57_昨日は明日。
タイムマシンとか、時間跳躍とか、ループして少しずつ物語が進んで行くようなフィクションがありますよね?今回はそんなお話です。
あの時こうしていれば、とか、もしこれがなかったら?逆に、この時これがあれば?とか、イフとかもしも?とか思うのは、結構楽しそうだと思うのです。過去を振り返り、後悔しているので、とても悩みながら、その気持ちを昇華させるために、いろいろと考えて見るとか、動機が少し後ろ向きであはあるかもしれませんが。後ろ向きで何が悪いんですかね?過去を振り返り、検証しなければ、より良い未来は訪れないのです、という意見も多そうです。
何も過去から学ばずに、同じようなミスを繰り返すのが、人間なんですよ、という達観した意見もありそうですが、それは、修正した方が良いように思うのでけど、どうなんでしょうね?
毎回毎回新鮮な毎日を送ることができるのは、もしかすると幸せなのかもしれませんが、そういえば、長期の記憶ができなという設定の物語とかありましたね。フィクションでなくて、現実にもそういう方がいると聞いたこともありますが、ええと、記憶が日をまたいで存在できないとか、そんな感じですかね?
もの忘れというレベルでは、実はそれほど余人と大差ないような気がいたしますし、記憶とか判断とかなくて、周囲の状況から自動的に対話とか、人間関係を構築しているような、もしくは脊髄反射で生きているような方も多いように見受けられます。
それと、記憶が維持できない方と、結果がそれほど変わらないのに、結構社会が回っているというとこに、この世の中のシステムはかなり強靭なのかもしれないなとか思ったりもするのです。
時間がどうとか、巻き戻してもう一度同じところから再スタートを切るような物語ですが、その前に行われていて、物語の語り手が、離れてしまっていた場面とか時間の流れとか、どうなっているのでしょうか?という疑問が、当然起こるわけですね。基本的には、もう物語では語られていないけれども、その時間空間軸のお話はそのまま続いていて、ただ、描写されていないだけということになっているようです。
なかなか、物悲しいような、趣があるような設定ですね。基本的に語られなくなった時間空間軸の物語は悲劇であることが多いのですから、このようなループものやら、時間跳躍ものやらの物語は悲劇を量産していくシステムになるわけですよね。
一つのハッピーエンドを迎えるまでに、無数の悲劇を生み出すというシステムと、そのシステムの根幹を成す主人公というのは、良く考えるまでもなく、はた迷惑な存在である、と断言する人もいそうですし、そんな存在を否定するために、狩るような、立場の者が、出てくるお話もありそうです。
君が生きて、幸せになろうとするたびに、悲劇が生まれるのだよ、だから君には消えてもらう、とか、存在しなかったことになってもらおうとか、基本的な落ちとか、ドラマを盛り上げるスパイスになりそうですし、結構お話のテンプレートになってそうです。
それに反論する形で、不幸だけではなくて幸せな瞬間もまた、作り出してくれたんだよ、と悲劇側のヒロイン枠から言われて、号泣するとか、もセットでありそうです。
例えばですね、こう、お話がループしているもので、徐々に選択しを変えて生きながら、良い終わりを目指すスタイルで、登場人物が全てループしていることを知っていたというのはどうでしょうかね?それこそ、ただの通行人という立場でしか語られていなかった人さえ、知っているのです。
それで、物語が破綻しないのは、皆さん、空気を読んでいるから、というのはどうでしょう?
あーまたループしてるなー、でも、それを騒いじゃいうと、いろいろ面倒くさいから、流していくかー、ついでだから、読みかけの本続き読んじゃおうかなー、とか、各々、ループしている現実に対応して、うまく齟齬ないように、かつその状況を有利に活用している、とか、どうでしょうね?
で、最後に主人公がそれを知って、力なく笑うとか、絶叫するとか、あれ?どうしたんでしょうね、ホラーテイストになってしまいました。どちらかというとコメディより方思っていたんですがね?
「好きな人ができました!」
「あれ、ループしましたか?”ご主人様”」




