003
「ア・ナ・タのぉ~。抑圧され続けた不遇な人生に、乾杯☆」
今日も今日とて、「女神」は無味無臭の砂を食み続ける。
「今まで、辛かったでしょぉ?哀しかったでしょぉ?やるせなくって、憤りを抑えきれなくって……それこそ、世界の全てに復讐をしたいくらいに……」
彷徨い辿り着いた稀人達に、薄っぺらな餌を重ねて、与えて、自尊心を肥え太らせて。
「ふむふむ、ですよねぇー。だからといって、同じ事をやってしまえば塵屑共と同類になってしまう……その気高い心意気。よーっく、解りますぅう」
濁り曇った耳心地の良い、見せかけの共感をたらし込み、ある時は嚇し透かしまでをも混ぜ込んで。その器が一杯に溢れかかったここぞといったタイミングを、慌てず騒がずじっくりと見計らう。
それが、この「女神」の生業そのものだ。
「そぉんなアナタに、朗報です☆――『次』を迎えるまでのせめてもの安息に、この舞台を快適に過ごす優待券を、プレゼントぉ♪」
最後に、決まって一つの提案をする。心疲れ腐り果てた証としてどす黒く染められた目蓋にその髪色と同じく明るく見られる筈のその眼は、濁りきった印象を強く刻み付けながら今日も相手の心奥を覗き込んで。
「願わくば、これがアナタにとって、より善きセカンドライフでありますように―――犬」
何の為に、この様な真似をし続けるのか。そんな事はいち部外者に過ぎない「彼」には分からない。
見送る目線にはいつもの通りに、たっぷりと胸焼けを起こしてしまう程の慈愛と愁いが込められていて。
然る後にがらりと気配の入れ替えられたその口は、冷めた素振りで呼びかける。
「い~ぬっ?」
「―――」
清楚な女神の皮を被って、虚構を演じる淫らな道化。それも、一つの舞台を終えるが度に、すれた本性を露わにしては、今日もまた理不尽な要求を叩きつけてくるのだ。
「いつもの、やりなさぁい」
「……分かった」
お馴染みの透き通った「女神」の衣装が着崩れるのにも頓着せずに、祭壇部分の死角となる位置に置かれたソファへどっかと身体を投げ出して。うつ伏せにも惜しげもなく晒した肢体を魅せ付けて、来訪者たちの死角となる位置に控えていた男をその寝床へと誘い込む。
「……っふ、う…んっ……」
そこまでの絵面としては正に毒婦。そうとしか言いようのないながら、馬乗りとなった男が行為に及び始めてほどなく上がったのは……緊張の糸が緩み切ったかな間の抜けた喘ぎ声。
「あひぃっ、そこぉ……もぅちょっとコリコリっと、つよめにぃ」
「お客さん、随分とお疲れの様で」
「分かりますぅ~?ほ~んと、この儀式って大変なんですよぅ」
やがて「女神」の要望がもっともっととエスカレートする度に、ぎっしぎしと、しかし色気の欠片も無い振動を伴って、豪奢なソファはその寿命を使い潰して揺れを大きくし続ける。
「たぁだでさえ半端なく忙しい書き入れ時だってぇのにぃ、つい先日に出自ほか何もかもが詳細不明などっかの野良犬が、紛れ込んできちゃってましてねぇ」
「………」
「最初はとっととブッ殺すか、追い出すかしようと思ってたんですけどね?こいつがまたぁ、スキルの一つも得た訳でない癖に逃げ足と往生際の悪さだけはピカイチでしてぇ」
「…………」
「結局半殺しまで追い込んだところで、その前の団体さんに与えた権能の消耗も相まって?もうめんどくさ、ってなっちゃったんでしたっけぇ」
「……………」
思わせぶりな「女神」の説明台詞に、それまで無表情にも見えた「彼」の仮面にびしりと罅が入る。
実際にそれをやられた側としては、めんどくさ、どころではない。
殺意満々にも作用する超常現象の数々に、物理的な圧を伴った質量攻撃等々。流石はチートスキルを与える「女神」の名を冠するに相応しい、理不尽なまでの権能の数々の前に、ある時は物蔭に隠れると同時に地面を掘り地上全体を巻き込む局所嵐から避難して、またある時は限界一杯まで引き搾った蔦を切って自らを投擲物に見立てる事で、指定範囲諸共を真空状態と化す広範囲即死攻撃を辛うじて免れたりと、学生達とのやり取りの様子見がてらに念の為と仕込んでいた簡易仕掛けの殆どが機能をする以前に消し去られ、喰い破られて追い込まれた。それは空っぽである筈の「彼」をして、新たなトラウマを植え付けられるレベルの恐怖体験だったと記憶している。
極めつけはただ一度だけ「女神」の部屋より逃げ果せる事に成功した事例。ほっと息を吐く間もなしに、
「逃がす訳ないじゃないですかぁ……やりなお~し★」
の一言により、殺意に塗れた「女神」が襲い掛かってくる直前に「彼」が立っていた、焦土化する前の部屋内での位置関係そのままの状況に引き戻されてしまった事だ。
命がけな鬼ごっこが始まってよりの息も絶え絶えとなってしまった、全身に刻まれた少なくないダメージ。それのみならず、グズグズと原型を留めなくなってしまった場の景観さえもがまるで無かった事であるかの様に、綺麗さっぱりと「直って」しまった事実を認識した時点で、一も二も無く諸手を上げて降参した。
「まぁ~。何だかんだでアナタは終始一貫して、敵対的な行為に及ぶ気配がありませんでしたし?今は忙しくて猫ならぬ、犬の手でも借りたい時期でもありますから~」
「………」
「あふぅ~。そこそこぉ……」
チェックメイトのその後に一方的に通達された、先日の口上そのままに、脱力しきった様子でくたびれた喘ぎを上げる「女神」。そのアンニュイな様からは、あの時感じたぞっとする怖気も、極まった人の悪意にも似た嫌悪感さえも見られない。
「――何も、聞いてこないんですねぇ」
仕上げとばかりにぐっと肩甲骨から脇へと繋がるリンパ節を刺激する。一際大きく上がる艶めかしい音色の後に、ぐったりと力尽きた様子で小刻みな痙攣を起こす「女神」の震える口よりは、そんな一言。
「何を聞けばいいのかも、俺自身の事さえも分かっていないからな」
人相手のマッサージが効くのであれば、身体構成そのものは人のそれと大差ないのだろうか。そんな益体も無い考察に思考の半分程を注ぎ込みながら、困った風にも肩を竦めてみせる。
一方の「女神」はといえばそんな「彼」を何故だかむゥ、と不満げに見上げてくる。然る後にこの場へと訪れる者達を慄かせよう、しかし「彼」にとっては見慣れてしまった、どこか病的にも映る濁った瞳で覗き込んできた。
「最初は記憶喪失の類かな?っとも思ったんですけどぉ~」
ややあって、ふむりと。何やら勝手に納得した様子を見せては、そのまま乱れた衣装を正そうともせずに仰向けに寝返った。釣られてふよりと揺れるそれと同時に逸らされる一対の目線。少しは恥じらいというものを持っても良いと思うのだが。
「おやおやぁ~?右も左もわからない小さな犬っころが、このわたくし相手にぃ?一丁前に盛っちゃってるんですかぁ?」
「………」
にやにや、を通り越してニタニタと意地の悪い笑みを浮かべる「女神」。少しの間を憮然とした表情を張り付けていた「彼」ではあったが、ふと一歩を踏み出してそのまま「女神」の胸倉へと片手を伸ばした。
「おやっ?」
まずは肌蹴た衣装を右手でくいっと引っ張って。
「おややっ??」
そのまま半ば吊るされる形となった腕を取る。
「おやややっ???」
今もおやや、と謎の感嘆符を口走る「女神」の襟元から、そのまま伝って腰に、脚へ。強引に、ではなくあくまでそっと気遣いを見せながら、衣装の崩れを整えていく。
やがて見た目だけは美術品とも言えよう、ソファに寝そべる貴婦人が描かれたかな図が完成する。その仕上がりを確認したところで、やや満足げにも見える表情は一変。再び能面にも近い仮面を被って一歩を下がった。
そんな「彼」の一挙手一投足に何を思ったか。まじまじと眺めていた「女神」ではあったが、その内はっと正気に戻ったらしい。
それでもやはりされるがままに、縁取られた隈も深く彩られた眼を向けて。そのまま「彼」をじぃっと見詰め―――
「ヘ・タ・レ♡」
これである。
煮ても焼いても喰えそうにない、それどころか下手に手を出してしまえば逆に骨の髄までしゃぶり尽くされて色々と搾り取られそうな、実に肉食系。それがここ数日間を共にして知った、この「女神」の素であった。