同じ苗字にならないか
よく姉弟仲いいよね、と言われる。
確かにブラコンとまではいかないが、思春期の弟は特にグレもせず家事の手伝いをしていて、良好な関係を築いていると思う。
家は父親が海外に単身赴任、母親は仕事大好き人間で、家庭仲はいいけど家族四人集まることは他の家庭に比べて少ないと思う。
更に私が高校を出た辺りから自然と母親の出張が多くなった。
その前から、壊滅的な料理の腕を持つ母親の代わりに食事を作っていたので、負担に感じるほどじゃない。
愛されてることも、両親が稼いだお金である程度自由にさせてもらっている事も分かっているから、不安もない。
でも一人っ子だったら、広い家で食べるご飯に寂しさを感じたと思う。
だから、弟が居てくれて嬉しいし、正直夜に隣の部屋に居てくれることはとっても有り難い事だと思う。
グレて夜中に外でやんちゃするタイプでなくて本当によかった。
むしろ、高校受験の時はなるべく帰りが遅くなる塾には行かずに、家庭教師をよんでやってくれたり、私が大学受験の時は家事を代わってくれたり、つくづくお姉ちゃん想いの良い子に育ってくれた。
まぁ、変なセールスにしつこくされた時は逆にありもしない宗教の勧誘をして追い返したり、いつの間にか偏差値の高いお金持ち学園に特待生枠で入学してたり?
うちの弟は、大抵の事には特に動揺もせずに淡々と捌いていく。
頼もしいけど、逆にその年からそんな大人びていて大丈夫なのって少し心配してたりもしてた。
けれど最近、そんな私の心配も杞憂だったんだなぁって安心してる。
弟が家に友達を連れてきてから。
「...姉ちゃん、そいつ道路に捨ててくるから」
最近は「姉さん」呼びだったのに、昔みたいな呼び方にたまに戻るのはこの弟の友達が来るようになってからだ。
動揺すると戻るらしい。
お姉ちゃんは、昔の呼び方で全然かまわないよ、うぇるかむだよ。
「まぁまぁ、疲れてる?らしいよ。大変なんだねぇ御曹司も」
「つっかれてるんなら、ささっと家に帰らせようそうしよう。ごるぁ起きろ神崎」
歯を剥き出しで怒る弟は、私の膝で寝ている蓮くんの胸ぐらを掴んで起こした。
そう、何故か私の膝。
弟が来週提出の課題に必要なプリントを忘れたとかで学校まで取りに行ってる間、テレビを見ながら話してたら、眠そうに欠伸を繰り返す蓮くんが居て。
眠るように勧めたら何故かこの形におさまったのだ。
最初こそびっくりしたものの、近頃よく来ては弟と勉強してご飯を食べて雑談をしてと一緒に過ごすことの多かった彼を、もう一人できた手のかかる弟のように感じ始めていた私は、堂々と膝枕で寝始めた蓮くんを見て動揺もなくなった。
思えばあったその日から下の名前で呼んだり、料理中は後ろから覗き込んだり、パーソナルスペースが近い子だから、こんな事も特に変に意識しないでやるのかな。
むしろ、弟の方が動揺しているみたい。
ドア開けてしばらく固まってたもんね。
すぐに復活して引き離してるけど。
感情表現がもしかして苦手な部類かと心配だったけど、友達にもこんな気軽に感情を出せるなんて、ほんとに良かった。
割りと荒っぽく起こされた蓮くんも、そんな態度の弟に怒ったりしないから、それだけ気を許し合っているんだろう事が分かって微笑ましい。
お金持ち学園に行くってなった時は、生活の違いから孤立したりしないかなんて心配だったけど、蓮くんに聞く限り弟は平穏に過ごしているらしいし。
「なんだ伊織もう帰ってきたのか、もう十分はかかると思ってたんだけどな」
「残念そうに言うな。家の中に危険人物が居るのに、ゆっくりと歩くわけないだろ、チャリンコかっ飛ばしたわアホ」
「危険とは心外だぜ。最近は物騒だから、何が起こってもすぐ対処できるように近くで待機してやってた友達甲斐のあるオレ様に感謝しこそすれだな」
「ちっ、なぁーにが近くで待機だよ。人の姉ちゃんに膝枕されて偉ぶるなこのスケベ男が」
舌打ちする弟なんて珍しい。
にこにことこの状況を見守ってあげたいが、そろそろ楽しみにしていたドラマが始まる時間だ。
ここは、大人である私が事態の収束をした方がいいよね。
「ほらほら、いつまでも二人仲良く喧嘩はやめよ。伊織は課題を終わらせないとなんでしょ?蓮くんもそろそろ遅いし、お迎え来てもらったら?」
私の言葉に、不服そうにではあるが二人とも押し黙った。
見よこれが年長者ゆえの力業。
弟は諦めたように溜め息を吐きつつ、座って課題を広げ始める。
一方で蓮くんはまだ帰りたくないと駄々をこね始めた。
「明日は休みだしもうちょっと居ても良いだろ?ゆきのが見たがってたドラマなら録画だってしてあるんだし、オレも静かにしてる」
あら鋭い。
「明日が休みだからこそだよ。ゆっくりお風呂入ってたまには沢山寝なきゃ。育ち盛りなんだし、睡眠は大切だよ」
ドラマの為だけに追い出そうとなんてしてないよ、蓮くんは確かにさっきまで疲れた顔してたし。学校の勉強に加えて、他にも色々と将来の為に勉強して親の社交パーティにも最近よく駆り出されて疲れたと、さっき言ってたじゃない。
だからこそ、なんだかんだと言われていつの間にか膝枕までしてたんだし。
けっして私が丸め込まれたわけじゃないからね。
唇を突きだして不満顔の蓮くんは、もう一人できた弟というよりは家に懐いた猫みたいだ。
血統書付きの猫をなだめるのは少し面倒。プライドを傷つけずにするのがコツ。
「休めるときに休まなくちゃ、倒れたら大変じゃない」
「…オレが倒れたら、ゆきの心配する?」
「そりゃするよ」
家でゴロゴロして休み損ねて大事な息子さん倒れちゃいました、ってご両親に申し訳ないじゃない。
あともう一押しかな?
「今度来たときまた好きなメニューつくってあげるから」
「………はぁ」
蓮くんは諦めたようにながーい溜め息をついた。
オレここん家の子になりてー
ぽつりと小さく漏れたひとりごとは、テレビの観客席の声援で掻き消されたようだけど、説得のためにじっと見てた私には何を言ったのかわかった。
お家で特に上手くいってないわけじゃないみたいだけど、まぁ思春期だと色々あるんだろう。
思わず頭を撫でると、最初驚いていた蓮くんは少しバツが悪そうに口を尖らせながらも嫌がらない。
ワックスで固めてあるかと思った髪は思いの外ふわふわだ。
「え、なんのシャンプー使ったらこうなるの?」
「家にあるやつ」
家でどんなシャンプー使ったら、こんなサロン帰りみたいな仕上がりを夜まで保てるわけ?
市販のやつでもここまでの髪になるかな、今度は家もちょいお高めの買ってみようかな
中々手を離さない私をじっと見つめる蓮くん。
「オレの家のシャンプー使いたい放題」
「え、ほんと?!」
「ゆきのがオレと同じ苗字になったら」
ん?
それってどういう意味?なんて聞き返すまもなく、視界から蓮くんが消えた。
「てっめーは、人が、黙ってたら、つけあがりやがって」
見ると蓮くんの首根っこを掴んだ弟がドアまで引き摺ってる。
「オラ、黛さん迎えに来てっぞ」
「は?まだ呼んでねーけど」
「俺が呼んだ」
「いつの間に人んちの運転手とメル友なってんだよ」
「どっかのヤローが入り浸るあたりからだな」
「ちぇー抜け目ねーなぁ」
そのまま玄関まで二人で退場してくようなので、お見送りしに私も向かう。
廊下からは仲良さそうな二人の掛け合い。
結局冗談でかわされちゃったけど、シャンプーの銘柄ちょっと知りたかったなぁ...
いや、やっぱり男性用と女性用だと配分が違うだろうしいいか、なんて一人決着を着ける。
ドアの向こうには、蓮くん専属のドライバーである黛さんが、丁寧にお辞儀されていた。
慌ててこちらも頭を下げる。
「ゆきのー、さっき言ったこと忘れんなよ」
弟から黛さんに引き渡された蓮くんの言葉に頷いて手を振った。
わかってる、次は君の好きなおかずを作ろうじゃないか。
「たぶん、噛み合ってないんだろうけど、まぁ癪だしいいか」
弟の言葉の意味はいまいち分からないけど、もうリビングへと向かった背中にわざわざ聞く気もおきず流しておいた私は、後日後悔することになるのでした。