飛行機の中で
8月27日
飛行機は太陽を追い越し夜の側に入ったというのに、
少年ハルは窓に顔をこすりつけるようにして外を眺めていた。
こんなに暗い夜を彼は見たことがないからだ。
上を眺めれば満天の星空が広がり、地平線はほのかな光で色づいている。
あとは完全な真っ暗。
彼にとってこれはとても神秘的で美しい光景に思えた。
サダヨシは窓に顔を押し付ける息子を止めようと思ったが
今日は大目に見てやることにした。
何せ海外に引っ越すことになったのは彼の都合なのだから。
それに今度の仕事はさらにハードになり彼の面倒を見てやる時間はさらに少なくなる。
このことに彼は負い目を感じていた。
「父さん。今度の研究はお母さんがやりたいって言ってた研究なんだよね?」
「ああ。」
「ねぇ、お母さんてどんな人だったの?」
「そうだな…」
それからサダヨシは息子に何度もした母の思い出を話始めた。
彼女との出会いから
結婚するまでの話を。
「それで?」
話はだんだん自分の妻の自慢話に変わっていった。
お母さんはすごく美人だったんだぞとか。
お母さんは優秀な研究者だったとか。
ハルは母の話を聞くのが大好きだった。
いつもはどことなく沈んだ表情の父が母の話をするときは明るくなる。
「それで?」
話題はまた昔話に戻った。
今度はハルが生まれた後の話だ。
「それでなぁ、お前は母さんの大切にしていたコップを割ってしまったんだぞ。」
「そうなの?ぼく覚えてないんだけど...。それで、それで?」
「………….」
「それで」の先はなかった。
この話にはこれ以上続きはない。
ハルはそのことをわかっていた。
サダヨシの表情も元に戻り、ハルは再び窓の景色を眺めることにした。
ハルはうっすらとした光の曲線を描く地平線を見つめていた。
あれは人口の光、つまり夜を照らす街の明かりである。
落星が地球に落ちて50年。
落星に眠る莫大なエネルギー資源を人々は惜しみなく使うようになっていた。
以前よりも夜は明るくなり、
電飾やネオンの光で満たされた都市の夜は昼よりも明るいのではと思えるほどである。
これほど遠くまで離れていても明かりが届いていることがハルには不思議に思えた。
まだ見えるところに自分たちの住んでいた街があるような気がした。
そんなことを考えているとふと昨日別れを済ませた友人のことが頭に浮かんだ。
ハルには仲が良かった子も多かったし、仲が悪かった子もなんやかんやお別れ会に来てくれた。
ただ、彼らと再び会うことはあるのだろうか。
子供ながらそんなことはないんだろうなと薄々感じていた。
アナウンスが飛行機が間も無く着陸することを告げた。
本を読んでいたサダヨシは窓の方を向くと
息子がいつのまにか寝ていることに気がついた。
「おーい、起きろー。もうすぐ着くぞー。」
肩をポンポン叩く。
「う…ううん。」
ハルは考え事をしているうちに寝てしまったようだ。
寝る前に何を考えていたのか少し気になっていたが、
起きた今となっては何を考えていたのかもわからなくなっていた。
飛行機が着陸に向けて旋回を開始したとき、落星の巨大な影が星の光を吸い込んでいった。
それは星空にぽっかり穴が空いたようであった。
飛行機は真っ暗な穴へと機首を向けて着陸に移った。