546_時間を忘れる時は空間もセットでいかがですか。
空間においての変化することで時間を認識しているのであるならば、空間も同じく忘却の彼方へと送らなければ、真に時間を忘れることにはならないのではなかろうかとか、少なくとも空間を認識しなくなっているくらいにならないと時間を忘れるとは言わないのではなかろうかとか想像するわけでございますが、実はしっかり忘れているのであるけれどもそれに気がついていないだけではなかろうかとも予想するところから始まる今日のゴブリンでございます。
忘れるということはどうであるのかというと、それを意識しないということであるのではとか予想するわけでございます、基本人間は何かを忘れていく生き物であるようでございますので、記憶からだんだんと消えていくということはそれほど珍しい現象ではないわけでございまして、忘れるからストレスが軽減されていくわけでございます。基本何らかのミスはこれは活動している限りやるわけでございまして、それをいつまでも鮮明に覚えているということは、これは、あまり精神衛生上よろしくないわけでございますから、忘れようとするのは自然でございましょう。
ただし、まるまる忘れてしまうのであると、これは学習ができないわけでございまして、同じようなミスをまた繰り返すようになる可能性もあるわけでございます、この辺りは兼ね合いでございまして、その時の失敗やらから感じてしまう負の感情だけを切り離して忘れてしまって、手順とかノウハウはきちんと学習していくようにできるように、切り分けでしまって記憶を選択しておくわけでございます。
もっとも連続した運動やら、連想によって記憶していくこともあるわけでございまして、結構な割合でその時に感じていた気持ちもまた合わせて思い出すことになりまして、そこでその当時の行動から受けるストレスを追体験してしまったりするわけでございます。それが快楽に近いものでありましたら、反芻することにそれほど問題はないように見受けられるわけでございますが、害悪に近いような、苦しみに近い感情を導き出すものであるとこれはもう、途端に解決すべきもの、克服すべき現象になってしまうわけでございます。
これを防ぐためには、その現象とそれから導かれる感情とかのストレスを客観視して切り分けるような技術が必要になるわけでございまして、つまるところ、それを記憶して追体験している主体を見ている客体を自身のうちに作り上げるわけでございます、何を人ごとのように言っているのですか、と呼ばれるくらいの言動をするように心がけるわけるのがよろしいのでは、と想像するわけでございます。
痛みとか苦しみとか負のセンサ値だけではなくて、楽しい、気持ちいいという正方向のものも客観的に見れるようにするわけでございまして、熱狂しないか、もしくは、完全にすべてそれに費やさないで、どこか冷静に観察できるセンサを確保しておくべきでございましょう。そうすることで、過度のストレスから肉体を守るようにするわけでございます。
心もまた肉体のうちでございますので、思考やら精神というものは、結局の所、脳みその働きに過ぎないわけでございまして、精神世界は物理的なものであるわけであるという至極まっとうな意識を忘れてはいけないわけでございます。つまるところある程度物理的に制御できるわけでございまして、具体的には五感でございましょうか、それをある一定のスイッチにすることで、思考を制御して落ち着いたり、その逆になったり、振れ幅をコントロールしたりできそうである、と予想するわけでございます。
つまりは環境を整えたり、乱したり、入力のパラメタを操作することで、記憶やら印象やらを、取捨選択できるのではなかろうかとか、少なくともそれの手助けをすることができるのであろうかなとか、ぼんやりと思い描いたところで、おしまいです。
「神の時間と人間の時間はその意味が違うのですよ」
「愛溢れる空間では、時間の伸縮が観察できると思いますね」
「時間という制限が少ない存在が神様なのかもしれませんね”旦那様” 愛に満ちているから空間をんがれる時の抵抗が変化しているのかもしれませんね”奥様”」




