550_笑のつぼを購入いたしませんか幸せになりますか。
漫才や漫談や落語や、滑稽な芝居やら、いろいろなエンターテーメントがございますが、どのあたりのもので笑を得られるのかというのは、受けてそれぞれの完成とかの問題であるようでございまして、万人に認められるようなものは、これは少ないのでございましょうね、とかぼんやりと考えながら、始まる今日のゴブリンでございます。
笑うことができる、その対象とか環境とか、状況とかこれは結構千差万別でありますが、一方での笑いの種が、もう一方での悲しみのそれになることはそれほど珍しくないわけでございましょうし、全く関係ない第三者が見て笑うことができる流れが、当事者にはそれどころではないということもこれはまた多いように観察されるわけでございます。
逆に笑うしかないというような状況に追い込まれてしまう方々もこれはまあ、確実に存在しているわけでございまして、このようなときに笑うとは何事かと叱ってあげる前に、ああなるほど、もう笑うしかないのでございますねと、憐憫のお気持ちで優しく接してあげる寛容さも人生には必要になるのではなかろかとか、邪推する次第でございます。
マルチ商法的な笑の連鎖とかどうでございましょうか、こう、知り合いに笑を提供していくと、その何分1くらいの比例で、提供した方に、報酬が支払われるわけでございます、こう、もちろん笑いで支払われるわけでございまして、単位はwとかシャレが効いていていいのではないでしょうか、子を笑わせれば笑わせるほど、親が大笑できるような仕組みとか、いかがなものでしょうか。
人口的な数の制約から、どこかで破綻することは確実ではなかろうかと言われてたマルチ商法でございますが、笑という結構な資源しかも、再利用可能なそれを潤沢に供給することができるわけでございますから、結構な時間人々を潤わせることができるのではなかろうかとか想像するわけでございます。無限に近いリソースから汲み出されるマルチ商法による笑の提供とか、いっそ狂気じみているような気も致しますが。
笑う門には福来るとかおっしゃる方もおられますので、少し欲を刺激した笑の供給によって、皆さん幸せになることは、これは間違いなく幸福の多数決として成功する例であるような気がするわけでございます、システムを起動に乗せることが難しそうでございますし、豊かになるのは気持ちとか心持ちとか、雰囲気とか概念でございますので、そこに価値を見出せるようにする環境作りがちょっと難しそうでございます。
笑わせたらば、その笑が、幾らかの割合で帰ってきて、自身も幸せになるという仕組みでございますが、それほど目新しいものではございせんで、情けは人の為ならずとかいうような古い言い回しもございますが、人を愉快にさせよう、楽しませようという気持ちは、回り回って自分も楽しくなるのでございます、という事例はそれほど珍しくないように思えるわけでございます。
もっとも、目の前に笑ってくれている、楽しそうな人を見ることで幸せになるというような人種にとってしてみると、回り回ってというような悠長なものではございませんで、幸せの即応返しとか、打てば響くような、テンポの良い利回りの良い投資であるように見えるとも言えそうでございまして、なるほど、演芸を志す方々が絶えないわけでございますねとか、まあ、物理的におひねりが飛んでくる、経済的に豊かになるという欲もありそうではございますが、そこはそれで、霞を食べて生きているわけでもないのですよ、とか露悪的に笑う方々も、これはこれで魅力的ではなかろうかとか想像する次第でございます。
感情の揺らぎとか、高まりとか、それに身を委ねて、自分自身を高揚させて楽しむようなそのような笑を渇望している方々がやはりおられるのでございましょうねと、洗練されていなくとも場を盛り上げることのできるような人々が存在して、皆が楽しめるというのは、理性的なだけでは生きていけない人間の愛すべき弱みである、とも言えるのでしょうね。ああ、愛おしい愛おしいといと、やりを投げて、おしまいです。
「宗教的な概念もマルチ的な商法を取り入れているわけです」
「あれは怖いですね。いつの間にかひきこまれているんですよ」
「すべてに行き渡っても問題ないのが宗教ですからな”旦那様” そうでした意外と脇が甘いのでございましたね”奥様”」




