第五話 缶。
「ちょ、ちょっと休憩していいかな……」
「って言いながら、もう休憩しようとしてるけどね」
次はどこに行く? こことかどう? あ、ここも――。
楽しそうに会話をしていた、そんな二人の背中によろよろと着いていく途中だった。
今まで何とか二人のペースに着いて行っていた私は遂にギブアップの鐘を鳴らし、道半ばに備え付けられたベンチへと返事を待たずにぐったりと座り込む。
……アトラクションを何件か回って行く中で、確実に私の寿命は縮んで行ったことだろう。
ただでさえ休日は自室に引き篭もるというのが常だった。
既に心身は共に『もう無理です』とSOSとして悲鳴を上げていた。
「まあ、凪沙の体力じゃ仕方ないかな……芽美、休んであげよっか」
「はいっ。……と言っても、私もこうした休日は普段過ごさないので丁度休憩したいところでした」
「もうっ、二人とも若いのに! 情けないなぁ」
芽美のフォローに、優璃がお婆さんみたいなことを言う。
「じゃあ、私、飲み物買ってきますね」
「あ、私も行く?」
「いえ、凪沙さんが心配ですので、お気遣いなく。優璃さんは凪沙さんを見てあげてください」
そして、芽美はそう言って笑顔でぱたぱたと小走りに駆けていく。
疲れているようには見えない。
……たぶん、気を遣われたんだろうな。
そう分かってはいても「うん、ありがとう」と、私はその好意に甘えた言葉を吐く元気しかなかった。
「どっちかって言うと、私は芽美が心配なんだけどなー」
「……幼なじみの私はどうでもいいって?」
「じゃなくてさ。ナンパとかされそうだなぁって。芽美、可愛いし」
それは同時に、私を一人にしてもナンパされることはないだろうという嫌な信頼感がある気がする。
……されないだろうけどさ。二人と同じ土俵に立てるなどと、私とて端から思っていない。
そういうことで私も、変に反論はせずに頷いておいた。
「まあ、確かにね……」
「初めて芽美と知り合った時にもね、男の人に声掛けられてたんだよ。それで、困ってそうだったから私が割って入って止めたんだぁ」
と、いったところで優璃が意外にも格好良いエピソードを持ってくる。
そういえば芽美からはチラッと最初に優璃から声を掛けられた――とだけ聞いていて、二人の馴れ初めについては詳しく聞いていなかった。
やっぱり、顔が良い人間はそれだけで大変だ。
私が横に居ながらも、私には目もくれずに優璃へナンパする影を何度も目にした過去を思い出す。
「でも、それは優璃も同じでしょ?」
「いやいや、私なんて全然だよ」
どこまで本気で言っているのだろう。
下手な謙遜は嫌味になるぞ……と言っても、優璃に関しては嫌味にならないか。
昔から優璃と一緒に居ると、どちらかと言うと保護欲に駆られた。
放って置けない。
護ってあげなきゃ。
だから、二重の意味で疲れる。
だけど、高校生にまでなってしまえば優璃もそういったイベントには慣れっこになった。
周りにも常に人が居るし、そういった時にどう対処すべきなのかという術も持っている。
今更私が傍に居続ける意味もない理由の一つだった。
「そうだっ。凪沙は、もう芽美と仲良くなれた?」
「うーん、まあ、ぼちぼちかな……」
「ええ、何その微妙な返事」
「少なくとも、現段階の私に優璃以外の友達と言えるのは芽美ぐらいだよ」
「本当にそれだけぇ? うりうりっ」
優璃は、私をからかうように肘で脇腹を突いて来る。
小学生の恋バナじゃないんだから……。
「人の彼女相手にどうこうなんてあるわけないじゃん」
「まあ、そうなんだけどね。でも、それには事情があるわけだしさ」
事情、男避けのため――私には、到底縁のない悩み。
今まで、そういった大事な話の相談は一番に私にしてきてたくせに……。
しかし、後からそれに巻き込んだのは誰だ。
優璃だ、芽美だ。
「それを言うなら優璃だって、いつの間に下の名前で呼ばれるようになったの? 前は坂宮さんって呼ばれてたよね?」
気が付けば、私は覗き込むようにして此方に問い掛けていた優璃の視線から目を背け、そんな言葉を吐いていた。
「え? う、うん。なんか、成り行きでね。私は元々下の名前で呼んでたんだけど、これからは私も呼びますって――」
「理由は? いつから?」
「え、ええ? きゅ、急にそんなこと言われても……って、なんか凪沙、怒ってる……?」
「……怒ってないよ?」
「そう? ……なら、いいんだけど……」
――少し、焦ったい沈黙が流れる。
怒ってない。
ただ、私の知らないところで二人の距離が縮まっていたのが気になってしまっただけだ。
理由はともかく、いつから芽美が優璃を下の名前で呼ぶようになったのかも知っている。
丁度、私と芽美が下の名前で呼び合うになってからだ。
おそらく、理由というのも三人共通の友達同士。
その距離感を縮める上で必要だと芽美が判断したからなのだろう、と予想は付く。
それなのに、どうしてか私の胸はざわざわと嫌なものが突っ掛かったような気分だった。
立場で言えば、私も同じのはずなのに。同じ輪に居るはずなのに、私だけがはみ出している気分だった。
「……芽美、遅いね」
「うん……」
さっきまで明るく笑っていた優璃の返事も大人しい。
――私、嫌な女だな。
今まで人付き合いに対して、そんな風な感情は抱いたことがなかった。
優璃と芽美が付き合い出してからというもの、私の心は常にざわいついてばかりだ。
気持ち悪い。
この黒い感情を何と言うのか。
たぶん――嫉妬だ。
誰に対して? 何で嫉妬を?
答えは出ない。私は、その答えが知りたい。――否、今はまだ、出したくなかった。
「芽美、探しに行こっか」
「……うん」
私がそう言って立ち上がると、それに優璃も従う。
そもそも、なんで今日は優璃と芽美と三人で遊園地なんかに来てるんだ。
……ああ、二人のことを深く知るためか。
だけどそれは、二人を知ろうと思えば思うほどに深みに浸かる気がした。
今の私には、私自身のことですら理解し得ないのだから。
「なあ、いいだろ? 俺の連れもあっちに居るしさ。一緒に遊ぼうぜ」
「いえ、ですから困ります。私、人を待たせてるんです」
「待たせてるって彼氏?」
「彼氏……では、ありませんが……」
「へへっ、じゃあいいじゃん。大丈夫、途中で居なくなったって空気読んでくれるって!」
数分前に芽美が向かって行った数百メートル先に、自動販売機があった。
そして、そこに缶ジュースらしきものを三個持った芽美が居た。
……一人の軽薄そうな男に絡まれながら。
「はあ、やっぱり……」
予想が付いていた場面だったのだろう。優璃が溜め息を吐きながらやれやれといった様子で首を横に振る。
「取り敢えず、行ってくるね。凪沙は後で来て」
優璃はそう言うと、二人の下に駆け寄って行った。
「あのお、その子私の友達なんですよね。返してもらっていいですかあ?」
「はあ? 連れかよ、邪魔すん……って、おおっ! こっちも相当のもんじゃねえか」
優璃の介入に一瞬怪訝な表情を浮かべた男が、その姿を見て目の色を変える。
獲物が増えたってところだろう。これは、簡単には引き下がってくれないかもしれない。
そして、優璃が此方に向かってウィンクしてくる。
……仕方ない、私も援護に向かうか。
私はこほんっ、と息を整えて小走りで三人の輪に入る。
こういうのは、勢いが大事だ。昔から、優璃と一緒に居るせいか見に付いた厄介者への相手には私にも心得がある。
「あの、警備員の人呼んでおきました。お姉さん、もう大丈夫ですよ」
あくまで、芽美――というより、道すがらに困っている人を見付けた時のように。心配そうな表情で声を掛ける。
「は? 誰だよお前。急に何言って――」
「いえ、私はただの通りすがりの女ですが……そこのお姉さんが困ってそうだったので『女の人が襲われてます!』って警備員の人に言ったんです」
「おいおいおい、お前ふざけんなよ! んな、襲ってなんかいねーよ!」
「あー、そうですか。ですが、もう呼んでしまったので。それとも、此処で警備員が来るのを待って弁解します? 貴方にも他に友達が居るんでしょう?」
そのタイミングで、遠目から何人かの男の「おおーい、いつまでトイレ行ってんだよ!」「早く帰って来いよ!」という声がした。
私たちが芽美の帰りが遅いと感じたように、この男も人を待たせていたのだろう。
まさか、その男が足踏みしてる現場でこのような事態になっているとは誰も思ってもいないはずだ。
そして、ナンパしてたら警備員に目を付けられ――そんな姿は、決して友人に見せたくないと思うに決まっている。
「くそっ! 何なんだよ、邪魔しやがって……!」
結果、男は私に悔し紛れにそう言い放ち、逃げるようにして消えていく。
ふぅ、と息を吐く。
優璃が私の肩を叩いて「ナイス、凪沙!」と呼び掛ける。
「す、すみませんっ。助けていただいたみたいで……でも、よく私が困ってるって気付きましたね」
芽美も、直前まで何が起こっているのか分からないといった表情をしていたが、私たちの思惑を理解したのかずっと静観していてくれた。
それでも、不安げな表情をしていたけど。
まあ、此処は遊園地で人前だ。そんなに大事にしようとは相手も思ってこないだろうと踏んでいた。
「まあ、帰りが遅かったしね」
「それで、警備員の方というのは……?」
「ああ、それ? 嘘だから気にしなくていいよ」
ああいう輩は、声を掛ける相手の表情や言葉から空気を読めないくせして人の目だけは気にする。
彼氏が呼んでる。お父さんがもう来るって。しつこいと警察呼びますよ。
とか、その辺の脅し文句で大抵はどうにかなる。
「相変わらず、凪沙は真顔で嘘を吐けるから怖いね」
「人聞きの悪い……大体、優璃ならもうちょっと簡単に撒けたはずでしょ」
それこそ、先ほど私が挙げた例だ。
真正面に声を掛けてしまって、自分はナンパされないなんてことはないに決まってる。
「だって、久しぶりに凪沙の格好良いところ見たくなっちゃったんだもんっ」
「確かに凪沙さん、格好良かったです!」
そんな適当な理由か……。
「そりゃ、今日の私は相当格好悪かっただろうけどね」
だって、少しアトラクションに乗っただけで満身創痍になってしまっている。
先ほど、当社比緩めに設定されているらしいジェットコースターに乗った時にも二人の手を握りっぱなしだった。
「えへへ、そういう凪沙も可愛いよっ」
本当の意味での可愛いを体現しているはずの我が幼なじみは、時折、そんな発言をしてくれることがある。
むず痒い。
それは、言われ慣れていない言葉だから。
そして、先ほどまでの気まずい雰囲気はどこへやら。
すっかり通常モードの優璃は「じゃあ、次に行こーっ!」と、私と芽美の手を握って走り出した。
「……何かあったんですか?」
そんな優璃に違和感を抱いたのか、一緒に優璃に手を引かれながら走る芽美は不思議そうな表情で私に問い掛ける。
「いや……飲み物にはちゃんと味を指定しておけば良かったなぁって思っただけだよ」
その飲み物の選出意図を教えてほしい。
私は頭に「?」を浮かべる芽美を眺めながら、その小脇に抱えたおでん缶、みそ汁缶、おしるこ缶の異質さに嘆いた。




