9_サイコロは振らない?
いわゆる賭け事というものは、人を選ぶ趣味であるのではないかなと思います。負けると熱くなってムキになって勝負を続けたがる性格の人は賭け事に向かないと言われていますが、そもそも賭け事に向いている性格、と呼ばれても嬉しいと思う人は少ないんじゃないでしょうか?
賭け事というものが、悪癖であるという認識が広く市民権を得ているからでしょう。もっとも、賭け事ではないように見せかけて、実は賭け事であるという事例もまた見受けられるので、知らず知らずに賭け事をしていたり、それにはまっているかも知れません。
一度、それは賭け事ではないか?と、その習慣を振り返ってみるのも、良いかも知れません。人生を無駄にしないという目的ためにも。
まあ、もっとも無駄なものほど楽しいという意見もあるわけですが、わかっていてやるので、騙されて、我に返ってがっかりするのでは少々、方向性が違うように思います。
結局は好みの問題にはなるのでしょうが。
さて、賭け事のお話ですが、大別すると二種類あると思うのです。本人の努力が及ぶものと及ばないものという分類です。本人の努力がおよばないという賭け事は、まあ、例えば、サイコロを2個降ってその合計の目が偶数か奇数か予想して賭けるような、結果が偶然にのみ支配される部類ですね。
自分で数を選ぶ宝くじやら、そうでなくて印刷されている記号と数字やらが後に当選番号に選ばれるくじがそうですね。
もう一方は、何か偶然に支配されない勝負を元にした賭け事ですね、チェスとか、囲碁とか、自分で陸上を走って、勝負してもいいですね。
でも、人は偶然に支配されているはずの物を努力によって、当てることができると思い込んだりする事も珍しくないようで。ジンクスによって、運命を支配しようとしたり、よく当たる数字を統計的に導き出したりしたりしています。ちょっと滑稽です。
そうそう、数字を選ぶくじには一応コツが存在するそうで、このくじ、多くある数字のうちいくつかを複数選んで、抽選の結果、その数字の組み合わせがあっていれば、その組み合わせに正解した人たちの人数で当選金額を頭割りにするのです。当然この抽選される数字は完全に均等な確率になっているので、出やすい数字を選ぶということは、ナンセンスなのです。
けれど、他の人間が選ばなそうな数字を選べば、当たった時に、頭割りにする賞金が増えるということになります。あーではその数字とは何か?と言いますと、いろいろ説がありますので、その辺りは各々で調査してみてください。なお調べた結果を賭け事に使用するのは自己責任でお願いいたしますね。
ゴブリン的には、その手のテクニックは、期待値的に誤差の範囲だとは思いますが。知的好奇心を満たすような楽しみにはできるかもしれません。
本人の努力が大きく左右する賭け事ですが、どこかで偶然の要素がさまよいでるがゆえに、賭け事になり得るということは覚えておいたほうが、良いかもしれません。純粋な知力勝負にしても、プレイするものが人間であるなら、体調揺らぎやら、プレッシャーからのミスやら、で結構必ず勝てるという勝負は少ないと思うのです。
イカサマはどうでしょうね?ズルとも言いますが、古今東西欲にまみれた人々は、多種多様な技術を詐術につぎ込んできましたから、本当に欲望というものは、上質な燃料でありますね。その是非についてですが、その時と場合によるのでしょうね、悪辣な連中に鉄槌を下すための、弱者が立ち向かうための詐術、というテーマは古来から、お話として好まれるテーマでありますしね。
一概に否定はしませんが、イカサマなしで遊ぼうと、約束しあったときに使われるのは、いささか困りますね。指摘するべきか、利用するべきか、と迷いますね。
「それで”ご主人様”これで、私、あがりでございますよ?」
「うううう、また負けた」
カモですな。