59_眠くなってきたよ。
誰にアピールしているのでしょうかね?独り言でいうにはちょっとよく分からない感じがないでもありませんが、私今とても眠いのですよ、と言う状況を周囲に宣言する必要性があるのでしょうね。
あくびが出るようだよ、とか、眠いですね、とかは、敵対する相手の攻撃に対する余裕の表れという意味で使用されることもあるようですね、私すごく強いんですよ、圧倒してますよ、という記号的な表現ですね、そこで本当に寝てしまうという、コメディー的展開を行っている、コンテンツも少し見かけたことがあります。
その逆にそれが張ったりだったり、ただ単に本当に眠たかっただけ、という展開もまたあったような記憶があります、ただ本当に眠いだけなのを、勝手に深読みされて、恐れおののくという、感じでしたでしょうか?勘違い系のコメディにはありがちな展開だと思います。
もともとは退屈で、単調な行為、つまらない、という感情を表す表現だったんでしょうかね?確かに、聞いておかなければならないのはわかっているのだけれども、どうしようもなく眠くなってしまう授業というのは、想像できそうです。
本当に眠ってしまうと、いろいろ聞き逃したりして問題なのはわかっているのに、どうしても眠気が襲い掛かってきてしまうような。そんなシュチュエーションは学園をテーマにしたコンテンツでは定番に見受けられます。
眠気を誘発する精霊とか妖精とかが、睡眠誘導実習とか、試験とかで、ある特定の学校のクラスを全員眠らせなければならないとかいう、ネタがありましたね。そんな妖精に知り合いはいないのですが、本当にいるなら、迷惑を感じているかもしれませんね。いいえむしろ、そんな原因があるなら仕方ないなーと、それを言い訳にして眠ってしまうかもしれません。教師側も眠ってしまうのなら、平和な一コマということになるでしょうが、予定が未消化になってしまうと、困るのは生徒側でしょうか?
有名な絵の前で、犬に向かって眠くなってきたことを提示する作品もありましたね。その部分だけがクローズアップされて、ええと、全体の筋はどんなお話でしたっけ?という感想を持っている方もいるかもしれません。
有名なお話ではあるようですが、最近ではどうなんでしょうね?悲劇的な、努力が報われずに終わるお話は、あまり子供に読ませるべきではないとか、いう風潮があるのでしょうか?あるとしたら、そのてのお話は徐々に消えていきそうですね。
そういう悲劇を読ませて、いろいろ考えさせるべきである、という意見もまたありそうですね、もしかしたらそういう不幸があるかもしれない、では貴方はどうしますか?とか、反面教師的な教訓として使用するかもしれませんね。ちょっと即物的過ぎるでしょうか?
もしくは、思うようにいかない現実、この場合はフィクションですが、それに相対する時に、どのように対処すれば良いのか?めでたしめでたしで終わらない物語だからこそ、いろいろと考えさせられるのですよ?という展開で、接して見させるというのもあるかもしれませんね。
作者は、別に深く考えなくて、悲しい終わり方をする物語の方が、印象に残りやすくて、リアルで文学的で、読者に受ける、つまりは、有名になって、本が多く読まれて、儲かるから、と、いう発想だったのかもしれませんね。明言する方は少なそうですが、逆に泣ける話を書いてみました、売れそうだから、という身も蓋もない商売をする、方々も一定数いそうです。
泣くのは体にいいらしいとも言いますね。感情をふりきらせるのがいいのかもしれません。涙を流すのが、単純に目に良いという、理屈かもしれませんが。
目薬でもさせばいいんじゃないですかね?
眠くなってあくびをしても、涙は出てきますけども、別に悲しくなんかないんだからね、あくびしただけだぞ、とか強がる少女とか少年とか、いかついおじさんとか、好みですか?
「ストロー舐めてもいいかな?」
「ちょっと涙が出てきそうですね」




