100日後、センター入試なのがしんじられない浪人生~99日目~
この物語はフリクションです。
実在のセンター試験など、消えてはいけないものには使用しないでください。
睦月の中旬、金曜日。つまりは1月17日のこと。
辺りが暗闇にのまれ始めた夕暮れ時。予備校のロビーにて。
僕が授業を担当している女子生徒に呼び止められた。
優等生の五街道ましろだ。
彼女は「気づいてしまったことがある」と前置きをして、語りだす。
「時計の短針って、100日の間にたった200回しか周らないですね……」
「一日で二周するんだから当然じゃないのか」
「でも、100日を短針基準で考えると三か月弱もあっという間に感じませんか?」
「表現法の違いだけだけどな」
100日は三か月弱で、2400時間で、14万4000分で、864万秒だ。
そのどれもに変わりはない。
まあ、彼女の言わんとせんことは理解できるけど。
「それで、五街道は何が言いたいんだ?」
そう尋ねると五街道は心ここにあらずといった表情をうかべ、一言。
「明日がセンター入試だなんて、信じられないってことです」
「なるほど……」
時計の短針は今宵、200週目を迎えようとしていた。
令和二年度の大学入試センター試験は明日実施されることになっている。
それは一年ほど前からわかっていたことだと思うのだけど。
五街道はその事実に今朝気がついたという。
「今朝のTwitterトレンドに『センター入試』の文字があって」
「そこで明日が実施日だと気づいたと」
入試に対する意識が一般人のそれである。
五街道も一年弱、浪人生として生活していたはずなのだけど。
流石に首をかしげてしまう。
その態度が伝わったのか、彼女は死んだ魚のような目で弁解する。
「そろそろだとは思っていたんですけど。時間感覚がマヒしていて」
センター試験が行われる十八日は、来週末だと思い込んでいたらしい。
時期が時期だし志望校対策だけでなく、センター試験の対策に取り組まなければ。
そんな風に考えていたのもつかの間、気がついたら明日が本番だったというから笑えない。
唯一よかったことがあるとすれば、彼女の志望校が私立大学だったことだろうか。
センター試験を利用する方法もあるが、一般入試のほうが一般的である。
ちなみに何年かに一度、国立大志望なのにセンターの出願さえ忘れるやつはいる。
そいつに比べればマシだ、大マシだっ!
「わたしとしたことがとんだ失敗をしてしまいました」
「まあ、その、なんだ。そう気に病む必要はないよ」
「いえ、こんな生き恥をさらすぐらいならば……」
「おいおいおいっ、ちょっと待て、五街道」
まさかとは思うが、彼女は完璧主義者として教師の間でも有名だった。
ゆえに何をしでかしてもおかしくはない。
どう説得しようかと必死に考えていると、五街道は叫んだ。
「タイムマシンをつくるしかありませんっ!」
「おいおいおい、ちょっと待てぃ! 五街道っ!」
先生、それはわからない。
わからないよ、五街道ましろっ!
生徒の中には受験のプレッシャーからか、こういう意味不明な発言を冗談めかしくいうやつはいる。
そうやって、ストレスを解消させているのだろう。
しかし、彼女の場合は事情が変わってくる。
五街道はいわゆる完璧主義の優等生であり、軽口を叩くタイプではないのだ。
個別の質問対応も何度か行ったことがあって、その度にジョークを言ってみたのだけれど、一度たりとも笑ってくれなかった。(このとき、僕のジョークが面白くなかった可能性は考慮しないものとする)
なので、今のリアクションが、冗談なのか否か全くもって判断できない。
「その、五街道、今のは一体……」
「か、解説させるんですかっ! わたしの日光街道ジョークをっ! 日光を見ずして結構死ねってことですかっ!」
「いやいやいや、待ってくれ、順番に処理されてくれ」
ツッコミどころが渋滞しているんだよ、五街道。
そういうキャラなら先に申告しておいてくれよ。
誰がこの突拍子のないネタを適切に扱えるだろうか、いや誰もいない。
「……まず、タイムマシン作成はジョークなんだよな」
「そ、そうですけど。解説しないでください」
「ま、だよな。もしタイムマシンがつくれるなら、わざわざ大学入試の失敗なんて消す必要がないもんな」
いや、真面目に確認するようなことではないのだけど。
普通に考えればわかることな気もするけど。
「それこそタイムパラドックスですよねぇ」
「いや、お前……」
ハイテンション&不条理なキャラなのかよ。
まあ、受験前夜だしプレッシャーとストレスで豹変するやつは少なくない。
目をつむっておくか。当人にとっては黒歴史かも知れないしね。
「で問題は次だ」
「じゃじゃんっ!」効果音で盛り上げる五街道。
「……日光街道は江戸時代の陸上幹線道こと五街道のひとつで間違いないよな?」
「無視しないでくださいよ。……まあ、それであってますけど」
なんだか不満げな表情を浮かべる五街道。
この対応はどうやら不正解だったみたいだ。
くそ、現代文の問題だってもう少し素直で分かりやすいぞ。
しかし、問題を解くのが予備校講師の務め。
なんとかして食らいついていかなければならない。
「その五街道と自分の苗字をかけたってことか」
「上手ですよね。ラッパーなれちゃいますよね」
厚かましいし、なれなれしい。
だけど、ここでツッコんだらなんだか負けてしまう気がする。
踏ん張りどころだ。我慢しろ、僕。
「でもまあ、どちらかといえば誤解答なんですけどね……」
「若干うまいが、気を病むぐらいなら止せよっ!」
いきなりナーバスな誤解答、じゃなくて、五街道。
テンションの乱高下が凄まじい。
気圧の差で耳がキーンってなっちゃったじゃないか。
これは流石にスルー出来ずツッコんでしまった。
ちょっとした悔しさを感じていると、五街道はニンマリと笑みを浮かべていた。
いけない、彼女に会話のペースを持ってかれている。
ここは予備校で鍛えた話術を全力で使うしかあるまい。
「しかし、最後はわかりやすかったな。徳川家康を奉っている、日光東照宮にまさる結構なものはないと、その美しさをたたえた『日光を見ずして結構というなかれ』と、その同義である『ナポリを見て死ね』をかけたんだろ? 嫌いじゃないぜ、そのジョークは」
ふふん、担当教科は日本史だけど、現代文だってちょっとは自信あるんだぜ。
心のなかでガッツポーズを取っていると五街道は小さく微笑んでこう言う。
「先生、流石ですね、かないませんわ」
「……絶句」
軽くあしらわれてしまった。
随分とクールにクーリングオフされたものだ。
というか、他の生徒からの目線が痛い。
いやいや、五街道の無軌道さが全く読めないだけなんだからな。
センター試験が終わったら、お前たちに日本史のテストやらせるから覚えとけっ!
「……ええっと、なんの話だったっけ」
「本題は明日がセンター試験だと気づかなかったことでした」
ああ、おぼろげながらに覚えている。
テーマに一貫性のない、悪文のお手本みたいな会話をしていたのですっかりと忘れてしまっていた。
初心忘れるべからず、だな。
まあ、この言葉の原義は世間で言われるような意味では無いのだけど。
脱線が終わらなくなるので、これは宿題にしておく。
と、思ったところでふと五街道について聞いていたことを思い出した。
「あれ、毎日、日めくりカレンダーをめくっていたのでは」
「正確にいえば100日前からですけど。今日になるまで全く気づかないフリをしてきました」
「フリ……? いや、そもそも予備校では大々的にカウントダウンだろ」
「知らなかったです。掲示板は絶対に見ない主義なので」
「どんな主張だ。意図的にやってるだろ」
最初からおかしいと思ってはいたのだ。
五街道ほどの優等生が入試日程を忘れるだなんて。
そもそも、以前より逆算して計画的な勉強を進めてきたと彼女は語っていたではないか。
けれど、そうなると気になるのはその動機だ。
なぜ、五街道はセンター試験の日程を忘れたと偽ったのか。
「正直にいえば不安だったんですよ。昨年の失敗がありましたし。絶対大丈夫と思っていても、わからないじゃないですか。大学入試って……」
「……そうか」
僕は五街道のことを誤解していたようだ。(断っておくがギャグじゃない)
彼女ほどしっかりと芯のある人間ならば、不安を感じるはずはない、と。
やれやれ、まだまだ学ぶことが多いみたいだ。
「なあ、五街道の志望校ってどこなんだ?」
「現金な極右のところと、片足サイボーグ首相のところです」
「…………」
なんとか我慢する。
まあ、どこかは一発でわかったけれど。
たしかに一万円札ではあるけど。
どうやら冗談を混ぜるほうが素の彼女らしい。
そんな性格でよく一年弱バレなかったよな、感心する。
「なあ、ちょっと聞いてもいいか?」
「はあ、偏差値以外ならなんなりと」
そこで偏差値を気にするあたり、受験生っぽい。
いや、受験生に間違いないのだけど。
「……じゃあ、現金な彼が明治六――」
「明六社、ですよね」
「その彼がそ――」
「……時事新報のほうですか?」
「じゃ、じゃあ、かたあ――」
「玄洋社の来島恒喜でいいかと」
問題を口頭で解ける程度の実力があれば、センター試験の日本史は大丈夫だ。
そう太鼓判をおすために問題をだしたのだけど。
はえーよ。せめて問題をいわせてくれよ。
「その調子なら別に怯える必要はないと思うぜ、日本史に関しては」
「で、でも、また落ちちゃうかもしれませんし」
「かもな。それは誰にもわからないさ。でも、僕は受かると思うぜ。駄目だった時はその時は相談に乗ってやるから」
甘言はリップサービスでも言わないようにしているのだけど。
多分、彼女は大丈夫。
不安に思うのはリスク管理のうえでは必要な能力だ。
「そのときはなんでもいうこと聞いてやるさ」
「えっ、本当ですかっ! じゃあ……」
途端に興奮気味になる五街道。
……猛烈にいやな予感がするのだけど。
虎の尾を踏んでしまった気がするのだけど。
すると五街道はあざとくも上目遣いでこう告げてきた。
「左手の薬指、そのまま空けといてくださいね」
――教師は生徒の合格を祈ることしか出来ない。
その意味を噛みしめるセンター前夜だった。