84_惰性の力。
毎日コツコツと努力するのと、惰性で同じような作業を繰り返すのと、結果的に経験がたまるならば同じようなものではないかな?とかふと思ったのですけれども、結構反論が来そうですね、と同時に想像できました、というのが今日のお話のとっかかりです。
志が違うとか、悪い習慣かどうか、とかそのような差は確かにありそうですね。と、言いますか、惰性で続けると言うのにあまりいいイメージが付随しないわけですし。ただ、3日でやめる聖職者という例えも有りますし、気持ちとか心掛けとかは横に置いておいて毎日続けるというのが、大切なんですよ、という意見もありますね。
簡単な運動とか、体調維持のためのちょっとした工夫とかは、惰性でも続けるのが良いような気がします。全く効果がないのならばともかく。世の中には効果がないどころか、悪影響があるような行為とか行動とかありそうですから、油断はできませんが。少なくとも自分の中ではこれを毎日やっていれば大丈夫なんですよ、という物を持っておくと、ストレスの軽減にはなりそうな気がします。偽薬効果というものですね。
偽薬効果とか、プラシボとか、そのような言葉がありますね。偽物の、害にもならないものを、薬と偽って飲ませても、病気が良くなったようなきがする、という現象でしたか?お薬を開発したりするときに、本当にそのお薬が対象の病気などに効果があるのかを確認するときに、その有効な成分を含まない偽物のお薬を飲ませる集団で、病気が治っちゃったとか、楽になっちゃった、という現象が見られたのが、最初、だったのでしょうかね?詳しくは調べていませんが、予想ではそんな気がいたします。
その後、試験終了後、そのお薬は偽物だったんですよ、と言った瞬間に具合が悪くなったりするんでしょうか?ちょっと、本当のことを伝えるのには躊躇しますね。
惰性ですからやめましょうとか思える時に、それは本当に惰性であるから、止めるのかを確認する必要もあるかもしれません。面倒臭くなったので、とか、コストがかかりすぎるのでとか、他にやりたいことがあったのでとか、辛いのでとか、列挙しているうちに、それなら別に惰性だからということでやめてもいいような気がしてきましたけれど、具体的な原因を探っておくと、今後の活動において参考になる可能性もありそうです、。
逆に惰性でもこれは続けていいかな?とか思う時はどうでしょうね?それほど手間ではないですし、少しスッキリしますから、続けるとかですか。毎朝起きて顔を洗うという行為も惰性なのでしょうかね?
惰性と思った時というのは、その行為に意味が見出せなくなってきた、その最初だったりするサインかもしれませんね。ストレス軽減の度合いが下がってきているという風にも捉えられます。
精神的な、ストレス軽減効果が無くなっても、感じられないところで肉体とかの調子を整えていたりすることもありそうですね。意味がないので止めました、ら、なんだか体の調子が悪いのです、とか、事例は身近にありそうです。
喫煙とか飲酒とか、あまり惰性でするのはどうか?という習慣もありますね、それぞれに体にダメージがあることは、周知の事実ですから、どうせするなら惰性ではなくて十分に充実して楽しんだ方が良いような気がします。すっぱりやめるのも手ですけれども、なかなか難しいらしいですね。
どちらにせよ、惰性かどうかではなくて、それがどれだけの効果があるのかどうかで考えた方がいいのかもしれませんね。少しやめてみる、長くやめてみる、ちょっと方法を変えてみる、大きく方法を変えてみる、見方を変えてみるなど、工夫をして、自分にあったものを見つける、のもやはり大切なのではないかな、と想像するのです。
惰性か不断の努力かは、結構心持ち次第ですし、惰性の方が楽ではあるのですから、結果が同じなら惰性の方が優秀なのかもしれませんね。
「今日の告白も流されました」
「いつものやつですね、と分類されてますよ”ご主人様”」




