83_手綱を握る先が大切。
理性が手綱とか、本能を従わせてくださいとか、その手のシュチュエーションは、架空の物語にも現実にも結構登場するセリフではないでしょうか?それほど、問題になりそうにない解決策のようにも見えますが、冷静に、冷徹に理性が、どこか明後日の方向へと向いていると、なんともはや、悲劇になるようなもので。
この場合は、常識のズレがあるのでしょうね、理性というものは、結局学習やら、その人格が形成された社会やら生活空間の空気みたいなものから作られる、結構あやふやで、ぼんやりしたものではないかなとか想像するのです。
時間をかけて、対応表とか作って、行動の指針を立てれば、まあ結構客観的に見られる手綱として使用出来る理性になるような気がしますが、基本その場その場の対応で、その時にとっさに判断することを理性とか言っているだけのことも多いような気がします。
どこかで、耳にしましたが、熟考した結果こうした。のこうした行動指針が残念なものになっているというギャグのようなエピソードがありますね。考えた上で思考放棄とかでしょうか?自身の能力以上の情報が入ってきたので、匙をなげるとか、下っ端気質の性格にはありそうですね。
逆にこれは私が判断してはいけないや、とかいう、決断ができるだけ頭がいいとも言えますが、それでも、その後に同じようなことが起こった場合に、スムーズに対応できるくらいの学習は心掛けるべきではありますね。
そこも放棄してしまったら、あなたの頭は帽子を載せることのできる程度の物ですか?と揶揄されること請け合いかと、思います。どこまで躾るのかで対象に向ける愛の過多がわかるとも言えますね。とにかく、報告を上げてくれるだけで満足というか、それ以上の行動は期待していないという部類の部下というか、そういう下部の個性というのも、一定数認めるリーダーが存在するのは、まあ、想像の範囲内なのですが、全員が全員そういう部下だと、集団を統率するのは、すごく疲れるだろうなと、思います。
根本的な価値観が違うものが、本能の手綱を握っていると、これはこれで、怖いものですね。一見冷静で、感情的でなく論理的に動いているように見えると、なおさらです。安心して任せていると、致命的な点で思ったのと違う結果を導きだしてしまうわけですね。
そのことを念頭に置いて起用していたなら、よろしいのですが、そのあたり、よく似ているのだけど何か決定的に違う価値観で動いている、ことに気がつかない、この場合双方で気がついていないと、思った以上に酷いダメージを受けることになりそうですね、とこれまた予想するわけです。
同じ現象を見ているのに導きだす結論が違うわけですね。そこのところは、仕事を一緒にする前にすり合わせていくべきだとは思うのですが、問題は、どこが致命的に違うのか、判明するのに時間がかかるということだと予想するのです。
お互いに常識であろうと思っている内容が違うのですね。例えば、色の概念が違うとか、でしょうか?一方の赤は他方の青であったとか。これはまあ極端な例ですけれど。
前に聞いた話では、単位の解釈に齟齬があって、機械製作とか容量の計算とかがずれて大きなトラブルになったとかが、ありそうな例でしょうか?インチとセンチの聞き間違いでしたかね?表記ミスでしたかね?ほとんど都市伝説レベルのような気がしますが、現実に起こっていた間違いだそうですよ。
回避するためには、仕事を細かく区切ることでしょうね。ユニット化とかいうのでしょうか?一息に全て流していくのではなくて、一つ一つ確認をしていきながら進めるやり方です。もちんそのユニットごとにこれは間違えてはいけないという制約やら約束事やらを決めるのです、逆ですね、その同じ決まりに縛られるものをユニットとして分離するのですね、そこで、前提条件を確認し合うのです。同じ文化圏でも安心するのは早計ですよ、どこにもハウスルールというのはあるのです。
最初に基本ルールを調べて、明記することが、結局早道なのでしょうね。と予想しますし、現場ではすでにやっている技術ではないかな?と予想しています。
「睡眠薬入りのカクテルは基本ですよね?」
「アウトですよ”ご主人様”」




