76_札束で時の頬を叩く。
お金で買えるなら、時間は買うべきではないでしょうか?という冒頭のつかみで、話題を展開していこうと試みる、今日のゴブリンでございます。
人の一生が80年ほどだとして、日数に直すと、365×80=29200で、3万日を切るわけですね。物心がつくのが、まあ5歳くらいだとすると、記憶として明確に残るのは、365×5=1825日なので、ざっくり2千日ほど除いて、2万8千日くらいでしょうか?一日の3分の1を寝ているとすると、意識があるのは、トータルで2万日くらいでしょうかね?そのうち、肉体を健康にある程度維持するため、とか、経済的に自立するためとか、生きるためのの知識を得など、生活を続けていくためのコストを支払うために消費する時間が、そうですね、さらに3分の1ほど、必要であるとすると、正味自分の自由にできる余暇という時間は1万日を少し越えるか、多く見積もっても、1万5千日くらでしょうか?
人間関係とか、肉親親族のおつきあいとか、家族のための時間とか、その他もろもろが、さらに時間的コストとして、差っ引かれるとして、そうですね、おおよそ波があるでしょうし、個人差があるでしょうが、ざっくりと12分の1くらい?と考えると、残った日数はおよそ、多く見ても1万3千日くらいで、少なく見積もると、1万日を切るくらいですね。
例えば、100日ほどで、一応満足できる、趣味の作品やがあるとして、そのペースで一生涯に完成させられる数は100個ほど、と置き換えると、なんとも少ない気がしますね。10日かかる趣味でも千個ほどですか。個人のコレクションとしては、そこそこの数かもしれません。
5、6歳から始めその程度ということですから、ある一定の技量に達してから、満足のいくようなものを作り出そうととか、何らかの目標をクリアしようとか、考えると、さらに作品の完成数は少なくなるわけですね。
各種ゲームとかもそうですね、一通り、コンピュータゲームとかでクリアするのに、ライトなもので寄り道をしなければまあ、1日、余裕を持って2日かかる、つまり48時間消費するわけですが、として、5歳じから余暇を全てゲームに注ぎ込んでも、500タイトルくらいしか、亡くなるまでにクリアできないわけですね。それが多く感じられるか、少なく感じられるかは、個人の物差しによるわけですが。
ちょっとやりこむ(200時間越えとか?)と、生涯100タイトルくらいしかゲームがクリアできないことになりますね。
小説を読むのもそうですね、ちょっと早く読んでも、1日だと、12冊くらいでしょうか?速読とかできる人はもっと多そうですね、でも生涯で12万冊くらいの単行本を読むのが限界、ではないかな?と思うのです。
こうして、時間とか、日数とかにして、表してみると、こう、追い込まれたような感覚になる方も多いような気がいたします。ここで、ああ、時間は無駄にはできないな、できるだけ効率よく動いて、趣味の時間を増やそう、楽しみの時間を増やそう、と思う方も多いような気がいたしますし、時間の節約術というものは、結構古くから各方面で言われてきていますので、今更な感じかいたしますね。
また一方で、なんでもないような、何もない1日の重要性が増したと考える人もいるかもしれませんね。1日贅沢に何もしないという選択で、過ごしたと、貴重な10000分の1を、無駄遣いするという行為に、何とも言えない満足感を感じる人ですね。
人間、無駄遣いをしてストレス解消をしている方もいるわけでして、時間の無駄遣いを快感に変える方も一定数存在すると、想像するのです。
もっとも、その急速やら、遠回りやらが、却って新しい何かを生み出したりもするので、本当に無駄なのかな?という疑問は常に付きまとうわけなのではありますが。
基本的には、ダラダラするよりは、やることを先にやって、余裕のある時間を確保するのが、やはりよろしいのではないかな?とは思います。何が起こるかわかりませんし、いつ終わるかもわかりませんでしょう、人生というものは、なのです。
「もう、一日中彼を追いかけてみたいです」
「まだやっていないことに驚きです”ご主人様”」




