第四話 空中散歩の吊り橋効果。
「あっ。ほら見て、あそこ!」
「わあっ、凄い大きな観覧車ですね……!」
バスに乗車して揺られること数十分。私が一人で居る座席の後ろから優璃と芽美の声が聞こえてくる。
実は誰がどこに座るという席位置の決定に至るまで一悶着があったのだが、私の「恋人同士なんだから」という鶴の一声によって二人は並んで座ることを渋々納得してくれた。
まるで小学生の頃の遠足前の気分だった。
優璃はともかくとして、芽美までもが意地になってくるとは思わなかったけど……。
誰と隣になるとかじゃなくて、そういう席の取り合いをする瞬間が楽しいのだろう。
まあ、その感覚は少し分かる。
問題は、高校生にもなって公衆の面前でそういった行為が行われるのが恥ずかしいだけだ。
それを指摘すると、二人は顔を真っ赤にさせていた。
「凪沙さんっ、楽しみですね!」
芽美が後ろの席から身を乗り出して声を掛けてくる。
知り合って数日程度の関係ではあったが、こんなにも子供のような笑顔を見せてくる芽美が新鮮だった。
(私は、今から憂鬱なんだけどね……)
もう私が高所恐怖症だというのを忘れてしまったらしい。
だけど、それを此処で指摘することで空気を悪くするような不届き者にはなりたくない。
「そうだね。私も楽しみだよ」
私は、上手く笑えているだろうか。
たぶん、苦笑いで返した。
それでも、恐怖半分で楽しみな気持ちがあるのは本当な私だった。
「…………来るんじゃなかった」
――しかし、そんな青臭い感情は数分後に潰えてしまった。
「はい、此方がスタンプカードになります♪」
暫く列に並んだ後にチケットを渡して入園の手続きを済ませると、最後に語尾に音符を付けながら受付のお姉さんがスタンプラリーのカードを渡してくれた。
中には、私たちのように学生グループのような人から家族で来てるような人まで大勢がいる。
見ると、入場者の全グループがそのスタンプカードを片手に「あそこに行こう」だとか「此処が面白そうじゃない?」といった会話をしている。
なるほど、これが芽美の言っていたイベントか。
グループで各アトラクションに設けられた課題をクリアしていくとスタンプが貰え、そのスタンプが全部揃うと何かの景品が貰えるというやつだ。
しかし、問題はその指定されたアトラクションたちだ。
「見事に、絶叫系だらけ……」
というのも当たり前だ。
ジェットコースターや観覧車などの空中系のアトラクションに力を入れているからこそのスカイランドという命名なのだから。
「じゃあ、早速並ぼうよ!」
「どれから行きます?」
「んー、じゃあ、あそこ!」
そうして優璃が指を差した先には『最高時速130km!』『スリルと爽快感の最高の三分間を!』とキャッチコピーが書かれた当園人気一のジェットコースターらしい。
「……他は?」
「後は……『立ち乗りで更に浮遊感を! スタンドコースター』とか『後ろ向きでいつもと違う景色を! バックコースター』とか……」
なぜ絶叫系に力を入れた遊園地はジェットコースターというだけで充分に恐怖を表現出来ているはずの乗り物に余計な要素を追加してしまうのか。
「どれもいきなり乗るにしては、ちょっとカロリー消費が高すぎるような気がするけど」
「もうっ、そんなこと言ってたら何のアトラクションにも乗れないよ?」
「そうなんだけどさ……」
「逆に凪沙さんが乗りたいアトラクションはないんですか?」
「私? んんー」
私は、スタンプカードに記載されたアトラクションに目を通していく。
そこで字面を見ただけで背筋が凍る名前たちの中に一つだけ浮いて私の目を引くアトラクションがあった。
「あっ、これは? どうだろう。この、スカイサイクリングってやつ……」
直訳すると……空、自転車?
「ええっと、紹介文の方は――」
「あああー! じゃあ、それがいいんじゃないかな!?」
「はい、はいっ。それにしましょう! なんか、可愛い名前ですしね!」
急に声を大にした二人は私からスタンプカードを取り上げて、背中を押すようにして前に誘導していく。
スカイサイクリング――確かに、ジェットコースターと比べて大人しそうな響きで、可愛らしい。
だけど、この二人の急なテンションの変わりようはなんなのだろう? ……何か嫌な予感がした、とても嫌な予感が。
「此方のアトラクションは一つのグループから三人までのお客様ずつご利用して頂けるアトラクションとなっております。スカイサイクリング。その名の通り、空で自転車を漕いでいるような感覚を楽しめて――」
「スカイサイクリングでは、一番高い場所に撮影スポットがあります。そこで両手を離して写真に映って頂ければ課題クリア、スタンプを押させて頂きます」
「両手を離すからといって、足場も身体も安全に則ってきちんと固定されているので大丈夫です。安心して、好きにポーズを取ってください!」
せかせかと二人に背中を押され、多少の待ち時間を経て、私たちに乗車の順番が回ってきた。
順番待ちの位置からでは、そのスカイサイクリングとやらの実際に誰かが乗っている様子が目視出来なかった。
「ううー、私が一番前って、ツイてない……」
「では、此方に乗ってください! 安全ベルトの着用、確認を行います!」
私たちは受付の人の指示に従い、先に乗った優璃が頬を膨らませる。三人で横に並んで――というのは無理だったので、それぞれが乗る位置は事前にじゃんけんで決めていた。
立ち位置的には、
優璃
芽美 凪沙
という並びで自転車に乗る。
今回は前に一人、その後ろに二人と、全員で自転車を漕いで前に進んで行くというシステムらしい。
――空の、上を。
……なんで?
「やっぱり、私、乗るの止め――」
「ええ、ここまで来たらそれはなしだよ、凪沙!」
「そ、そうですよ! 折角、隣になれたんですから……!」
「うぐ……そんな……」
私の弱気な発言は簡単に二人に却下され、私は抵抗も出来ずに押し黙る。
――どうしよう、急に怖くなってきた。
「では、お二人も乗ってください!」
「はい! 行きましょう? 凪沙さんっ」
「は、はい……」
コースターに乗った自転車に、恐る恐る身体を運ぶ。
ギギギ。
錆びた鉄が軋む音がする。
まだ、大丈夫。
だけど、そのまま前方に目を向けるとコースターは宙に連なっている。
「では、一説によると『日本一怖いとされているスリル』を味わってください!」
――本当に、最悪だ。
私の悪い予感は、こうして見事に的中してしまった。
「じゃあ、行くよっ!」
「はいっ」
二人がペダルを回す。
「な、なんか、ドキドキするねっ」
「はいっ、噂で聞くより、ずっと怖いです……!」
怖がってはいる。
けれど、それを楽しんでいるように見える。
二人は、このアトラクションが怖いことで有名――ということを知った上で来るのを同意したんだ。
(……完全にヤられた)
しかし、何を言っても乗った時点でどうしようもない。
私は未だ駄々を捏ねたい気持ちを押し殺し、ゆっくりと足を動かした。
……ゆっくり。
……それはもう、ゆっくりと。
「ちょっと凪沙、右側だけ重たいんだけどっ」
「すいません、バランスが取りづらいのでもうちょっと漕いでいただけませんか……?」
「そう言われても……!」
徐々に進み出した自転車は上空へと進み出した。
錆びた鉄の擦れる音が忌々しい。足元に目を向けると、数メートル先に地面がある。
もしも、何かの不手際で落ちてしまったら。
そう考えると、手も足も震えてどこかに逃げ出したくなってしまうのだ。
……逃げようとしてしまえば、それこそ落下する。
だから、余計に怖い。
「……凪沙さん、怖いんですか?」
「最初からそう言ってるんだけど……?」
「大丈夫だって! わ、私も、思ったより怖いけど……」
「そ、そうですね。想像以上に、足場が不安定で」
「もうっ! 二人で怖がらすようなこと、言わないでっ!」
こうなったらヤケだ。
私は、目を瞑ってペダルを思いっ切り踏み込む。
「わわわーっ! きゅ、急に早く進まないでよ……!」
「ううっ、う、浮かんでます! 私たち、空に……っ」
――聞こえない、聞こえない。
『お待たせしました。此処が当アトラクションの撮影スポットになります。そして、手を離してカメラに向かってポーズを取ってみてください。周りの景色はどうですか? 一面に広がる空、遠目に見える海、一望出来る園内――』
あああああああっ、もう!
がこん、と音を立てて自転車が止まる。
例の撮影スポットらしい。
恐る恐る目を開けると、私は完全に宙に浮いていた。
自転車に乗って。
何なんだ。
誰が考えたんだ、こんなアトラクション……!
「凪沙っ、スポットだよ! 手、離さなくちゃ!」
「ば、ばかっ。む、無理に決まってない……!?」
その優璃の無邪気過ぎる声に反論する。
さっきまでそれなりに怖がっていた様子はどこに行ってしまったんだ。
今では、首を動かして辺りを見渡す余裕まである。
あんなに目を輝かせて、幼い子供のようだ。というより、幼女そのものだ。
――可愛い。
こんな時にまで、幼なじみに対してそんな風に思えてしまう私を殴りたい……!
「では、私が凪沙さんのもう片方の手を握ります。これで、安心しませんか?」
――そうして私が慌てふためいていると、心配そうな表情で芽美が私に声を掛ける。
「う、うん……」
そして、私の左手が芽美の細い手にギュッと握られる。
そうされてると、何だかホッとした。
(何だか、懐かしい。なんで……?)
――怖い。
だけど。芽美の手の温もりを感じる。そう考えると、少しだけ落ち着いた。
「頑張ってください、凪沙さん……!」
――ええい、ままよ!
全てを投げ出す覚悟で、私はもう片方のハンドルを握っていた右手を離した。
「よしっ、みんな手離したよね? じゃあ、カメラに向かって――」
それを合図に、二人が思い思いにポーズを取る。
しかし、私はハンドルから手を離すだけで精一杯だった。
芽美に握られた左手はそのままに、右手はぶるぶると震えたままでピースとも握り拳とも呼べない中途半端な形で体勢を保っていた。
「ふふ、手を離せましたね。エライですよ、凪沙さんっ」
まるで子供をあやすような優しい表情と言い方で、私に笑顔を向ける芽美。
心臓が、不規則に高鳴る。
――これが、吊り橋効果か。
私は年甲斐もなく半泣き状態になりながら、芽美の手を強く握り返したのだった……。




