43_寝た子は起こすな、よく育つ。
睡眠は大事ではないかな?というお話です。少なくとも書き始めの気持ち的にはですが。
無理をして徹夜をして、作業をしても、効率的ではない、ということは、結構有名でありまして、それでも納期が迫っているので無理をしなければならない、という現状に襲われて、睡眠時間を削るわけです。
当然、朦朧とした意識やら、で、クオリティは低くなると、予想できるわけですが、間に合わせるために、その質を落とすのは、なんとも本末転倒のような気がいたします。
間に合うことそのものがクオリティです、というような意見もありそうですが、そもそもその納期の設定に無理があったのではないですか?という問いは、よく無視される傾向があるような気がいたします。
自分一人の作業ならば、納期に余裕を持ったスケジュールを組んで、きっちりと、早めに仕上げてしまうことも可能、なことがあります。もちろん、毎日一定の作業を必ず進めることのできると、いう前提がなければ、ダメだと思いますが。
これが、多人数が関わるプロジェクトとかになると、途端に難しくなりそうな気がします。しかもスケジュールを切るのが、その作業に関わらない、第三者とかであったりすると、『うわ、無茶振りもいいところじゃね!』と、いうようなものになりかねない、のではないかな?と考えるのですが、実際のところはどうなんでしょうね?
作業量の読み間違いとかはまだ、かわいい方で、作業量を予想すらしなくて、儲けが最大になるような、商業的な観点から、のみで、計画を立てるなんて、ひどいことをする人もいるかもしれませんし、逆に儲けなければ次がないので、この進捗は必要だという側面もまたあるのかもしれません。
ようは、展開のすり合わせができていないのでしょうね。そこに時間をかける余裕がないのかもしれませんし、そうなっている状態がすでに、いろいろ詰んでいる状態なのかもしれません。
余裕がないというのが、一番の問題なのでしょうね。こう早く成果を出さないといけなという、脅迫的な概念に襲われて、もしくは、他に出し抜かれては損をする、というような、そのような気持ちが、いろいろ無茶なスケジュールを作っている、のかもしれません。そんなに競争する必要があるんでしょうか?いろいろあるような気がいたしますね。
その結果、粗悪品を作り上げて、大きく損をする、というような事例を横目で見ると、ああ、これは困ったなー、やはりじっくりやらないといけないなー、と思う人も多くいるのだとは思います。失敗から学ぶとは、このように、そばで大きくこける存在がありがたい、ような、不謹慎な思いがあるのかもしれません。自分の失敗から学んでいたら、コストがかかりすぎるから、という発想なのですが、いかがなものでしょうか?
近場に観察できる場所に、無能者とか、無謀者を置きたがる、実業家とかどうでしょう?
失敗することがわかっている問題があるとしますよね、その失敗を避けるにはどうすればいいと思いますか?
答えは、完成させなくて、ずーと問題を解かせ続けていけば良い、というもの一つの手かもしれないな、とぼんやりと想像したりするのです。
解答のない、難しい問題を解いている間は、他の問題を起こすこともないので、余計なことをしなくなるので、帰って平穏が訪れるという塩梅なのですが、そこまでされるような人材とか組織とかは、早めに潰した方がいいんじゃないかな?という高い視点からの指摘もありそうです。
ただ、人の世の中には、結構、柵が多いそうで。面倒くさいですね。
最終的にひどい結果が出て、妙な方向に突き進むような展開になるかもしれないですが、それはそれで、何か無駄に壮大な物語につながるかもしれないので、そっと、観測致しましょう。あくまでも近づくと危ないので、遠間にですが。
「住所とか、通勤先とかは、調べがつきました」
「それは、少し犯罪の匂いがいたしますが?”ご主人様”」