041 漆器
海のある方角から集落を出て少し。
アリシアを連れて、俺はある木のもとへやってきた。
「木製の食器はコイツを使うことで寿命を延ばせるんだ」
目の前の木を指して言う。
「なんですか? この木は」
「漆だよ」
――漆。
日本では縄文時代より使われてきた資源の一つ。
この木の樹液を加工して木に塗ることで、中の木を保護できる。
その力は強力で、寿命を格段に跳ね上げることが可能だ。
日本では、漆の樹液を使って加工した物を「漆器」と呼ぶ。
「これで大丈夫だといいが……」
懐より石包丁を取り出した。
木の取っ手を付けた物で、見た目はナイフだ。
それで漆の木を水平に切りつける。
「流石は魔法で作った逸品。切れ味は鉄に劣らんな」
「鉄? それは何ですか?」
「材料の一つだが……いずれ機会があれば教えよう」
俺は製鉄に関する技術も心得ている。
サバイバルとの関係性は低いが、幅を広げる為に覚えておいた。
もしかしたらサバイバル生活の中で製鉄作業に迫られるかもしれないから。
だが、この世界に普及させる予定は、今のところない。
「あっ! 何か出てきましたよ!」
「漆の樹液だ。これを回収する」
切った痕から血のように樹液が垂れてくる。
俺はそれを、用意しておいた木箱に入れていく。
「この液体を塗るだけで食器の寿命が増えるのですか?」
「大雑把に言うとそうだけど、このままだと駄目だ。他にも作業がいる」
「そうなんですか」
「木から取り立ての樹液は『原料生漆』と言ってな、そのままだと使えないんだ。蜂蜜の時と同じで不純物が多いから、ろ過して綺麗にせねばならない」
原料生漆をろ過する方法として、日本で使われているのは漆濾し器だ。
漢字の「凹」に似た形の木に、原料生漆を含んだ布や紙を固定して搾る。
そしてポタポタと落ちる濾した液を、別の容器にため込む。
俺は魔法を使うことにした。
持ち帰った原料生漆を布で包み、魔法を使って搾る。
魔法による圧搾能力は、アナログなそれとは比較にならない。
「こうしてろ過した漆は『精製生漆』と呼ぶわけだ」
「あとはこれを食器に塗って完成ですね!」
「と思うじゃん?」
「もしかして、まだ……?」
「そうなんだよ、まだ終わらない」
原料生漆をろ過して精製生漆にした。
この時点で作業は殆ど終わっているものの、まだ不十分だ。
「精製生漆にある物を混ぜて質を高める」
「ある物とは……?」
「エゴマさ」
「エゴマァァァァ!? って、なんですかそれ!?」
「これだよ」
俺はひょいっとエゴマを取り出した。
原料生漆を獲得した後、集落へ戻る道中に採取したものだ。
「それは先ほど拾っていた!」
「そう、コイツがエゴマだ」
エゴマはシソ科の一年草で、中々に万能な植物だ。
種から採れる油は漆器作りの他、食用油や灯油としても使える。
さらにエゴマの葉は食用に適しており、現代でも食べられるくらいだ。
定番な調理法としては天ぷらだろう。
「この小さな種から油が手に入るのですか?」
手のひらに載せたエゴマの種を見つめるアリシア。
「そうだ。油の精製方法は簡単だぞ。加熱して圧搾するだけでいい」
「圧搾って方法、よく使いますよね」
「不純物を取り除く方法としてド定番だからな」
精製生漆にしても、エゴマ油にしても、作り方自体は簡単だ。
方法さえ分かっていれば小学生にだって再現することが出来る。
それでも、人力で行おうとすると苦労することは必至だろう。
どうしても力が足りないからだ。
しかし、此処には魔法がある。
魔法を使えば、こういった作業は楽勝だった。
何の力を使うことなく、サクッと油の抽出が完了する。
「これでエゴマ油の完成だ」
「おー!」
「あとはこの油と精製生漆を混ぜて完成だ」
説明しながら実演する。
そのままでも使えそうな精製生漆とエゴマ油が混ざり合い、そして――。
「出来たぞ! これが『精製透漆』だ!」
精製透漆が完成した。
精製生漆よりも透明度が高く、保護能力も高い。
「あとはこれを食器に塗るだけですね!」
「そうだ。薄く塗ればいい。日本だと何度も丁寧に塗ることで見た目と質の両方を高めようとするが、そこまで拘らなくても問題ない。軽く塗って乾かすだけで十分だろう」
ちなみに、日本では精製透漆をそのまま使うことは少ない。
そのままだと透明なので、別の材料を混ぜて色を付けるのだ。
日本の漆器に様々な種類の色があるのはそういうこと。
「お、シュウヤ君、また何か作ったようね?」
魔法を使って食器に透漆を塗っていると、スカーレットがやってきた。
「食器の寿命を延ばす為に漆塗り――漆器の技術を導入したんだ」
これまでの作業をかいつまんで説明する。
スカーレットは工房長なだけあり、口頭の説明で理解してくれた。
「なるほど、それは便利ね。私達にも教えてくれる?」
「もちろん。アリシアに教えたのは、原料となる漆の樹液やエゴマがスポットの外にあるからさ。採取するのは野郎の任務だからね」
「今回学んだことも皆さんに教えるわけですね! 了解しました!」
何故か敬礼するアリシア。
俺とスカーレットはその様を観て笑った。
「漆器については後で教わるとして……」
スカーレットが一歩前に近づいてきた。
目と鼻の先に彼女のとんでも大きなおっぱいがある。
「あの日以降、お姉さんの家に来てくれないね?」
「あの日?」
そう首を傾げるのはアリシアだ。
俺は苦笑いを浮かべて固まる。
「蜂蜜酒を造った日だよ。酔い潰れたアリシアを家に運んだ後、スカーレットの家に行ったんだ」
「あー、そうだったんですか!」
「ただ家に来ただけじゃないわ。色々と愉しんだよねぇ?」
ふふっ、といつものように笑うスカーレット。
俺はなんだか背中がむずむずと痒い感覚に襲われる。
「いやぁ、まぁ、ハハハ」
そう、俺とスカーレットは色々と愉しんだ。
しかしそのことを、俺はアリシアに言っていなかった。
言ったら怒りそうな気がして、なんとなく。
いや、俺とアリシアは、別に恋人関係ではないのだが。
「その反応……もしや……!」
アリシアが気づく。
「シュ、シュウヤ君! スカーレットさんと!?」
「えーっと……なんのことかな?」
「とぼけないでください! い、一夜を共にしましたね!?」
「ギクッ」
あっさりと看破された。
よくいる鈍感キャラのような勘違いはない。
「まぁねー、すごく良かったよ、シュウヤ君」
追い打ちを掛けるスカーレット。
「やっぱりシュウヤ君みたいな凄い人には、私の他にも相手がいるんですねぇ」
「へっ?」
アリシアの反応は予想外だった。
もっと猛烈に怒るのかと思いきや納得している。
「怒らないのか?」
「怒る?」「どうして怒るの?」
アリシアとスカーレットが同時に首を傾げる。
「だってほら、アリシアとはよくゴニョゴニョな関係なのに、こっそりスカーレットとも……って、怒ることじゃない?」
「へぇ、日本ってそういう価値観なんだ」
「こちらでは特に怒るようなことはありませんよ。複数の方と同時に愉しまれることは別に禁止されていませんので」
日本よりもフリースタイルのようだ。
日本の価値観だったら「サイテー!」と罵られていただろう。
「じゃ、じゃあ、もしかして、二人も色々な男と愉しんでいるの?」
「そんなことありません!」
「私達を尻軽呼ばわりするなんて酷いね、シュウヤ君」
なんと2人から同時にムスッとされる。
どうやら女が色々な男に手を出すのはよろしくないようだ。
言い方から察するに禁止ではないが尻軽認定されるといったところ。
「別に尻軽扱いするつもりはないよ。この世界について知らないだけさ。不快にさせたなら謝るよ。すまなかった」
適当に訂正しておく。
「だいぶ逸れてしまったが、なんにせよこれで漆器の完成だ。あとはコイツを広めれば食器の寿命が飛躍的に延びて、木材調達に苦しまなくて済むだろう」
「おおー! 流石ですよ! シュウヤ君!」
「これはお礼にまた愉しまないといけないわね。ふふっ、今回も精神魔法を使って感覚を倍増させてよっか。今度は前よりも強烈に……触るだけでビクンビクンしちゃうようなレベルにしてさ」
「スカーレットさん! それは禁止されていますよ!」
「ふふっ、ばれなきゃセーフなのよ。内緒にしてくれるならアリシアちゃんも混ぜてあげるわよ?」
「ぐぬぬっ。じゃ、じゃあ、今回だけですよ!? 行きましょう!」
こうして漆器が普及することになった。
そして、俺達はスカーレットの家で愉しんだ。




