538_カードバトルゲームは本来地味なものであり。
テーブルゲーム全般に言えるものでございますが、基本第三者が見て面白いかどうかというのは、それ相応の知識を持っていなければできないものでございまして、それはゲーム全般に言えるものでございますが、つまるところルールが明示されて広報されておらなければ、奇妙な踊りを踊っているようにしか見えないスポーツと同じであるわけでございましょう、などと曖昧模糊などこへ向かうのでしょうかという話題から始まる今日のゴブリンでございます。
基本山になっている裏返っているカードを手元に引いていきまして特定のルールに沿ってそのカードを提示しまして勝利条件を揃えていくという流れを見せるのがカードゲームでございましょう。でありますので、たとえカードに美麗なイラストレーションがなされていたとしても、アクション自体は、カードを引く、カードを机の上なのどに出して並べる、もう少しあるなら、そのカードを何かのアクションに使用する、横に向けるとか、何かトークン、つまりは小さな乗せても問題ないような何かをそれに乗せるとか、くらいの地味な作業の繰り返しになるわけでございます。
当然、想像の中以外に華はないわけでございまして、対人戦の各種コマを使用するボードゲームと同じく、見世物としては成り立たないくらいのレベルになるわけでございます。対決する要素を可視化することでドラマティックにしたり、外連味を出したりはできるわけでございますが、それは本来カードゲームの面白みから外れたものであったり、余分なものであったりするわけでございまして、また容易に実現できるものではなかったりするものでございます。完全に電子的に再現するのでありましたら、現実的な手法ではございますが。
それならばどこら辺りに面白みがあるのかと言いますと、それはルールに則った戦略性やら、対人戦での駆け引きやら、その末に与えられる勝利の快感であったりするわけでございまして、そもそもギャラリーを意識しているようなものではないわけでございまして、商売としては、これはあまり美味しくないわけではなかろうか、とか想像するわけでございます。これはプロが存在するボードゲームにも同じことが言えるわけでございますが、とかく演出をしなければ、素人さん、つまりは新規顧客、ファンを引き込めない、もしくはそうするのに時間がかかるという意味であるわけでございましょう。
比較的新しい遊びであり、当然それは一過性の熱量を持たせるだけの、流行りでしかない可能性もございまして。むしろ、数百年続くというビジョンはなかなか持たせられないわけでございます、ただしこれは昨今開発された新しいタイプとされるカードゲームでありまして、いわゆるアメリカ発祥のトレーディングすることを根底に置いたそれについての予想でございまして、本来のカードゲーム、プレイカードを利用したかなりのユーザーを確保している普遍的なゲームについては、これはすでに数百年の歴史があるわけでございます。
カードそのも、ルールそのものに、射幸性を持たせた商売という観点から考えますと、これはまだまだ衰退しないのではなかろうかという予想はございます。しかし、基本メーカー側が、かなりの操作ができるということは、計画的な商売として有利ではあるものの、ユーザからは不自由感しか感じられないことにつながりかねないわけでございます。ようは、大きなやらせであるように感じらてしまうのでありまして、これはちょっと冷静に立ち返られてしまうと、途端に購買意欲を削いでしまいかねない要素であるわけでございましょう。
なにもないところから価値を見出すのが楽しいというのが、コレクタのさがであるのではないかと予想するわけでございまして、お膳立てをしている、されてしまった流れに乗るのはどうなのでございましょうかという方も一定数存在するわけであります、さらには、その流れが明らさま過ぎますと途端に冷める方もおられるのでございましょうね、と予想するわけでございます。
ともあれ、カードバトルゲームなどは自信の妄想やら想像力やらに頼るところに面白みがあるのでございますので、その能力が育てられない社会ではこれは、流行らなくなるのでございませんかね?などと申したところでおしまいです。
「単純に賭け事に熱中するという層もありますね、そこにつけこむのが宗教なのです」
「電子情報でのカードにお金を払う層もありますね。楽しそうです」
「宗教は結構勝率の良いギャンブルだと思いますな”旦那様” 物質的なカードは場所をとるので敬遠されるそうでございますよ”奥様”」




