539_奇々怪界損失。
何かしらの不思議体験をすることができるチャンスを逃した時に使用できるのではなかろうかという言葉でございます。趣味嗜好によるわけですがそのような行為に巡り合うことを損失と考えている方もおられるとは予想できますので、二重の意味で使うこともできそうではございますね、と益体も無いことを思い浮かべて小舟にて大海に漕ぎ出て行く若者を後ろから眺めている今日のゴブリンでございます。
そもそも何がしかのキーワードをとっかかりにしてそれから連想できる、使用頻度が高そうな語句をつなげていきつつ、面白みを出すためにあえてつながりの低い連想語句を挟み込んでしまったり、そのまま、明後日の方向へとつなげていくことが主題のエッセイもどきであるわけでございますこの文章は、半ば自動的に書かれているわけでございますが故に、直接的な悪口雑言を記述することをさけているわけでございます。故に、毒が表面に現れないような形を目指しているようでございます、伝聞形であるのは書き手と思考が一旦切り離されているわけでありますし、そもそもどのように表現したとしても誤解なく伝わることはほぼありえませんので、確率がある、高い、予想できる、観察できそうであるという曖昧模糊な表現に従事するわけでございます。
つまるところどこからどうやってやってきて何をなすのかわからないというカテゴリに当てはまるわけでございますから、ある意味この文章自体が怪異と申しても問題ない、という可能性があるわけでございます。巫女の託宣とか予知能力者の幻視とかそれに近いものである可能性も若干僅かに含まれているのでは、などと邪推を誘導することもできそうではございます。
意味が無いわけでございまして、無駄であるように見えるわけでございまして、役に立つように無いわけでありますが、解釈を受け手に放り投げることでそこに責任を持たせないわけでございます、断言をしなく抽象的な表現にとどめるわけでございます。これは文章の安全度を高める方法でもございますし、流行らせないことで、身を守る技術でもあるわけでございます。
つまるところ、めだたない一次情報の担い手を目指しているという意味合いにも取れそうでございます。間接的に社会やら、システムやらに情報を提供していき世の中がどうなっていくのか観察する手法というやり方もありそうでございます。ただ収集するのではなくて、発信することでその反射を観測するわけでございまして、水中で行うアクティブなソナーのイメージが近い、かもしれません。そしてそのようにするには、大きすぎる音が直接帰ってると、観察しづらいということでございまして、感度を上げておいたセンサに大音量が降り注ぐということは避けたいというのが、本音である、可能性もありそうでございます。
思考と文章が乖離しているわけでございますので、どうにも推し量るような物言いになるわけでございますが、基本これがこの生き物の性質であるわけでございまして、最小単位の発信であります、つまるところ文章にすることで自身の中にあるのではないかという情報やら自我を観測しておくわけでございますか、もちろん誤解や誤読は必ずあるわけでございますので、そこらあたり安全度をとるわけでございます。
必要だと判断するのは長大な時間でございまして、少なくとも生きている間、その個人が存在している間に完全な解が出るようなものではございませんで、むしろ完璧な回答やら解答が存在することすら懐疑的でございますが故に、このような文章は自己のセンサへの入力も兼ねておりますが、どこかにつならる可能性を、時間を超えて何かの解の一部やら問いの一部やら、その影響を及ぼす何かのサインになる、というようなロマンを求めているわけでございます。
意外にロマンチストであるのでは、という驚きとともにおしまいです。
「いやゴブリンはそもそも怪異の中であるでしょう?」
「たまに忘れそうになりますが私も魔法使いという怪異ですものね」
「邪神様も極まった怪異ですな”旦那様” 確かにそういう設定でございました”奥様”」




