63_失敗作は可愛い。
何かを作り上げた時とか、ちょっとした間違いで対人関係がまずいことになったとか、そんな時、客観的に見ると、何だかおかしみやら、可愛さを感じませんか?という感覚のお話です。
こう、陶芸家のキャラクター付けやら、ラベルとかで、釜から焼きあがった中の失敗作を、地面に叩きつけて割ってしまうとか、いう描写がありますよね?実際に見たことはないのですが、気難しさとか、職人気質とかの記号として、あるような気がいたします。
どこかで読んだ記述ですが、有名な作家さんが、失敗作をその場で割ってしまうのは、そのままの形で廃棄すると、拾われて、転売される恐れがあるからだそうですね、なるほど確かに結構納得するようなお話ではあります。
そこからの連想なのですが、その破片を幾つか袋詰めにして売り出してみるのはどうですかね?完成品はとても庶民には手のとどかないお値段でも、このような破片ならお安く、リーズナブルに購入することができますよ?あなたも、かの有名な、陶芸家作品の息遣いを、ご家庭に!とか、コピーライトをうって、商売にしてみるのです。
わけあり商品ですね、割れせんべいのようなものです、ものが瓦なら、シャレも効いて面白いかもしれませんし、うまく良い袋に当たったら、継いで使用可能になるかもしれませんよ、と、くじ引き要素も組み入れてみるわけです。
問題は、そんな売り方に同意してくれうような、高名な陶芸家が存在するかどうか?ということですが、意外にお茶目なご老人とかいそうなきがするのですけど、いかがなものでしょうか?おそらくは当人は乗り気でも、周囲の方々が止めそうな気がいたしますね、作家の価値とかが落ちるとかいうんでしょうね?予想にすぎませんが。
斬新で複雑なトリックを考えて、推理小説を書き上げてみたら、実は根本のところで設定ミスが見つかってしまって、しかも、発見されたのは商品として流通したのち、読者からの指摘で、とか現実でありそうなシュチュエーションですが、そんな時は、もう笑ってしまうしかないのでしょうね。修正して発表し直すなんて、できる状態ではないように思います。とすると、そういう間抜けな作品を書いてしまいました、ってちょっと笑ってネタにするくらい図太い方がよろしいのでしょうね。
だいたい、一人で書いて、一人で商業ベースに乗せたのなら、まあ、自分しか責める相手がいないので落ち込むかもしれませんが、他の人たちの推敲やら、添削やらを受けたのちの結果なら、責任も分散されるというか、おい、誰か気づけよな!的な笑い話にできるのでしょうね。
人権問題に関わるようなミスだと、回収騒ぎになりそうですが、はい、そうです、私が世間を騒がせた、なになにです、みたいな開き直りで、名前を売るチャンスとか思う人もいるのでしょうね。反省が足りないという意見も突き刺さりそうですが、やってしまったものは、しょうがないので、前向きに生きていきます、とか言うと、反論も少なくなるかも知れません。
失敗を繰り返してしまうキャラクターは、それが定番化すればするほど、愛されるキャラクターになる傾向が高いように思います。逆ですかね?何度も失敗するけれども、何回も出演するキャラクターは魅力的でなければならない、のでしょうか?
たまに、活躍するけれど、おおよそ失敗する、けれど、失敗の原因が毎度毎度バカバカしかったり、人間的な弱さであったりして、共感を呼ぶような、そんなキャラクターは確かに愛される人格ではありますね。
私がしっかりしないと、という感じで、庇護欲をそそるというパターンもありそうです。
ある日突然、消えていなくなってしまう可能性もありますので、そのような、愉快な失敗をする存在は、優しく保護しつつ、観察をしていくのが様式美なのかも知れません。自分に降りかかる少々の不利益は、楽しませてくれたお礼ということで、大目に見てあげることも、優しさなんでしょうね?
その人物の成長は助けてあげない点で、結構、冷酷なのかもしれませんが。
「大丈夫ですよ、まだ法には触れていません」
「かいくぐっているの間違いでは?”ご主人様”」




