてくる。
もっとも、それも何周かすると結局〝私はこれからどうすればいいんだろう〟という思考に陥るのだが。
嬉しい――という感情よりも驚きの方が大きい。
それは二人と過ごす上で、薄々感じつつあったこと。だとしても、何かの間違いではと今ですら思う。
優璃は、いつから私のことが好きだったのだろう。
分からない。
物心が付いた頃から一緒に居たのに気付かなかった。
……だからこそ、気付けなかったのか。
芽美は、どうだろう。
優璃に紹介された時から今に至るまで、特別何か大きな出来事あったわけではない。
私への態度、接し方は終始一貫していた。
少し、知り合ったばかりにしては距離の詰め方が普通の友達のソレとは違うようにも思ったけれど。
それは、互いに友達が少ないことによる違和感でしかないと考えるようにしていた。
うーん……。
やっぱり、色々と考えてみても分からないことばかりだ。
「あの。格好付けて、一人物鬱げに空を仰いでいるところをすみません」
と、そんな風に思い耽ていると声が聞こえた。
「……ん? 愛香ちゃん……?」
声のした方に顔を向けると、そこには傘を挿して私を何とも言えない表情で見てくる愛香ちゃんが居た。
たぶん、一週間振りぐらいだろうか。傘が大きいからか、愛香ちゃんが小さいからか……。
その姿は、まるで小学生のようにも見えた。
「どうやら、日曜日は大層お楽しみだったようですねえ」
今日は金曜日で、五日前がどうかしたのだろうか。
……ああ、優璃と芽美と遊園地に行ったんだ。
最後に乗った観覧車。それが引き金で、私は二人の気持ちを知った。
「どうだろ。大変だったよ」
「はあ、そうですか。良かったですねえ」
愛香ちゃんは淡々と話す。
ケッ、と乾いた笑いまでしてくる。なんだなんだ、随分と横柄な態度だ。私、何かしたかな……。
と、考えた私に人差し指をビシッと突き立てた。
「ところで、私のこと忘れてませんか?」
「…………なにを?」
忘れてなんかいない。
この子は、平良愛香ちゃん。優璃の後輩で、私のことを尊い百合に挟まる異物がどうとか言って来て――。
……あっ。
「私との、勝負のことですっっっ!!!!!!」
――ご名答、完全に忘れていた。
「今日は二人とも用事があるってことで居ないよ」
「やっぱり私、完全に忘れ去られてますよね!?」
確かにあの「私と勝負しましょう!」という宣言の後、一週間が経った。
内容は確か「どちらが優璃先輩と芽美先輩のことを知ってるか、という勝負です!」……だったか。
「では、一週間後に此処で会いましょう! ……って、私言いましたよね?」
「うん。そうだったね。いや、どうだったかな。言ったような、言ってなかったような……」
「もうっ! ……まあ、いいですよ、どうせ今日は雨が降っていて、さすがに中庭には居ないと思ってましたから……」
だけど約束した手前、一応来たのか。
だとしたら、私だけでも来て良かったのかもしれない。
「凪沙さんって、本当に変な人ですよね」
愛香ちゃんはぶつぶつと文句を言いながら、私の横にちょこんと座る。
変と言うのは、雨の日にまで中庭に来てることか。
……そうだね。よくよく考えなくても、それは確かに変人扱いをされても仕方ないことなのかもしれない。
「というか、日曜日のこと。なんで知ってたの?」
「優璃先輩と芽美先輩の仲は中等部でも有名ですから。噂になってました」
二人の影響力、恐るべし。
「その二人に着いて回る、不届き者のことも」
それは私か。そういった声は、優璃と一緒に過ごすことも多かった中学生時代で慣れていた。
慣れているからと言って、その反応自体は決して気持ちの良いものではなかったけれど……。
まあ、それはいい。
ついでだ。
久しぶりに一人で過ごすという時間も良かったが、最近の賑やかな日々と比べて退屈になっていたところだ。
私は最近の頭を悩ましている議題について、簡単に話題を振ってみることにした。
「愛香ちゃんはさ、人を好きになるってどういうことだと思う?」
「今度は何なんですか、急に……哲学的な話ですか?」
「いや、純粋に。気になっただけだよ」
「……そんなこと、考えたことありません。私、好きな人なんて出来たことありませんから」
私もそうだ。だから、好きという感情がどのようなものか分からない。
「へえ、優璃のことが好きなんじゃないの?」
「勿論好きです! ……が、凪沙さんの聞いてきた好きとは違うことだと思います。私のは憧れとか、そういうもので」
その返答に、私の問い掛けがあまりに漠然とし過ぎたものだと気付いた。
好き。
その意味合いは、一通りしかない言葉の意味ではない。
分かりやすく言えば、ライクかラブ。
優璃と芽美のことは……好きだ。
ただ、それはどこか漠然としたものだ。
憧れ……ではない。
だとしたら、友人として?
そう結論付けるだけならすぐに出来るけど、そんな簡単な話じゃない気もして。
「凪沙さんは、どうなんですか?」
愛香ちゃんから、これまでとは違う真面目な表情と真っ直ぐな視線が私に突き刺さる。
「私は……」
ぽつり、ぽつり。
静かだった雨音はやがて、ざあっ、と騒々しくなる。
――助かった。
雨音が強くなったタイミングで、愛香ちゃんには互いの教室の戻ろうと提案した。
結局、その後の話で愛香ちゃんの挑んできた勝負は一時休戦という形で落ち着いた。
「これ、私の連絡先です」
最後に渡されたノートの切れ端には、愛香ちゃんの連絡先が記されていた。
何の風の吹き回しか。
昔のドラマか何かで見た、呪いのチェーンメールみたいなものでも送られてくるのかもしれない。
軽く頷いて受け取ると、愛香ちゃんはパタパタと走り去ってしまった。
今日、私が中庭に居なかったら彼女はどうする気だったのだろうか。
……考えても仕方ない。
実際、私はノコノコと中庭に訪れたのだから。
「もうっ、濡れちゃってるじゃん……!」
「風邪引いちゃいますよ? まさか、台風が来ても中庭に行くとか言わないですよね……?」
教室に戻ると、優璃と芽美が出迎えてくれた。
その教室内では、二人を中心にして円を描くように他の人間との一定の距離間が作られていた。
学校内では、二人は付き合っているとされている。
全生徒の憧れの対象で、公認の仲。一種の配慮みたいなものなのだろう。
その輪に私が加わると、変な目で見られる。
(悪かったな、空気が読めなくて……)
だけど、実際のところは違う。
「ねえ、二人は私のことが好き?」
二人に対して、私が小声で問い掛ける。
「な、何なの、急にっ」
「突然どうしたんですか……?」
そうすると二人は顔を真っ赤にさせて、
「……うん」「はい……」
そう、答えてくれた。
――これは、あの遊園地で遊んだ日から、改めて後日にゆっくりと聞いた話だけど。
二人が付き合い出した背景には、男避けのためという理由もそのままあった。
しかし、一番は私のことが好きだという互いの気持ち。
優璃も芽美も、一眼見た時から〝この人は綾川凪沙のことが好きだ〟と勘づいたらしい。
そして、二人が初めて会話した日。
のらりくらりと日々を惰性に過ごす、曰く掴みどころのない私を射止めるために二人は敢えて協力した。
まず、周りからの邪魔を排除するために優璃と芽美で交際関係を演じ、無駄な告白を未然に防いで、同時に二人が私と過ごす時間を増やせるようにした。
それが、二人の言ったライバルの意味。
……パワープレイだ。
他に方法はあっただろうとも思う。
けれど、その交際は私の気を引くための荒治療の意味もあったらしい。
そういった意味では、大成功だったのかもしれない。
確かに私は二人の行動に疑問を感じて、動揺して、常に意識しっぱなしだった。
「私も……」
答えてくれた優璃と芽美に返事をしようとするも、言葉が喉を閊えて上手く声にならない。
「あははっ。無理しなくても、まだいいんだよ?」
「はいっ。落ち着いた時に、その……言ってもらえたら」
「うん、ありがとう」
だから、それまで待っていてほしい。
こんな優柔不断な私にも、きっと何かの答えを出せる日が来るはずだから。




