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006

 百日という、それなりに長きを共に過ごした「女神」に見られた、変化の一つ。

 端的に表すとすれば、それは――「彼」という個へ対する彼女自身が抱く興味。


「すま、ない。今は、まだ……」

「えぇ――今は、まだ――」


 その言葉に、どうにか荒波に揺らぐ心を縋りつかせる。

 対象への興味が失せてしまえば。この「女神」は間違いなく、瞬き一つも見せずに切り捨ててしまうだろう、事を。日々の小間使いの中に映る、来訪者達の末路として目の当たりにしていたのだから。


 ぐっ、と堪えて、噛み締める。


 今の自分は、空っぽだ。

 空っぽになったからこそ。惑いに果てて、へたり込んでしまったあの路傍より、再び立ち上がる事が出来たのだけれど。

 「彼」はまだ、一歩を踏み出したに過ぎない。ただそこに、人間性を形作る最初の要素との出逢いがたまたま一つ、あっただけで。

 その要素が「彼」にとっては濃密な、かけがえのないものであったに過ぎない。ただそれだけの話、だったんだ。


「今度こそ、二歩目を踏み出す事が出来ますかぁ?」


 年甲斐もなしに、震える唇は真一文字に引き締めて。

 覚束ない足許ながら、努めて大地を踏みしめる。


「そう、だな」


 せめて、この女神を自称する娘にこれ以上の失望を抱かせない為に。

 これ見よがしに開かれた、今の舞台の出口へと。次へと進む決意の表れとして「女神」に対して背を向ける。


「……それでは。ここまでのお手伝いにご苦労様の意味を込めましてぇ」


 ―――だのに、こいつは。この期に及んでまで。


「優しい優しい「女神」様からのぉ……『贈り物(チートスキル)』は、要りますかぁ?」


 最後の最後まで、とことん意地も悪そげに。わざわざ心揺らがせるかの如く、そっと両の頬へと手を添えくるりと振り向かせた上で――甘くも蕩けさせる舌の音で、破滅への誘いを持ちかけてくるんだ。


「犬扱いをされた覚えはあっても、操り人形になるとまで言った覚えはないからな」

「ふふぅん?」


 だからこそ。この性根の髄まで悪意に染まった「女神」の性格をよく知る「彼」は、迷いも無しにそう答える。


 きっと、これは彼女なりの旅立ちを見送る儀式。

 そこに致命的な結末を織り込もうとする、どうしようもない性悪さにはうんざりさせられる。

 けれど、同時にそんな油断も出来ない人間性に向かいあった、百の日々に。思いの外「彼」の内面は充実させられて、しまっていて。


「思うにー」


 案の定にもちっと舌打ちをしてくれるまでがワンセット。然る後に、何やら思案をした風にも人差し指をその濡れた下唇へと押しあてて、彼女は次の言葉を紡ぎ出す。


「別にお前は、完全に空っぽになったって訳ではないんじゃないかなー?」


 それは、どういう―――


 そんな疑問が喉を衝いて出ようとした矢先、今度は「彼」の口許へとその指が押し当てられた。


「んふふぅ~。それじゃあ及第点にも達していない『空っぽ』なア・ナ・タ、にぃ?残念賞という事でっ、これを差し上げちゃいましょうっ★」


 これまでよりも、更に芝居がかった他人口調への変化。どうやら本格的に別れの時が近付いてきたらしい。

 

「いや、それを受け取ってしまえば――」

「気にしない気にしない~。こんなの贈り物(チート)に比べれば、所詮は旅立ちの50ゴールドみたいなもんですからー」


 そう言って、何処から取り出したのだろう。押し付けられたそれは瑞々しくも緑の芽吹く、茨で編んだ首輪の様な品物だった。

 これは向かうべき先が霞み隠れて不安が過ぎてしまっている、「彼」へ対する餞別だ。こんなものは贈り物の内にも入らないと。そんな、そっけない物言いの裏に隠された素直でない気遣いを、察せない程に鈍いつもりはない。


「ですからぁ。ちょっとでも思う処があったら、さっさと使っちゃいなさぁい」


 「彼」の微苦笑に気付かない筈もなかろうに。

 いかにもやる気の無い風にひらひらと、照れ隠しの素振りも見せない可愛げの無さ。ついでその品についての説明を始める。

 それの呼び名は「(えにし)(かせ)」。孤独の不安に震える仔犬にはぴったりだと、両の手は背中で組ませて上目遣いに意地も悪そげにニンマリと。口の端よりちらりと覗いた八重歯も映えて、女神とうそぶくよりも小悪魔を名乗る方が余程ふさわしい、といった印象を魅せ付けてくれた。


「……有り難く、受け取っておくとするさ」

「そーそー。素直が一番ですよぅ」


 言うなり、うんしょっといった掛け声が伴なわれての、背中を押される触感。


「わたくしってぇ、こう見えて結構忙しくってぇ。お前なんぞ一人にいちいち(かかずら)ってる暇ないんでー。そろそろさっさと巣立ちしちゃってくださいなっ」


 その力は少女然とした「女神」の見た目に違わずに、か弱いものであったけれど。

 決して短くはない日々を共に過ごした者として、その人となりを少なからず理解している「彼」もまた。無理繰りに領域の出口を広げる真似もせずに、細腕を直に当てての文字通り、背中を押される行為を無下に扱うつもりもなしに。


「なぁ」

「……なんですかー」


 あと数歩も進めば、そこは別天地。きっとこの領域の扉は閉じてしまう事だろう。

 つまりは、そこが出逢いと別れの分岐点。


「何をするにしたって、希望なり、それに見合った原動力としての報酬と言うものは必要だと思うんだ」

「……それでぇ?」


 押す力が不意に消える。どうやら最後の最後に踏ん切りをつけるべくの、思い留まる僅かな間を与えてくれる気はあるらしい。

 だから、という訳ではないけれど。せめて、心残りの幾つか位は晴らしてからとも思うんだ。


(えにし)を取り持ってくれるというんだったら。あんたの名前……教えては貰えないかな?」


 「加護(チート)」なんか与えてやらない。それが、せめてもの特別扱い。

 この「女神」の悪性に真っ向反する、今この時ばかりの気遣いに。「次」へと紡ぐその一言を要求する。

 対する「女神」の反応はと言えばだ。


「そうですねぇ……もし仮に、万が一いえ那由多の果てに?『次』へと進めた場合を仮定すればぁ……馴染みは、うん。それなりにあった方が都合はいっか」


 また随分と思わせぶりを口にしてくれる。

 首だけを捻って後ろを仰げば、そこには好奇が疼いた時によく見せていた表情でふむりと一拍する「女神」。


「となればー、頭文字を取って『(オー)』っていうのも、ちょっと味気ないですしぃ……そうですねぇ。オゥル、とでもお呼びくださいなっ」


 そう口にすると同時ににぱっと笑みを浮かべたのは、オゥルと名乗る少女然とした嫣然という、矛盾を孕む個人。女神をうそぶく腹黒の底にちらりと魅せる、本音の確信犯っぷりといい、本当にいい性格をしていると改めて思い知らされる。


「招かれざる客であったお前には、チートもなにもくれてやる気はありませんけれどぉ~」


 再びえいやっと掛け声を上げて、今度こそ領域の出口へと「彼」を押し出そうとする「女神」による、最後の一押しに添えられた宣言。

 真実の一端、そればかりはくれてやる。それは、ある種の予感を嫌が応にも感じさせて―――


「ようこそ、何もかもが偽物な(・・・・・・・・)裏返しの世界(ディストピア)』へ。せめて無駄死にをしないよう、みっともなくも生き足掻いてみせなさいなっ★」


 これまでの来訪者達には伝えられることのなかった、その真実に。しかし、覚悟をしていたよりは心に受けた衝撃は、少なくって。


「空っぽのまま始まる筈だった、俺の面倒を見てくれた日々。決して、忘れはしない」

「……こぉの、格好付けなスカし野郎ぉ」


 嗚呼、であればこそ。今の「彼」がある。


「まぁ~、お前もただの名無しじゃあ今後いろいろと不便でしょう?ありきたりですけどぉ、『見失ったもの(ミッシング)』の頭文字から、M――エム、なんて如何でしょー?」


 だから、此処で過ごした日々に、ありがとうを。

 そして、次の一歩を踏み出すまでの借宿を与えてくれた「女神」―――否、オゥルを名乗る少女の歩む、この百日の間に垣間見えた本意ではないらしき不器用な生き様に、せめてもの―――


「そうそう、あの時お前の言っていた別れの言葉、ってやつですけどぉ~」


 不意に、思い出したかな風にも軽口で告げられる。

 それは、曲がりなりにもここ暫しで形作られ始めた今の彼――エムの心の奥底に刻まれた、癒えない傷痕であった。筈なのに。


「さようなら、ってぇ。とある世界のとある国では、元は「然様(さよう)なら、~~」って次の言葉に繋がる意味を持っていたらしいですよぉ?」

「……それ、は」

「だぁったらぁ。「さようなら、また逢いましょう(・・・・・・・・)」って繋げるのだって、わたくしとしてはアリだとは思うんですよねぇ」


 まぁ、わたくしにはどうでもいい事ですけどっ。そう、矢継ぎ早にもまとめて物理精神双方共に、とどめの一押しをされてしまった。

 言葉が終わると同時に、背中へ触れていた柔らかさがふっと消える。支えを失ってたたらを踏んだ彼――エムが次に見た情景は。その感慨は。


「執事服のまま、旅に放り出すのかよ……」


 どうやら思いの外、現実的であったらしい。

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