53_袖触れ合うも、水心。
諺をひねっていくシリーズです。いつの間にシリーズになったんでしょうね、ゴブリンもびっくりいたしました。大元の諺は、袖触れ合うも他生の縁、でございますが、未だに他生を多少と間違えて覚えているお方っておられるのでしょうか?結構いろいろなところで話題になった、定番ネタでありますね。
後半にくっつけた水心というのは、魚心あれば水心あり、が元の諺でありまして、実は意味をよく知らなくてなんだかいやらしいというイメージを持っている方が多い、諺です、というと偏見が過ぎるでしょうか?
こう、子持ちの未亡人にアプローチをかけるちょっと顔面が不自由で金銭的には裕福なお方が、思い浮かんでしまうんですけれども、最近はそんな定番の物語は逆に少なくなってきているんでしょうか?もしくは、定番のまま、実はその顔面に不具合があって、ちょっと太めの趣味の悪いお方が、人格者で善意の人であるという、意外性のあるパターンなのかもしれません、このパターンも最近増えてきましたか?統計を取っていないのですが、どこかで見たような気がいたしますので、珍しくはないのでしょう。
混ぜるとどうなるんでしょうか?こうさりげない日常の中にも、親密な利益を生み出しかねないやりとりが隠されていて、それは、前世と言ってもいいくらいの遠因が絡んできているのですよ、というお話になるのでしょうか?
風が吹くと桶屋が儲かる、くらい迂遠な関係性かもしれませんが、主人公が周囲の行動を深読みしすぎて、勘違いをしてしまう、コメディを表しているというのはどうでしょうか?冷静に客観的に考えると、いやそんなことはないでしょう?という状況で、かなりひねくれた判断をしてしまう、物語の登場人物は、第三者的な目で見ると、滑稽でおかしみがありますが、たまに、演出が非常識すぎて、冷めてしまうパターンもあるように見受けられます。主観ですけれど。
過剰なまでに、本人がネガティブになるか、逆にポジティブになるかで対応が変わりそうですが、現実世界では、安全度の高い方を選択していくのが良いのでしょうかね?暗に袖の下を要求されたのでは?と思った方が良い場合があるかもしれませんが、それが勘違いで逆に相手の倫理観に触れて叱られるとか、関係性が悪化する可能性もありそうです。
曖昧な表現であるときは、とにかく確認を取るべきだとは思いますが、これが恋愛の表現だと、直接的なそれは無粋であるということのなりかねなく、いろいろと迷うのではないかと予想されます、そして、その迷いが、コメディを推し進めたり、逆に心理的な描写に移って純愛路線のストーリーが展開されたりするのでしょうか、とすると、恋愛というのは勘違いで進んでいくものなのかもしれませんね、すれ違いとか、回り道が、それの醍醐味なのかもしれません、恋愛遊戯をされておられるかた、どうですか?もどかしいのが、楽しいと思えるようなそれが、周囲にあるならば、これはこれで幸いかもしれませんね。
ビジネスとか商売とかが絡む場合は、深読みはご法度であるような風潮があるようです、空気を読んで指示されていたもの以外のことをしてしまって、失敗するというパターンは現実によくあるのではないかな?と予想します。
言われたことしかできないのですか?と嫌味を言われるパターンも同時に存在するので、ええと私は一体どうしたらいいのでしょうか?と悩む方もおられそうですね。打開する方法としての定番は、いい質問をすることらしいですが、どうなんでしょうね?気軽に疑問点が尋ねられるような関係を築くておくのは、結構コストがかかるような気がいたします。
コミュニケーション能力が大切というのは、場を読んで、尋ねすぎない能力を磨けということではなくて、どれだけ身も蓋もない会話ができるようにその場を、設定することができるか?という能力なのかもしれません。そのように想像してみましたが、なかなか騒々しい職場になりそうですね。
「まとわりついている女性って私のことのようです」
「さっさと、謝罪するべきではないでしょうか?」




