7_怖いものが見たい?
ホラー、つまりは恐怖を主題にした、コンテンツはいつの世でも一定の需要があるようです。これは、好みではない方にとっては、全くもって理解できない趣味であるとか言われる類の、楽しみであろうかとは思われます。
もっとも、他人に理解できな趣味というものは、世の中にごまんとあるわけではありまして、それら特殊なものに比べると、商業圏が確立されている、いわゆる恐怖もの、のジャンルはそれほどマイナなものではないのかもしれませんが。
怖いものが好き、ということはどうゆうことなんでしょうかね?ちょっと思いついたことなんですが、それはやはり未知のものを既知のものにしたいという欲求によるのではないかな?ということなんです。
こう、記憶が連続してあり、過去の事例とかから未来を予測できる生き物は、その経験から危険を回避するという生き方を知っているのだと思うのですよ。それでですね、ですから、安全を得るために多くの経験を欲しているわけです。
暗闇、つまりは、はっきりとは感知できない領域、に、潜む何か、の正体を知っていれば、対処できるかもしれないじゃないか、という発想が、そもそもの始まりではなかったかな?と。
何かしらない”もの”が身に迫ってくるとか、僅かに覗けるとかという状況から、こう、それを知らなければならない、いいえ、知りたいという欲求に突き動かされるわけです。
そして、こう正解を提示されます、こういきなり目の前にとか、心理的な空白を突いて、感情を揺れ動かすような演出で。
そうすると、その瞬間情動が激しく反応するわけですよね、こう、血流がぎゅうと大量に体のうちを駆け巡ったり、目の奥がチカチカと光ようになってくらんでみたり、金切り声やら押し殺したやらの悲鳴がどこからか聞こえて来ると思ったら、放っていたのは自分であったと気がついたり、そうゆう、自分では制御できないような、体験。
それを知りたいという欲求が恐怖体験をしたいという気持ちのルーツとなったのではないか?と想像するわけです。
私、妖精ゴブリンは、そういう感情が薄いのですが、確かに、好奇心という点では恐怖映画など、この先どうなるのだろう?という楽しみ方ができるような気がします。
もしくは、単純に怖いということではなくて、生き死にに関わる興味から、ホラーを楽しむとか、注目する人格もあるのかもしれませんね。
人の生が終了したのち、その人格はどこに行くのか?消え去るのか、他の我々が認識できない所へと旅立つのか?それとも、そっと世界に寄り添っているのだけれども、誰も見ることができないのであろうか、とか。
それら、いわゆるそばにいる、霊、という存在が、もしかしたらば自分もそうなってしまうのではないか?という無駄に高い想像力の方向性ゆえに、共感というパターンから、気になって、見てしまうのでは、という推測もできるわけですね。ホラー好きという感情の分析では。
幽霊に関しては、目に見えない何かが、そばにいると想像する気持ち悪さが、好きでるとか、いると確信した瞬間の身の震えがたまらないとあいう、趣もまたあるのかもしれませんけど、ちょっとなかなか想像しがたいですね。
むしろ、そういう状況が楽しむことができる人間が、いるということがホラー的展開なのかもしれません。
怪物とか幽霊とか色々出てきて恐怖したけど、結局の所一番怖いのは人間だったみたいなオチが、よくある所以ですね。
「という前提がありまして、一言”ご主人様”にご報告が」
「?」
「”黒い悪魔”をキッチンにて発見しましたが、取り逃がしました」
「そういう恐怖は入りません」
駆除剤を買ってきます。