やさしさと哀しみと
「ふう」
わたしの吐いた白い息は、澄んだ空の下、雨上がりの瑞々しい空気へととけていった。
季節は三月中旬、冬は冷たく刺すようだった風も柔らかくなり、まだ肌寒くはありながらも、確かに春の訪れを告げている頃。
特別養護老人ホームさくら宛を、最後の訪問を終えて、わたしはもう一度振り返り眺めた。
その清潔感のある白い建物は、雨に濡れ、太陽のひかりを浴びて輝いているように見えた。風が髪を撫でていく。
「お、いい風」
隣に立つ城谷君が、眩しそうに目を細めながら、言う。わたしはうん、とちいさく言って、そして深呼吸を一回した。
橙のあたたかい灯りに照らされたさくら宛内。
「九州じゃ、ここから遠くて、なかなか帰って来れないものね。少し残念だけど」
ホーム玄関、受付近くで、わたしが佐野さんをはじめとするホーム職員の方々に今までのお礼を言うと、ひとりの方がそう言って別れを惜しんでくれた。
一週間と少し前、大学を卒業した。そして、間も無く、九州のちいさなアパレル会社に就職することが決まっている。
このさくら宛は東北の片田舎にあるので、よほどのことがない限り、暫くこちらには帰って来れないだろうと思っていた。
だから、さくら宛ともお別れかもしれません。そう佐野さんに言うと、佐野さんはわざわざ手の空いている職員の方を呼んでくださり、恐縮するわたしに、四年間ずっとさくら宛の交流会に参加してくれたし、お見舞いにもまめに来てくれたお礼、と何でもないことのように答えた。
「でも、暇があったら、来てくださいね」
「はい」
わたしはホーム職員の方々と握手をした。頑張って、応援してます、そんな飾り気はないけれどあたたかい言葉を受け取ったわたしは、もう一度お礼を言った。そして振り返り、
「もう行けるよ、城谷君」
と、掲示板に見入っていた城谷君は、掲示されている写真の一枚を指差した。
「いい写真だなこれ。祖母ちゃんもいい顔してる」
彼の指差していた写真には、わたし、城谷君、佐野さん、ひとりのお婆さんが写っていた。お婆さんの手は、皺が寄り老人斑が浮かんでいた。
そしてその掌には、ちいさな、赤い折り紙の鶴がのっていた。
「この前の交流会の写真。またそのうちやりたいなと思っているんだけれど。本当に瀧田さん、いい表情でしょう」
隣に来た佐野さんが笑みを浮かべながら言い、そして画鋲をはずして、その写真をわたしに渡す。
掌に鶴をのせた、白髪の齢をとった女性がやさしい表情を写真の中で浮かべているのを見て、わたしはこころが暖かい何かに包まれるのを感じた。そして、
「本当に」
そう答えた。
瀧田さん。さくら宛で暮らしている、八十代前半の女性である。
大学入学と同時に出会い、そしてその大学をついこの前卒業したので、ちょうど四年間の付き合いになる。
ただ、付き合い、と言っても、そんな大それたことではない。
瀧田さんは城谷君の母方のお祖母さんなので、大抵城谷君と一緒に、ひと月に一回の割合で会いに出かけるぐらいのものだ。
それから、瀧田さんはまったくと言っていいほど口を開かない。
それは別に無愛想だから、というものではなくて、いつだか、昔からああだったのかと、城谷君に訊ねた時、彼からは元々物静かなひとだという答えが返ってきた。
脳梗塞で倒れてからは、それに輪をかけて言葉少なになったらしいけれど、そも、孫である城谷君とすら、瀧田さんは話さないのだ。
その為、会いに出かける、訪問する、と言っても、「調子はどう」だとか「この前大学でこんなことがあった」だとか、そんな他愛の無い話しを、瀧田さんが一方的に聞いているだけ。
自分から話しをすることはない。いつもやさしい笑みを浮かべて、時折、ちいさく頷きつつ。
わたしも、あまり口数が多いほうではないし、話をするのが上手なわけでもない。
瀧田さんと一緒にいる時も、ほんの少し、短い話をするぐらいで、実際のところ、主に話しをするのは城谷君だ。
大抵の場合、わたしは聞き手に回っている。
だけれど、わたしは瀧田さんの部屋で過ごす時が好きだった。様々なことが立続けにあって疲れていた日も、瀧田さんと一緒にいると、こころが穏やかになり、やさしい気持ちになれた。
はじめは、少し思うことがあって、瀧田さんに会いにいっていたのだけれど、徐々にその理由も意味を無くしていたのだ。
つまりは、心地よいからそこにいたい、という風に、訪問理由がいつしか変わってしまっていた。
「何でさあ」
城谷君に、訊かれたことが一度だけある。
「前から思ってたんだけどさ、来宮、何でうちの祖母ちゃんに会いにいってくれるわけ」
至極、当然の疑問だと思った。
大学一年生のとき、何処かに出かけた帰りだった。城谷君が「少し寄りたい場所があるんだけど」と言って、いいよと承諾し、ついていった先がさくら宛だった。
そこで城谷君が、一種の儀礼みたいなものだけれど、瀧田さんが自分の祖母であると教えてくれ、わたしは瀧田さんを知った。
多くの場合は、きっとそれで終わるのだろう。だけれど、わたしは、その「多くの場合」ではなかった。終わらなかったのではなくて、終われなかったのだ。
城谷君に「どうして会いにいってくれるのか」と訊ねられたとき、そのときには既に、わたしの訪問理由は変わってしまっていたのだけれど、その「理由」が彼の質問の答えにならないことは、わたしにもはっきりと分かっていた。
けれどそのときのわたしは、返事を本当のところからずらし、濁した。
狡かったかもしれない。逃げていたのかもしれない。
そして、誰かにそのように思われても、反論するつもりはない。
だけれど。だけれど、わたしは怖かったのだ。そのときのわたしは、「何か」が崩れて、もう戻すことが出来ないほど粉々になって、壊れてしまうことが怖かった。
どうして、誰によって、そうなるのだろう。瀧田さんを訪問していた当初の理由、それは疚しいものだから、その理由を返事として返したら、不快に感じた城谷君が瀧田さんとわたしとの僅かな繋がりを壊してしまうのだろうか。
それはきっとない、と思う。城谷君はやさしい。けれど、絶対とは思えない。怖かった。
しかし怖い、と思いながらも、その恐怖の裏側にあるものをわたしは知ることが出来なかった。
はっきりとした輪郭をもっていたものは、ただひとつだけだった。
手に入れたものは大切で、わたしのこころをやさしく包んでくれるあたたかさをもっている。
しかしそれ故に脆い。
中学二年生、十月六日の夜九時をすこしまわった頃。ベッドの上で、本を読んでいたわたし。はっきりと憶えている。祖父が亡くなった日。
祖父は、わたしの中で、すこし取っつき難く、怖いひととして存在していた。
言葉は訛りが強く、お酒をよく飲んでいて、あまり御飯は食べない。
家の畑にしばしば出ていって、例えば夏にはとうもろこしやキュウリなどを収穫したり、収穫してきたそれらが夕食に並ぶこともあった。
怒鳴ったりすることもあったけれど、それも時々、寧ろ豪快に大声で笑って父母と会話していることが多かったと思う。
その祖父が、ある日突然、脳梗塞で倒れた。
父母と一緒に急いで病院に向うと、ベッドに横たわっていた祖父は、それほど具合の悪そうには見えなかった。
よく来たな、と豪快に笑って、同室の老人をわたしたちに紹介したりもした。
帰り道、あれならすぐ退院出来そうだねと、母がそう話していたのを記憶している。
事実、それから少しして、祖父は家に戻ったのだ。ただ、天井に、点滴をつるす鉤のようなものを取り付けなければならなかった。
そのちいさな鉤は和室の、祖父のいつも座っていた場所のちょうど上に付けられた。
けれど、家に戻って間も無く、再び祖父は倒れてしまった。
はじめは病院でのことを話したり、家の状況を訊ねたりなどしていたのだけれど、その言葉も段々と不明瞭となり、歩くことも難しくなり、口からものを食べれなくなっていた。
車椅子を使い始め、最終的にはそれに乗ることすらもなくなった。
容態は見舞いに行く度悪化していた。そしてそのまま、家に戻ることもなかった。
最後の祖父は、昔畑仕事をしていたと思えないくらい弱弱しく、ちいさく萎んでいたけれど、別れ際、また会いに来るからと父が言うと、腕を微かに上げて答えてくれた。
そこから伸びた黄色に変色した点滴のくだは痛々しく、わたしは思わず泣きそうになった。
じゃあまた、と父が言い、母が手を振った。
握手の為に差し出された腕は、注射によって赤黒くなっていた。わたしは何も出来なかった。祖父は笑っていた。
その訪問から約三ヵ月後の訃報。
家の和室の鉤が、鈍い光を放っていた。
瀧田さんに、わたしは祖父を重ねていた。
祖父と瀧田さんに共通点はひとつしかない。脳梗塞で倒れた、ということだけ。
だけれど、はじめ、瀧田さんと出会った頃、わたしの中で瀧田さんと祖父はだぶって見えていた。
そして、だからこそわたしは瀧田さんに会いに行っていたのだ。それこそが、訪問理由の本当のところだった。
わたしは、自分が祖父に何もしてあげられなかった後ろめたさを――悔しさではない、後ろめたさを――瀧田さんと付き合うことで、消し去ろうとしていた。誤魔化そうとしていた。
そして、その誤魔化しに気付いていることさえ、誤魔化そうとしていた。
しかし、その誤魔化しに疲れ果て、もう訪問も止めようかと思っていたころだった。
「わたしは、来宮さんが、会いに来てくれて、とても、嬉しい。ありがとう」
そのとき、城谷君が少し飲み物を買いに出ると言って、部屋にはわたしと瀧田さんしかいなかった。
わたしはパイプ椅子に座って、窓から見える景色を眺めていたのだけれど、その時、普段あまり口を開かない瀧田さんがそう言ったのだ。
わたしが吃驚して顔を向けると、瀧田さんはいつもの笑みを浮かべていた。瀧田さん――そう口を開いて、その時城谷君が帰って来たので、その続きは言うことが出来なかったけれど、その瀧田さんの言葉と、何よりその笑顔が、わたしのこころのなかにわだかまっていたものをほぐしていくのが身体のどこかで感じられた。
こころが不思議なほど穏やかになっていた。
ちょうど今、佐野さんから渡された写真を手にしていたわたしのこころは、その時と同じだった。春の海が凪いでいるように。
「最後に握手しました、瀧田さんと」
「そう」
佐野さんは嬉しそうに言った。
別れの挨拶、矢張り瀧田さんは何も言わなかった。頼りなく、か細い、皺の寄った掌は、けれどとてもあたたかかった。
「その写真」
佐野さんは続けて言う。
「そのまま持ってていいよ」
くだけた口調で、やさしい表情をした佐野さんを、わたしは見た。
「本当ですか」
「本当。他にも何枚か現像したから。それに、それを見て、ここを思い出してくれたらわたしも嬉しいし、何より瀧田さんが喜ぶ筈だから」
わたしは黙って写真の中に視線を戻し、佐野さんのほうをしっかりと見て、
「戴きます」
そう言った。佐野さんはくしゃっと顔を崩した。そして、
「どうぞ。瀧田さんのことは安心して。城谷君もいるし」
佐野さん達に見送られ、わたしはホームの玄関をくぐり、外に出る。
「お、いい風」
隣に立つ城谷君が、眩しそうに目を細めながら、言う。
わたしはうん、とちいさく言って、そして深呼吸を一回した。
これからここを訪れることは、絶対とは言い切れないけれど、でももうないだろうと思った。
それに、これからは今までとは比べ物にならないほど、忙しい毎日が待っている。
慣れない場所での、慣れない仕事。けれど、わたしは逃げてはいけないのだ。
「城谷君」
「あ?」
相変わらず目を細めていた城谷君が、わたしのほうを見る。
「ずっと前、わたしに『どうして祖母ちゃんの見舞いに来てくれるんだ』って訊いたこと、憶えてるかな。そのとき、わたしは返事をしなかったんだけれど」
答えは分かっていた。
「憶えてない」
「訊きたい、どうしてか」
答えは矢張り、分かっていた。
「別にいい、聞かなくても」
大きな欠伸をしながら城谷君はそう答えた。
「そっか」
思っていたのとまったく同じ返事を聞き、さくら宛をもう一度眺め、
――ありがとう。
「こちらこそありがとう」
強い風が吹いて、わたしの言葉は、隣の城谷君には聞こえなかったようだった。
ただ、肌寒くもやわらかい春の風は、わたしの言葉を蹴散らしたわけではないと思った。
きっと運んでくれた。届けてくれたと。
わたしはそっと、ゆっくり、髪と頬を撫でていく風を感じながら、目を瞑った。
卒業、そして、あともう少し、あとほんの少ししたら、新しい生活が始まる。
*あとがき*
最後までお読みくださり、感謝です。
作者の佐屋彌夜です。
このお話は、私の祖父を想いながら書いたものです。
文章が少しクドいですが、色々と思うところあって、あえて変えないことにしています。
読みづらくて申し訳ないです。
ただ、この時期になると、また祖父と一緒に山へ山菜採りに出かけたくなる作者なのでした。