74_紋切ろう。
紋切り型とか、決まりきったパターンで進めることです。創作ではオリジナティが損なわれると嫌われている、印象があります。例えば、テンプレートとか言われる展開ですね。
もっとも物語の展開というもので、受けてが心地よく楽しめるものは、だいたい似たり寄ったりになる傾向がありますね。
主体となる人格が、導き手や協力者の助けを得て、障害を乗り越えて、目的を果たす、この場合はハッピーエンドですね、最後に目標を果たせなくて終わるなら悲劇というジャンルになります。目的の達成方法によっては、成功しても悲劇になることもありますね、自己犠牲で終わるお話とかそうですね。
だいたいの物語は、そのような展開に集約できるようですね。逆にこの大筋の展開に沿わないでお話を作るとなる、とするなら、ちょっと想像してみましょうか?
まず主体がいない。物語の中心となる人物がいないコンテンツですね。群像劇とかが想像できますが、あれは主体が数多く存在して、視点を変えてお話が進んでいるので、ちょっと違いますね。淡々と風景を描写していく方法とかがありそうです。誰の視点でもなく、四季を綴っていくような展開が期待できます。詩とよばれるコンテンツに近くなりそうです。環境映像というジャンルでもありそうです、ただ延々と定点カメラで風景を記録していくわけです。物語は勝手に受けてが作るタイプですね。どこかにすでにありそうです。
大衆小説としての娯楽という面ではちょっと難しそうではありますね。
何も問題なく目標にたどり着くのはどうでしょうか?達成しなければならない課題が提示された瞬間に、それは解決されてしまうわけですね。ある意味痛快ではあるかもしれませんね。全知全能の主体が、その権能を余すことなく使用して、むしろ余裕綽々で、瞬く間に事件を解決していくさまを描く物語は結構ありそうです。その活躍を描写していくだけで面白そうな物語になる、という手法は確かにありますね。
その問題すらなくて、何も事件が起こらないお話とかはどうでしょう?これはこれで、何気ない日常を緩やかに描写するという物語の形態がすでにありますね。ただ、この場合は何気ない日常を過ごすという、幸せな空気を作るという目標に向かっているという風にも捉えることができますので、事件を起こさないことが、障害になっている、とも言えますね。
この場合は、コンテンツの受け手と共感を得る方向に舵を切っている、のでしょうかね?日常の描写を繰り返すことで、なるほど、ちょっと視線を変えると世界は美しいのだなあ、というような、気づきを得ることができる、快感を提供している、のかもしれませんね。
可愛いもの、しぐさを見て、なんだか和みますね、という気持ちを伝えたい、共感によって、幸せな気分を味合わせたい、という、作り手側の戦略があるのでしょうか?この場合は、物語の中で、主体が達成する目標が明確ではなく、どれだけ、受け手を和ませることができるか?共感とともに、幸せと感じさせることができるか?といったものが、目標になっている、のでしょうね。
確かに、これはこれで、市民権を得ている、コンテンツの有り様だと思います。
この場合だと、物語の主体は、必ずしも明確な目標に到達しなくても良いということになりますね。もっとも、小さな目標とかを細かく達成していく姿は描かれるとは思いますが、何か得る、どこかに到達する、それで嬉しく思うという、幸せの提示をして、共感からのおかしみを伝えるような手法があるからと、予想するわけです。
たまに日常系の物語から、劇的な展開に、というコンテンツもありますね。うまく構成すれば、楽しいものにはなりそうですが、前のノリが良かったと言う意見は一定数出てくることはさけられないでしょう。
落ちのないコンテンツ、投げっ放しな展開ですね。よく週刊連載漫画などで、次回作をご期待くださいとか、すごい場面で終わらせるコンテンツもありますが、あれはあれで、様式美のような文化が作られてきているような気がいたします。すべてそれでは、つまらないですが、たまにならスパイスとしてよろしいのではないでしょうか?
「シナリオで想定していなかった展開に陥り、焦りました」
「アドリブには弱いのですね”ご主人様”」




