6_集まれば割れる。
1人より2人、2人より3人、10人より100人、とにかく、人が増えると、できることが増えるというのは世の理屈であります。それでは、際限なく人を増やせば、それだけとてつもないことができたり、物事が効率よく行くのではないでしょうか?
とか思うわけなのですが、世の中をみてみるとそうゆう単純なものではないようでして。
例えば、同じ作業をするにしても、個々に離れて作業するよりは、多くのものを一遍にまとめて作った方が効率が良いということは実際に起こっている歴史なわけなのです。職人が個人の工房で商品を作るよりも、工場などで大掛かりなオートメーションを駆使して、大量に作った方がコストも安いし、安定して一定の製品を作るとこができるわけです。
人々もできるだけ大きくまとまった方が、色々社会的な効率が良くなるはずなのですが、そのまま簡単にはいかないわけがありまして。
それだけ参加する多くの人間、全てに対して等しく利益の成果が得られるか?という問題が常に付きまとうのですね。また、人間、”楽”をしたい生き物らしいですから、とかく自分のパートでは手を抜きたがる、という人も中にはいるのだと推測できますね。と、するとそうやって楽をしている人々に対して真面目にやっている”我々”が損をしていると、気分を悪くする人が出てくるようです。
また、さらにはこの”楽”をしている人ですが、単純に仕事をしない人もいれば、仕事をしているように見せかけていて実は仕事をしていない人、とか、色々工夫をして少ない仕事量でも、他の忙しくしている人と同じほどの成果を上げている人など色々といるというのも、問題が複雑になってくる原因の一つでしょうね。
見た目、同じようにサボっているように見える人でもその内容は違うわけでしょうね。また忙しくしているようで仕事の内容が無い方は、さらに難しいですね。
何がというと、正当な評価をするということがです。これは、相当うまくやらなければ、そのシステムの中で不平不満がたまっていくことになりかねないと予想できますね。
それとは別に、仕事の内容的には問題がなかっても、周囲に不平不満を常に振りまいているとか、その人物の社会的背景における負の遺産、例えば、ご先祖さまからの因縁とか?などによって、どうにも仲良くできないう状況もあるでしょうね。
または、主に生活スタイルなどや文化的な差異が気になって、こう、人間関係がギクシャクするとか、大きな集団になったらば、これも結構ありそうですね。
そうすると、やはり効率的に仕事をするにはそういう文化的背景などのストレスが少ないチームに分けてしまった方がいいんじゃないか?という意見が出てくるのでしょうね。
そして、実際に分裂をしてしまう、というのが、成り行きなのでしょうかね?
まあ、分裂するのが一概に悪いことであるとは言えないわけです。とどのつまり、コストに見合うリターンが期待できるかどうか?ということですから。感情論のみで分裂したとしても、気持ち良く仕事ができるという要素は、間違いなく良いリターン、つまりは利益であるでしょう、それも結構強い動因となると思うのですよ。
ただ、少し思うのは、結局のところ、わずかな差異が気になって、大きな成果を得る機会を失っているのではないでしょうか?という、ちょっとしたもったいなさでしょうか?
人間、それほど生物学的に、大きな差異もない生き物であるのに、それでも、完全に一つの意思もとで集団となれないのは、まあ、そういう生き物なのであろうかなと思います。
もしくは、1つに大きくまとまると、生物的に弱くなるからこそ、集まっては分裂するということを繰り返しているのでしょうかね?
「というわけで、カレーを大きな鍋で作って見ました、”ご主人様”」
「いやまあ、効率的ではあるでしょうけど、飽きませんか?」
冷凍保存しておきましょう。